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2年前の今頃だった。ポーランドの町々で黒装束の女たち15万人が広場に集まり、政府の妊娠中絶禁止法案に抗議 したというニュースに接した。その組織力に驚かされた。

ポーランドの女性史を調べてみた。ポーランド1918年という早い時期に女性参政権を獲得した。今年は、その100周年にあたる。しかも投票する権利だけでなく、立候補する権利も同時に獲得した。翌1919年に国政選挙があり、女性が8人当選。


昨日、「ポーランド独立と女性の地位の変化――女性参政権獲得をめぐって」というセミナーがあった。今年はポーランド独立回復100周年にあたり、その記念行事のひとつだ。


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山田朋子講師(写真左、明治大学)によると、「19世紀末、パリなどに留学した女性が帰国して、女性解放運動を始めた。1905年後、女性団体が増加し、『ポーランド女性同権同盟』という急進的フェミニスト組織が誕生した」


その「女性同権同盟」に、パウリナ・クチャルスカ(Paulina Kuczalska)という女性参政権獲得運動家Suffragetteがいた(写真上)。彼女は、ポーランド初の急進的フェミニスト誌と言われる「ステル」で、女性の参政権を要求するなど論陣をはった。「ステル」はポーランド語で舵(かじ)という意味。文字通り、女性参政権運動の舵取り役を果たしたのだろう。


1918年、ドイツにとらえられていたピウスツキが帰国して国家主席に。モラチェフスキ首相とともに、新しい選挙制度を発表した。そのなかに性別なしの参政権が明記された。「諸政党との協議もなく、分割期や第一次大戦中に女性が果たした役割の重要性に配慮して決定されたのである」(映画「独立ポーランドの女性たち」から)。


さらに前の歴史をひもとくと、18世紀末、ロシア、プロイセン、オーストリアによって国を奪われたポーランドでは、民衆による非合法運動が何度も続けられた。19世紀半ばの「一月蜂起」後、ロシア化によって学校でのポーランド語は禁止されロシア語となった。女性の大学教育は禁止された。そこに現れたのが「移動大学」。私宅で行われる非合法運動だった。「キュリー夫人」で知られる偉人マリア・スクウォドスカも、この「移動大学」で勉強したのだという。


2次世界大戦の壮絶かつ悲惨な地下運動、さらにそれよりはるか前の非合法運動・・・ポーランド女性の強靭な魂は、大国に蹂躙された歴史に鍛えられている、と思った。


【写真上:山田朋子講師作成のパワポを接写。写真下:ポーランドの女性について講演する山田講師。筆者撮影】



ドキュメンタリ映画「連帯、女たちによれば」(ポーランド)




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by bekokuma321 | 2018-09-30 12:00 | ヨーロッパ

最新IPU調査(2018年9月1日付け)によると、国会(第1院)における女性議員数で、日本は世界193カ国のうち161位である。前回の158位から3位下げた。

最低ランクをうろうろしていて代わり映えしないが、自戒をこめて、下にかかげる。

ついでに、先ごろスウェーデンで国政選挙があったが、女性は346議席中161議席、46%だった。IPUの調査には、この選挙結果はまだ反映されていない。



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by bekokuma321 | 2018-09-30 01:29 | その他

「女性を犯した人が最高裁に居座ることを許そうとしていることだと、あなたはわからないんですか」

「あなたには子どもがいる。私にも子どもがいます。これから50年間、女の子を犯したと訴えられた人が最高裁にいすわるなんて私には信じられません。いったい何なんですか」

国会のエレベーターの扉を開けたまま、女性たちが涙ながらに必死に訴えている。CNNなどが世界中に流した。私は今、ガーディアンの動画で見ている。

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エレベーター内には、共和党のジェフ・フレイク(Jeff Flake)議員が立っている(写真上)。フレイク議員は、上院司法委員会のメンバーだ。態度を決めかねていた彼が最高裁判事に指名された高裁判事を承認すると報道された直後に、女性たちが押しかけたとされる。

