世界の国会にどのくらい女性がいるか。IPU(列国議会同盟)が調査公表してきた。IPU「世界の政治における女性」も、定期的に公表している。


「世界の政治における女性」地図には、「国会における女性ランキング」もついている。各国の国会(第1院)でトップから193位までズラリと国名が並ぶ。


日本をさがしてみた。目を、ずっとずっと下、さらに下の下までスクロールバーを下げて見ても、まだない。もっと下の下だ。


なにしろ162位日本は、この数年160位前後をさまよっているが、それが世界においてどこらあたりなのかを忘れないために、ここにあらためてアップする。この極端すぎる性のゆがみをたださずして、民主主義などちゃんちゃらおかしいと思う。


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by bekokuma321 | 2018-11-30 12:06 | ヨーロッパ

1125日は女性への暴力撤廃デー。女性への暴力撤廃は、年1回でなく、年から年中キャンペーンをしなくてはと思う。でも、年に1回でもやらないよりはましだ。メディアがとりあげるからだ。

2017年、世界の他殺被害女性の半数以上は、夫、恋人など親しい間柄にある人によって殺された」

BBCは、11月25日、こう大見出しで訴えた。わかりやすいグラフつきだ。殺人事件被害女性の58%は、親しい間柄の人物が加害者である。だが男性の場合、20%でしかない、と報じている。

女たちは、気をゆるしている身近な相手から殺されているのである。世界中で。

さらに、女性への暴力は、戦争において、もっとも極端かつ残酷なかたちであらわれる。今年のノーベル平和賞が、その戦時下の性暴力と闘う2人に授与されることになったが、そのことで、あらためて戦時下の性暴力を考えさせられた。


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この戦時下の性暴力についての本を、先月、偶然、読んだ。

『1945年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』 。ヘルケ・ザンダー&バーバラ・ヨール編著。翻訳したのは寺崎あき子・伊藤明子。1996年、パンドラ発行、現代書館発売。

20年前に読んだと思ったが、途中でやめたらしい。今でも、この重い内容を読むのは楽ではなかった。どこに行くときも分厚い本を持ち歩いて、2週間かけて読了した。目をそむけたくなるような表現が多く、パタンと本を閉じてしまったこともある。FEM-NEWS1110日にアップした引用文から厳選して再掲する。


「非常に多くの若い女の子が強姦された。当時、134歳で、自分に何が起こったのかまったく理解できなかった多くの女たちと、わたしは話をした。大半は、その後二度と男と寝ることができなかったり、『性行為というもの自体に対する嫌悪感』を強めることになった。たいていの場合、女の子たちは強姦されたことについて誰とも話すことができなかった。自殺したり、自殺に追いこまれた者も多かった。


「多くの女たちは何度も強姦されて重傷を負い、不治の障害が残った。無月経のため、妊娠に気づくのが遅すぎて、子どもを産まざるをえなかった女たち、彼女たちは今日もなお差別と結びついている、シングル・マザーとしての将来が待っていた。結婚している場合は、『私生児』を連れて夫のもとに帰ることは許されなかった。子どもが欲しいと思った場合でも、こういった理由から養子に出したり、病院にそのまま置き去りにしたりすることがよくあった。子どもを産んだ女たちは、トラウマのために、子どもとの関係が非常に歪んでいることがしばしばだった。これはそのような子どもたちの話からわかったことである。子どもが常にあの暴力行為を思い出させるからだった」


「強姦の次に待っていたのは苦痛に満ちた性病と婦人科の手術であった。会陰が肛門まで裂けていた10歳から16歳までの少女たちは、病院で縫合しなければならなかった。その後、何年たっても女たちは強姦のもたらした結果に苦しんだ。『個人的な恥』への不安、絶望、そして夫や婚約者の態度――強姦された女性を置き去りにすることもしばしばであった――は、暴力行為を受けたあとで多くの女性を自殺へと駆り立てた」



この力作を日本に紹介した最大の功労者は、ドイツ翻訳家の寺崎あき子さんだ。彼女は、先月末、永眠した。最期は苦しむことがなくとても安らかだった、と看取った友人が話してくれた。