アメリカ国会の上院司法委員会 の議論を、現在、多くの報道会社がライブで中継中だ。公聴会の休憩時間には、国会前や最高裁前に続々と抗議する女性が集まっている様子も報道されている。冒頭のエレベーター前の抗議も、CNNから流れた。


トランプ大統領は、空席となった連邦最高裁判事に、保守派のブレット・キャバノー高裁判事(53)を指名した。アメリカの連邦最高裁判事は、終身制だ。死亡または引退するまで地位が保障される。


アメリカでは、指名された最高裁判事は、上院本会議で承認する。上院は100人。僅差で共和党が多い。その本会議での承認に先立って、上院司法委員会は採決で結果を決める。こちらは「共和党11対民主党10」の21人。しかも共和党は全て男性。


メディアは、夏以降、キャバノー高裁判事から性的暴行・セクハラを受けたとする女性たちの告発を報道してきた。#MeToo運動がピークに達したような勢いだった。

私は、1990年代初め、アニタ・ヒル教授が同じように上院司法委員会で証言したことを思い出した。彼女は、最高裁判事候補からのセクハラの被害を証言した。私は友人がアメリカから送ってくれたビデオでその一部始終を見ることができた(注)。

さて、20余年が過ぎ、上院司法委員会(委員長は共和党チャック・グラスリー議員)は、キャバノー判事の承認採決に先立って、両者の証言を聞く公聴会を開くことに決定。

最初に被害を告発した女性は、カリフォルニア州パロアルト大学で心理学を教えるクリスティーン・ブラジー・フォード教授(51)。当初、匿名を希望していた。しかし、上院司法委員会公聴会で証言することを決意した。

2018928日、フォード教授が証言し、次にキャバノー判事が証言した。

上院司法委員会に出席したフォード教授は、濃紺の地味なスーツに身を包み、黒縁の眼鏡をしていた。「本意ではなかったが、国民の義務としてここにやってきた」と言った。

彼女のことばは震え、ときには涙声になりながらも、一貫して静かな落ち着いた様子で語りとおした。かいつまんで紹介する。

36年前、17歳だったキャバノー氏と15歳だった私は、パーティというより誰かの私邸での若者たちの集まりといった場で一緒になりました」

「キャバノー氏は、友人マーク・ジャッジ氏と共に私を寝室に連れ込み、ベッドに私のからだを押し倒して服を脱がそうとしました。ラジオの音を大きくしました」

「彼は私を強姦しようとしているのだとわかりました。助けてと叫ぼうとしました。叫ぼうとしたとき、ブレットは私の口を手でふさぎ、阻止しました。」

(彼の強姦未遂行為は)「不安、恐怖症、PTSDのような症状などを引き起こしました」

(その事件で最も強烈に覚えていることは)「決してぬぐいさることができないことは、笑い、笑い、2人がけたたましく笑ったことことです。彼らが笑っている間、私はその人間の体の下にいたのです。2人はほんとうに楽しんだのです」


(強姦しようとしたのはキャバノー氏だとどのくらい確信しているか)「100%確信している」。


次に証言した当人のキャバノー判事は、怒りに満ちた表情で声高に「わたしは無実だ」と疑惑を完全否定した。フォード教授の証言内容に具体的に反論せず、民主党が大統領選挙で共和党に負けたことへの報復だなどと党派的な表現をちりばめた。後ろには妻が座っていた。


一方、ファインスタイン上院議員(民主党)は、被害を訴え出た件について、連邦捜査局(FBI)の取り調べを要請し、承認手続きに関する委員会採決を延期するよう求めていた。しかし共和党は拒否したと報道されていた。

結局、両者の言い分を聞くだけ聞いて、1票差でキャバノー判事が承認されるのだろう。こう思っていたら、違った。

たった今、上院司法委員会で、ジェフ・フレイク議員が、採決の前にFBIの捜査をすべきだと、延期の動議を提案した。彼の提案が認められて散会となった。彼の提案の引き金となったのは、エレベーター前で必死に訴えた女性たちに違いない(写真上)。

【写真:CNNニュースより接写】

【注1990年初め、セクハラという言葉さえ日本では広まってなかった。一方、私には、セクハラ撤廃に動き出したアメリカの情報が数多くはいってきた。議員だった私は女性たちからの性的被害に数多く接していただけでなく、自身もセクハラの被害者だった。性被害の解決に向けて、行政の労働相談項目に

セクハラを新設するよう運動していて、それが実った。それによって、過去「その他」に分類されていたセクハラの被害数や内容を明らかにすることができた。日本の行政では初めてだった。当時、アメリカ国会上院司法委員会でのセクハラ証言 は日本でも報道された。「あなたが議会で主張していたことがわかったような気がする」と言った男性議員がいた。米上院司法委員会のセクハラ報道は、日本の議員に対する”教育”への一助となったらしかった】


Prepared WrittenTestimony of Judge Brett M. Kavanaugh

Prepared WrittenTestimony of Dr. Christine Blasey Ford

JudiciaryCommittee Releases Transcripts of Kavanaugh Interviews


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by bekokuma321 | 2018-09-29 05:17 | USA

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先日、ニュージーランド首相ジャシンダ・アーダーンが(写真上の中央)、赤ちゃん連れで国連総会に乗り込んだ。どれだけ多くの人たちが、そのニュースに小躍りしたことか。


ジャシンダ・アーダーンは、首相になったばかりのころ、「子どもをほしいですか」と聞かれて、「2017年の女性にそんな質問をするのはおかしい」と切り返した。そして妊娠、出産、育休、復職。そんな彼女の一挙手一投足に世界が目をこらす。


30代の女性が一国の政治のかじ取り役となれる国、かたや世襲議員から派閥の力学で首相が選ばれる国。国会に女性が40%座る国、かたや国会(衆院)にわずか10%しか女性がいない国。ニュージーランドと日本の現状には驚くばかりだ。


しかし、かの国の女性より、この国の女性がダメなわけではない。相違を際立たせている背景には「NZは比例代表制、日本は小選挙区制」という選挙システムの違いがある。


ジャシンダは、労働党員である。20代で国会議員に初当選した。


そもそも彼女は社会主義青年部の活動で頭角を現し、選挙区の労働党から立候補した。比例代表制選挙では、選挙区の各政党がつくる候補者リストの上位に登載されると、当選にむすびつく。お金も名声も地位もない若者でも当選が可能となる。選挙運動は候補者個人ではなく政党中心だから、候補者ひとり一人は、日本のような”ブラック企業”顔負けの選挙運動などしない。その結果、女性やハンディを持つ人も候補者に増え、議員にもなる。


「選挙が変われば暮らしが変わる」 のである。この4月、東京飯田橋で行われた国際シンポでは、ニュージーランドの選挙制度が詳しく報告された。参加できなかった人のために、以下の2ホームぺージに、当日の内容がアップされている。Aは主催団体のひとつ「全国フェミニスト議員連盟」、Bは協力団体のひとつ「さみどりの会」。


A 国際シンポジウム「選挙を変えれば暮らしが変わる」


B 国際シンポ「選挙を変えれば暮らしが変わる」

チラシ  

講演録

プログラム  

宣言文

報道記事 (毎日新聞、I女のしんぶん、朝日新聞)  

国際シンポ「選挙を変えれば暮らしが変わる」に参加して



【写真は、NZ大使主催「女性参政権150周年記念の夕べ」 にて接写】



女性に優しい政治をかなえる比例代表制選挙(NZ)

選挙制度は政治を根本から変えた(ニュージーランド)

 



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by bekokuma321 | 2018-09-26 12:48 | アジア・アフリカ