GLOBALSTUDY ON HOMICIDE Gender-related killing of women and girls 2018

■詩織さんが訴える「告発することの怖さ」

北欧DVシェルターは24時間365日オープン





by bekokuma321 | 2018-11-27 11:50 | その他


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1116日(金)ウイングス京都で行われた「国会・地方議会の男女候補者50/50 をめざす京都フォーラム」 に参加した。


基調講演の大山礼子さん(政治学者、Qの会)は、「人口減少・少子高齢化」「消滅危機にある農山村地域の自治体」「長時間労働と低い労働生産性」など、山積する問題の数々をあげた。それらは、女性議員があまりに少ないことによる「政策のゆがみ」に起因すると指摘した。そして、地方議員や地方議員をめざす女たちに、「議員内閣制で運営される国会議員の真似をしないように。政党や所属会派にとらわれずに発言して活動するように」と呼びかけた。


石毛鍈子さん(Qの会、元衆議)、山田智子さん(草津市議)、 森かれんさん(京都市議)、戸田靖子さん(大阪府島本町議)、森屋裕子さん(NPO法人フィフティネット)、リボアル菜巳乃さん(翻訳家)、矢澤江美子さん(埼玉県八潮市議)などが次々に、議会をこんな風に変えていきたい、と希望を語った。


記憶に残った発言をメモ的にあげる。

―会派はあったほうがいいが会派で議決拘束はしないでほしい

―議会の委員会などのポストは会派人数に応じて決めるが比例代表制選挙での割り振りのような「ドント方式」がいい

―会派のない議会では全員協議会となってしまい、さらに大変だ

―議会は政党や会派に所属する数の力が物をいうため無所属議員は議会で一般質問をできない

―無所属議員は、政党のしばりがないだけ、政策を自由に出していける


女性議員を増やす方策という大テーマに移ると、大山さんは、1946年の総選挙で実行された複数候補者に投票する「制限連記制選挙」をあげた。育児中の議員からは、選挙以前に、「議会中の搾乳タイムの確保や視察先への家族・シッターの同伴」など、”おかあちゃん環境”を向上することの必要性が提起された。


矢澤さんは、全国フェミニスト議員連盟で訪問した「長野県川上村」の女性排除的慣行「まけ」 を紹介した。川上村同様、まだ残る「女性ゼロ議会」にはこうした慣習があり、しばりとなっている。それを変えるきっかけとなるのが、「候補者男女均等法」 だと私は思った。矢澤さんの発議で、議会基本条例のなかに、議会は「議会活動と育児・介護等が両立できる環境整備等に努め、多様な立場の市民の声が反映できるようにしなければならない」が盛り込まれることになった、とのうれしい報告もあった。


女性議員が半数を占める島本町議会議員は、「激論を交わすのは女性議員同士だ。政策差は、性差よりも会派差によることが多いです」と言った。女性議員が増えたらこうなるという未来像を見せられたようで、とても印象深かった。


岡田 ふさ子(全国フェミニスト議員連盟、さみどりの会)


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【写真はすべて矢澤江美子議員提供】


by bekokuma321 | 2018-11-23 15:03 | その他

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オランダのポスター。暗闇のなかで悩む女性。性暴力被害者の苦しみがよく表れていて、ハッとさせられる。ポスターのオランダ語については、叫ぶ芸術第64回を。


■詩織さんが訴える「告発することの怖さ」



by bekokuma321 | 2018-11-17 20:04 | ヨーロッパ

1947年、ドイツの町で、骨と皮だらけのノルウェーの母子が、食べ物を懇願していた。母親は空腹のため何度も気を失った。男の子2人のうち弟のほうは栄養失調だった。3人は地面からか細いニンジンを拾って口に入れた。ほかには何も食べるものはなかった。


母親の名はエルザ・ガブレー(24歳)。ノルウェーからドイツに強制送還された。第2次大戦中、ナチス・ドイツの支配下にあったノルウェーには多くのドイツ兵が駐留していた。彼らと親しい関係となったノルウェー女性も大勢いた。戦後、彼女たちは「ドイツの売女」または「ドイツの女の子」と烙印を押されて、髪の毛をそぎ落とされ街頭で裸にされて嘲りや辱めを受けた。あげくに、市民権をはく奪されて国外追放となった。エルザはその1人である。