全国フェミニスト議員連盟(代表小磯妙子/ まきけいこ、事務局脇礼子)は、林文科相と野田

男女共同参画相あてに、9月14日、医大などの女性差別入試に関して意見を出した。


◆◆医大・大学医学部の女性差別入試をなくし男女共同参画推進を求める意見書◆◆


文部科学大臣 林 芳正 様

内閣府 男女共同参画推進特命担当大臣 野田聖子 様


全国フェミニスト議員連盟は、男女平等社会の実現をめざして活動する市民と議員の団体です。


去る8月、東京医科大学が入試において、女性受験生を合格しにくくするよう得点を不正に操作していたことが判明しました。


国内外に批判が沸き起こり、文部科学省が全国81大学の医学部を調べたところ、過去6年間、毎年、6~7割の大学で、男性の合格率が女性の合格率を上回っていました。すなわち男性の合格率は、女性の平均約1.2倍であり、順天堂大1.67倍、東北医科薬科大、昭和大1.54倍、日本大1.49倍、九州大1.43倍など、その他の大学においても不自然な実態が明らかになりました。


女子合格者数を減らすための得点操作は、性差別の禁止(憲法第14条)、性別を問わず等しく教育を受ける権利(憲法第26条)、職業選択の自由(憲法第22条)を保障する憲法に違反します。さらに教育基本法第4条の「教育の機会均等」に明確に反します。


また、法的拘束力を持つ国際文書「女性差別撤廃条約」は、第1条で「女性に対する差別とは性に基づく区別、排除又は制限」と規定しており、これは、ただちに是正すべき女性差別にあたります。第10条「教育における差別撤廃」に向けて「遅滞なく」具体的措置がとられるべきです。


中には、長時間労働や宿直に耐えうるのは「男性医師」であるとの意見もあります。しかしながら、それは、女性が家事育児負担をして当たり前とする固定的性別役割分業の押しつけや家事育児を女性に任せて長時間労働を当たり前とする男性の働き方を当然視したものです。こうした現状追認こそ、「女性差別撤廃条約」が懸念する固定的性別役割分担意識の表れであり、実際に日本政府は、女性差別撤廃委員会から「懸念表明」を幾度となく受けてきました。


OECDにおける医師の女性割合 を見ると、加盟国平均で約4割です。しかし日本では女性は全医師の2割しかおらず最低です。どの国でも年々女性医師の割合が伸び日本も例外ではないものの、日本の伸び率は極めて低く深刻です。労働時間の短縮、短時間勤務の導入、保育施策の充実など、他国に学びながら、女性医師が働き続けられる環境整備こそ、急務です。


よって私たちは、東京医大をはじめ医科系大学の入試における女性差別に抗議すると共に、以下のことを強く求めます。


1)疑念が指摘される今回の調査結果について、厳密、厳正な追加調査、訪問調査を徹底して実施し、その結果を詳らかにすること

2)すべての医大、医学部の入試における女性差別防止のための対策を講じ、その行動指針を示すこと

3)女性が働き続けられる環境改善をはじめとする男女共同参画施策のより一層の推進を図ること



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▲女性差別が暴かれるまでPRしていた東京医大の講演会。内閣府男女共同参画局の共催



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by bekokuma321 | 2018-09-24 23:54 | その他

国連安全保障理事会の非常任理事国メンバーは選挙で選ばれる。次期メンバーにノルウェーが立候補した。当選をめざして、皇太子が、この夏、ニューヨークまで出かけて選挙演説をしたという。


皇太子の選挙演説とはどんなものか。スピーチを読んでみた。


皇太子は、国連に貢献をした代表的ノルウェー人をあげて、ノルウェーのメンバー入りに賛同を呼びかけた。国連初の事務総長だったトリグブ・リーに言及するのは当然だろう。しかしリー事務総長よりも先にあげた名は、フリーダ・ダーレン(Frieda Dalen)という教員そして抵抗運動家だった。


皇太子は、彼女をこう紹介した。


「フリーダは、国連総会で演説した初の女性です。彼女は、第二次世界大戦中、レジスタンス運動に身を投じた人でもあります。彼女は、平和構築に女性を含めることの大切さを力説しました。彼女のこのメッセージは、72年後の今も依然として重要です」


オスロにある「抵抗の歴史博物館」(Norges Hjemmefront Museum)を訪問したことがある。そこには、ナチス・ドイツに占領された5年間のレジスタンス運動の証が展示されている。レジスタンス運動をけん引した団体のひとつが、教員組合だったこともそこで知らされた。高校教員だったころ組合の活動家だった私は、身近に感じると同時に、死の恐怖と闘いながらの地下運動に心から尊敬の念を抱いた(注)。その1人が、戦中、教員をしていたフリーダ・ダーレンだったのだ。


皇太子のスピーチは続く。


「フリーダが国連総会で演説したのは1946年でした。まだノルウェーは焼け野原でした。その後、数十年かけて、ノルウェーはゆっくりと包摂的福祉と民主主義の国になっていきました。強く独立した機関をかねそなえた国。持てる資源を持続可能な方法ですべての人々の利益のために使おうとする国。フリーダが生きた時代の人たちは、強固な国際機関なしには何事もなしえなかったでしょう。実際、その通りでした」


フリーダは、教員たちの秘密組織の活動家だっただけでなく、KKと呼ばれたノルウェー全土のレジスタンス運動の司令塔ともなる組織にもコミットしていた。彼女は、こうした違法行為によって、逮捕されてオスロ刑務所に投獄された。


強制収容所に連行されて亡くなった同志も多い中、生き延びて、国連で演説をすることになった女性教師フリーダ・ダーレン。それにしても、フリーダのような経歴の女性を初の国連代表に任命したノルウェー政府。その姿勢に脱帽してしまう。


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▲オスロのメインストリート。左側が国会議事堂。正面が王宮


博物館が明らかにするノルウェー国鉄 戦中の行い


【注】 「抵抗の歴史博物館」資料にもあるが、今ではネットで教員たちのレジスタンスの歴史が語り継がれている。それによると、ナチス・ドイツの傀儡政府は、ファシスト信奉を子どもたちに植え付けるため学校教育を変えようとした。まず教員組合をつぶすため傀儡教員組合をつくって、入会を強要した。しかし、教員の多くは入会拒否の署名をして応じた。怒った傀儡政府は、1000人以上の教員を逮捕。半数は北極圏にある強制労働所に送還した。学校はすべて閉鎖された。逮捕されずにすんだ教員たちは秘密裏に生徒に自主学習をした。親たちも傀儡政権に協力せずレジスタンスに協力的だった。Norwegian teachers prevent Nazi takeover of education, 1942





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by bekokuma321 | 2018-09-20 23:59 | ノルウェー

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▲女性参政権運動シンボルカラーの風船でいっぱい。NZ大使館天井

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▲「今日(9.14)はこんなに大勢の女性に囲まれて…」とNZ大使。隣はミセス。


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▲「女性参政権を獲得してから125年の歩みを…」と一等書記官


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▲女性参政権運動家、現首相、選挙で選ばれた初の女性首相、
総督、最高裁裁判長、女性初の国会議員(左上から右下へ)


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▲マオリの衣装でマオリのダンスを披露


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▲紫色で125と見えるように置かれたカップケーキに喜ぶ筆者


ニュージーランドが、世界で初めて女性の参政権を認めて125年になる。それを祝う会が、914日、ニュージーランド大使館で催された。


会場は、白、紫の風船で飾られていた。サフラジェット(suffuragettes)のシンボルカラーである。サフラジェットとは、女性参政権運動家を指す。19世紀、サフラジェットたちは、恐れられ、蔑まれ、憎まれ、ときには茶化された。逮捕・投獄された運動家も多い。それでも闘い続けたサフラジェットたち。そのおかげで、女性たちは政治に参加できるようになった。


ニュージーランド女性史を知るまたとない夕べであった。主催は駐日ニュージーランド大使夫妻。




125th Anniversary of Women's Suffrage in New Zealand(Youtube)