70
年経た、20181017日、この「ドイツの女の子」たちに対してノルウェー首相が正式に謝罪した、というニュースが届いた。“慰安婦問題”への日本政府の対応に苛立っていた私は、訳してFEM-NEWSに載せた書き終えて、ふと本棚を見上げた。私の目に真っ赤な背表紙がつきささった。

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1945年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』。ヘルケ・ザンダー&バーバラ・ヨール編著。翻訳したのは寺崎あき子・伊藤明子。1996年、パンドラ発行、現代書館発売。

20年前に読んだが、しっかり読めていなかった。今でも、この重い内容を読み進むのは楽ではない。私は、どこに行くときもその分厚い本を持ち歩いて、読んだ。読了できたのはひとえに2人の名翻訳のおかげだ。

その訳者のひとり、寺崎あき子さんが1028日永眠したという知らせがはいった。一昨日だった。


10月20日から2週間、私は机上、ベッド、電車内で1945年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』と向き合ってきた。ウン、ウンとうなりながら、私は、マーカーで塗りつぶしたり、ボールペンで線を引いたりした。残虐さのあまりにパタンと本を閉じざるをえなかったときもある。30代の頃、強い影響を受けた『性の深層』(アリス・シュヴァイツァー著)。それを翻訳したのも寺崎あき子さんだった。そんな彼女の力にあらためて兜を脱いだ。教えてもらいたいことも出てきた。手紙を書こうと思っていた矢先の訃報だった。

たぐいまれな力作を遺した寺崎あき子さんに、心からの敬意を表して、文章をいくつかをそのままタイプしてここにアップする。一読者からのささやかな供養のしるしに・・・。(Moreをクリック)








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by bekokuma321 | 2018-11-10 18:20 | ヨーロッパ

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ドキュメンタリ映画『たたかいつづける女たち~均等法前夜から明日へのバトンをつなぐ』の上映会&三井マリ子さんトークライブが、「怒れる女子会@越谷」主催で開催された。


映画は、1985年男女雇用機会均等法が作られた時のお話。政府が出した案では本当の意味での女性の労働権の確立につながらないと、自分たちで男女平等法をつくり労働省へ提出する女性たちの戦い。歴史の教科書に載らない物語を山上千恵子監督が21世紀に蘇らせてくれた。


三井さんは、映画のハイライトである抗議デモ「イブ・リブ・リレー」の発案者である。リレーの萌芽は北欧にあった。北欧のデモに参加したイギリス人が帰国後、英国で似たような抗議をした。その英国のデモに参加したアメリカの友人が、留学中だった三井さんに話してくれた。その体を張った表現方法に心打たれた三井さんは、帰国後、仲間に紹介したら、「いいじゃない!」と。バトンの中にみんなで作った「男女平等法」を丸めて入れ、想いをリレーでつなぎ、労働省に提出した。


結局は国会の勢力図により平等法は実現しなかった。法案の立役者赤松良子さんの「ホントはもっといいものが作りたかった」「国会の場に女性がたくさんいたら判断は変わっていたかも」から悔しい思いが伝わってきた。


では、女性議員がたくさんいたら変わるのだろうか。わが吉川市を見ると疑問も残る。吉川市の議会は、20人中735%が女性だ。選挙後はかなり注目をあびた。

昨年、文部科学省の男女共同参画学習課が男女共同参画室に格下げ案が出された。当時、私は議会で「存続と拡充、組織的位置づけの強化を求める意見書」を出した。男女平等を訴え続けた歴史の重み、しかも男女平等はまだまだ道半ばであり、課から男女共同参画という言葉を無くすことはできない、と力説した。意見書は可決され、吉川市議会より文科省に提出された。


実は、この意見書に女性議員3人が反対したのである。“女性の敵は女性”という常とう句をぬぐい去れなかった一幕であった。


一方、114日の「怒れる女子会@越谷」には多くの男性の参加があった。理解と応援の姿勢を示す男性は今も昔もいる。問題は男であるか女であるかよりも、ジェンダーバイアス(性による偏見)がかかった考え方にあるのではないか。女性議員の比率を半分にすることは当然だが、偏見をいかに取り除いていくかの努力が必要だと私は思う。