映画「サフラジェット」

92年前の今日、日本女性は参政権めざして大同団結した


2018.9.16更新】





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by bekokuma321 | 2018-09-15 14:05 | アジア・アフリカ

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1893919日、ニュージーランドの女性たちは、投票する権利を獲得した。


今年、ニュージーランドは、女性参政権125周年を祝ってさまざまなイベントを催している。たとえば、女性として初めて国会議員になったエリザベス・マコームスElizabeth Reid McCombs (18731935)を知らせるサイトがある。


エリザベス・マコームスは、1933年、ニュージーランドのリトルトン選挙区から当選した。当時は今の日本と同じ小選挙区制だったらしく、立候補者3人から当選したのはエリザベス・マーコムス1人。6344票だった。他の2人は各3675票、269票だから圧勝である。


しかしここに至るまでのエリザベス・マコームスの人生は平たんではなかった。


エリザベスは、アルコール依存症の父親とその妻の間に生まれた9人の子どもを抱える家庭に育った。その父が死亡したのは、エリザベスが13歳の時だった。その後、姉の影響で、女性の政治進出などを目標とする社会主義団体に入会。運動を続け頭角を現していった。結婚した相手も、熱心な社会主義者だった。


ニュージーランドの女性たちは、1893年に選挙権を獲得しても被選挙権はなく、立候補は26年後の1919年まで待たなければならなかった。エリザベス・マーコムスが立候補したのは、その9年後の1928年。労働党初の女性候補だった。しかし落選。再び1931年に挑戦するも、落選。3度目の挑戦でやっと当選した。


1933年の当選後、エリザベスは、国会で、女性の賃金差別解消など女性の権利獲得と福祉のために発言を続けた。しかしながら、2年後、病気のため死亡。若干61歳だった。


現在ニュージーランドは、首相、総督、最高裁裁判長、国会議員の40%が女性である。妊娠出産したジャシンダ・アーダーン首相が育休後に職務復帰したニュースは、世界中を沸かせた。


日本の女性参政権は1945年だ。ニュージーランドは日本より半世紀以上も前に女性参政権を獲得したのだ。エリザベスからジャシンダ、彼女たちとともに走ってきた数えきれない女性たちに心から敬意と感謝を! そして大きな声で「125周年、お・め・で・と・う!」


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Suffrage 125 events & celebrations (政府の女性参政権記念サイト)

夜をとりもどせ!(ニュージーランド)

国際シンポ「選挙を変えれば暮らしが変わる」報道2





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by bekokuma321 | 2018-09-14 10:27 | アジア・アフリカ

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USオープンで、大坂なおみは勝した。しかし彼女の表情は、6-2, 6-4のスコアで優勝したようには見えなかった。次々に流れてくるニュースによると、特殊な事態の下での優勝だった。大快挙を成し遂げた大坂なおみにとっても幸運な初優勝だったとはいえなかったようだ。


ファイナルの相手はセレーナ・ウィリアムズ。テニス界のスーパースターだ。USオープン優勝23回をはじめ数えきれないほどの偉業をなしとげてきた。


それだけではない。女性差別、黒人差別反対運動家でもある。しかも、昨年、念願の赤ん坊を産んだ。難産だったうえ、出産後、血栓をはじめ数々の病気を克服しての職場復帰に、ファンは大きな声援を送った。女性運動のメッカともいうべきニューヨーク、その郊外にあるフラッシング・メドウのテニスコートは、セレーナ・ファンで埋まった。


対する大坂なおみは、物心ついたときからセレーナの大ファン。試合前から彼女はそう語っていたそうだ。


今回、セレーナは3回の違反行為で大きく減点されたが、第1回目の審判が彼女の逆鱗にふれて、それが試合中ずっと後を引いたといえる。その1回目の違反とは、コーチは選手にコーチングをしてはならないとされているが、セレーナのコーチ(パトリック・ムラトグルー)がセレーナにコーチングしたというものだった。そう判定した審判に対して、セレーナは声を荒げた。


「私はコーチングを受けてない。不正はしていない。そう伝えるべきだ。私は、これまで一度も不正をしたことはない。私には娘がいる。謝罪すべきだ」


後にセレーナのコーチは、「コーチングをした」ことを認めたが、「彼女は見てなかった」とも続けた。しかも彼は、「みんなやっていることだ」とも。


このコーチングの有無は不明だが、それよりセレーナの逆鱗にふれたのは、テニス界の性による二重基準だ。女性差別と戦うことを公にしてきたセレーナは、「審判の基準が、男女で違う」と主張している。つまり、第一に、コーチングはよくあることであり、第二に、男性プレイヤーに対してコーチングがあっても見逃されて、こんなふうに厳格に違反だとされたことはなかった、というのだ。


コーチングを受けたとされた判定は間違いだとするセレーナの怒りはおさまらない。セレーナは、ラケットをコートに叩きつけた。それに審判は、2度目の「注意」を与えて1ポイントのペナルティとした。その審判行為に対してさらに彼女は怒り続けた。今度は、審判に対する言葉の暴力とされた。


セレーナは言った。

「これまで男子プレーヤーが審判に物言いをしてきたシーンを見てきた。私は女性の権利と平等のために戦うため、ここにいる」


テニス界の賞金に大きな男女格差があった時代から性差別撤廃に取り組み、男女同一賞金額達成に貢献したビリー・ジーン・キング というテニス界のレジェンドがいる。彼女のコメントは、秀逸である。私なりに和訳する。


「女性プレーヤーが感情的になると、ヒステリーと言われてペナルティを受ける。もし男性プレーヤーが(審判に異議を唱えたセレーナと)同じ事態になっても、彼は『ズバズバ言う人間』だと思われるくらいで、何の影響もなかっただろう。(女性に対してと男性に対してで対応が違う)二重基準である、と突きつけてくれたセレーナ・ウィリアムズよ、ありがとう。男女同一になるまでにはもっと多くの声が必要だろう」


さらにこんな提案をした。


「コーチングはすべてのテニスに認められるべきだ。そうでなければ、テニスプレイヤーが彼女のコーチの行った行動のために違反にされるという結果を生む。こんなことが起きてはならない」



Naomi Osaka defeats Serena Williams in dramatic final

ウィンブルドンの性差別










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by bekokuma321 | 2018-09-10 12:12 | USA


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ポ―ランドの民主化運動といえば、「連帯」。グダニスク造船所で働く人たちのストライキから始まった。ベルリンの壁崩壊、東欧の自由化のさきがけともなる歴史的革命だった。

その「連帯」運動を女性の視点から描いたドキュメンタリ映画が、今、ポーランドだけでなく欧米で話題になっている。上の写真は、そのドキュメンタリ映画のポスターだ。



「連帯」といえば、レフ・ワレサ「連帯」委員長をはじめ、立派な髭をたくわえた男たちが主導するストの写真。

「女たちよ、邪魔しないでくれ。俺たちは国のために闘っている」の落書き。

「連帯」非合法化が解かれた後の「円卓会議」で55名中女性が1人しかいない映像。
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真っ赤な「連帯」のロゴを背に映画『真昼の決闘』の保安官ゲーリー・クーパーが闊歩する1989年の選挙ポスター…。


女たちの闘いは、こうした記録のどこにも見えない。

でも、フェミニスト映画監督マルタ・ジード(1981~)は、「そんなはずはない」と考えた。取材を続けて、2014年、ドキュメンタリ映画『連帯、女たちによれば』を完成させた。

フェミニスト学者スワヴォミラ・ヴォルチェフスカ博士(クラコフDVシェルター代表)によると、映画は女性たちの目から徹底してあらいなおした「連帯」運動だという。くわしくは、叫ぶ芸術 ポスターに見る世界の女たち「第62回 連帯、女たちによれば」をどうぞ。














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by bekokuma321 | 2018-09-09 17:38 | ヨーロッパ