闘ってきた女性たちがいたからこそ今がある。荒野を切り開いてきた先輩女性たちから受け継いだバトンを、私たちはブルドーザーで地ならしをし、次に渡していかなくてはならない。


岩田 京子(埼玉県吉川市議会議員)


我慢から交渉へ 臨時職員の闘い(怒れる女子会@越谷)

女たちのバトンは続いてる(怒れる女子会@越谷)


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   ▲三井講師(左)と、「バトンを受け取って走ります」とランニング姿の松田典子議員



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▲司会の檜垣貴津子さん(左)と「怒れる女子会@越谷」で奮闘する山田裕子議員




by bekokuma321 | 2018-11-08 09:56 | その他

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世界の女たちやハッとするニュースを、やさしい英語で学ぶ講座です。日本ではよく知られていない新鮮な話題を英語でかじって、脳を刺激しませんか。

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月20日は「Lesson 3 アメリカ」。中間選挙で、アメリカ女性は、トランプ大統領の共和党、オバマ前大統領の民主党のどちらを支持したのでしょうか。女性の議員はどのくらい増えたでしょうか。



by bekokuma321 | 2018-11-07 17:42 | USA

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小松サキ子さんは、80年代から23年間、越谷病院の臨時職員だった。非正規がどんな働き方を強いられていたか、どう闘ったのかーーー貴重な経験を話してくれた。

114日、ほっと越谷で開催された「たたかいつづける女たち」上映会&トークに先約のため参加できなかったという、小松さん。今76歳だ。


小松さんが、越谷病院の臨時職員に採用されたのは40代のころ。栄養課に配属になった。「ピーマンを洗ったり、玉ねぎの皮をむいたり…」。


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年で手術室に移動になった。手術室勤務の正規の看護職が、保育のほうに移動しなければならなくなったからだ。それまで正規職員がしていた仕事を臨時で埋めたのである。


「今でも覚えていますよ。面接をした課長は、『食器洗いも、オペ室の機械洗浄も同じだ』と言ったんです」


臨時職員は3ケ月更新だった。小松さんは更新を続けて、手術室に看護助手として13年間、その後、診療材料倉庫に10年間務めた。


感染症患者の手術も多かった。「オペ後の片づけ、器具の洗浄や消毒が主な仕事でした。放射線のフィルムの出し入れを担当する臨時職員の話も聞き、『私たちのからだは、いったいどうなるの?』と、心配がつのりました」。


健康への影響という基本的問題だった。それに対して、病院の院長は、「どうせ、あんたたちが癌になるっていったって、60過ぎてなるんだから心配ない」と言った。婦長は「あなたたち、仕事があるだけありがたいと思ったほうがいい」と言った。「今ならパワハラでしょうが、何を言われても我慢するのが臨時職員だ」と思っていた。


しかし、越谷市には「臨時職員の組合」ができていた。その臨時職員の場から代表2人が、市職員組合の役員会議に出席できた。小松さんは、4時に勤務を終えて、いったん帰宅。子どもたちの夕食を済ませて、6時過ぎに戻って組合の会議に参加した。正規職員は、年休も夏休みもボーナスもあったが、「わたしたちは、そのたびに交渉しなければもらえなかった」


「正規の職員よりちょっと勤務時間を短くされているだけで、仕事はほぼ同じ。何年だったか、今頃の寒いとき。ボーナスをめぐって当局と話し合いをしました。交渉が決裂して、何度も話し合いを設けました。子どもたちに夕食を作らなければならないのに、ほおって、夜まで居座りました」


「そんなほしがるなら、首を切っちゃえ」のセリフは忘れられない。暴言をはいたのは越谷市市長(当時)だった。


臨時職の要求を市につきつける闘いは、労働組合がなければ不可能だった。「執行部の檜垣貴津子さんはもとより、委員長だった佐々木浩さんや山下弘之さんが耳を傾けてくれた」と、小松さんは言う。


女たち(=臨時職員)の我慢を、当局との交渉課題にした越谷市の労働組合。その先駆性は、もっと知られていい。

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▲映画上映後に語る山田裕子市議、三井マリ子元都議、松田典子市議(ほっと越谷)



by bekokuma321 | 2018-11-07 14:08 | その他


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11月4日(日)、越谷市で、ドキュメンタリ映画『たたかいつづける女たち~均等法前夜から明日へバトンをつなぐ』を見て話し合う会があった。


男女雇用機会均等法は、1985年、国会で成立した。働く女たちの声は国会に届いたのか。世界をゆるがしたウーマンリブ運動の風を受けて、日本の女性運動、組合運動の中で、女たちはどう動いたのか。未公開の貴重な映像、現在進行形で裁判闘争をする女たちへのインタビューをもとにフェミニスト山上千恵子監督21世紀によみがえらせた。


越谷市では、怒れる女子会の山田裕子議員と松田典子議員、映画制作に協力した三井マリ子の3人で現状や今後について話し合った。

ここでは、司会をした檜垣貴津子さんの話をかいつまんで報告する(注)。


檜垣貴津子さんは、「映画で、闘っている女たちを見て、70年代後半に、越谷市立病院の臨時職員として雇われた看護助手たちが、組合結成に立ちあがった闘いを思い出しました」と、やや興奮気味に言った。


檜垣さんは看護師で市立越谷病院の正規職員、かつ越谷市職員労働組合の役員だった。当時、看護婦(女性だけだった)たちは、人手不足のため「バタバタ倒れる人が出た」。1978年、檜垣さんたちは「増員闘争って呼んでいたのですが、ストライキで、53人の増員を勝ち取ったのです」。その闘いの様子はNHKでも報道されたという。


並行して臨時職員も増えてきた。とりわけ、病院では、正規と同じ仕事をして、正規職の半分か3分の1の給料だった看護助手たちの不満がくすぶりはじめていた。労働組合に「余りにひどい。どうにかならないか」と窮状を訴えたのは、そういう女たちだった。


その1人が、お連れ合いの介護の合間をぬって参加し、会場から発言をして下さった。


1976年(昭和51)病院の看護助手募集に応募して採用されました。朝8時から午後4時半まで8時間労働でした。しばらくして、同じ仕事をしても、給料は正規の半分以下だと分かったんです」


医療事務の人や、検査技師など、臨時職員は増える一方で、100人以上になった。看護助手の女たちが火付け役となって「臨時職員協議会」が結成された。自治労傘下にはいって、当局と賃金や労働条件などを交渉する権利を勝ち取った。


檜垣さんは、最後にこう語った。


「『ああ、私たちは、ちょっと早目にやったんだな』と思いました。映画の女たち以前に私たちの闘いがあったのです。考えてみれば、そういう私たちだって、淡路島の病院の看護婦の闘争から学んだんです。実質的に、女たちの闘いのバトンは続いているような気がします」



【注】檜垣貴津子さんの話は、集会や2次会に加えて、電話取材による(FEM-NEWS編集部)。


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▲集会終了後に「たたかいつづけよう!」2018.11.4 ほっと越谷 (写真提供・山田裕子)




by bekokuma321 | 2018-11-05 22:56 | その他

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11月は、DVやセクハラなど性暴力根絶月間だ。

ジャーナリスト伊藤詩織さんの告訴に刺激を受けて、シリーズ「叫ぶ芸術」(「I 女のしんぶん」)に、オランダの90年代の性暴力根絶キャンペーンを紹介した。

オランダは、80年代から、女性運動の声を受けて、政府が情報収集に力を入れ出した。

時が過ぎ、いまや、国連も性暴力根絶に力を入れている。日本政府も、重い腰をあげた。それでは、と、今年、性暴力根絶に向けて内閣府がつくったポスターを見た。こりゃダメだ(↓)。

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第21回全国シェルターシンポジウム2018 in 札幌

平成30年度 女性に対する暴力をなくす運動(内閣府男女共同参画局)

EU to join international convention combating violenceagainst women

Violence against women: the EU's potentialaccession to the Istanbul Convention

詩織さんを応援します

詩織さんの告発





 

by bekokuma321 | 2018-11-03 12:59 | その他