2025年 06月 07日
「全国フェミニスト議員連盟の誕生から現在まで」@国際婦人年連絡会
5月末、国際婦人年連絡会の招きで、「全国友の会」に出かけた。「今年は選挙の年なので、女性議員を増やす活動を続けてきた全国フェミニスト議員連盟について話してほしい」と、依頼を受けた。

全国友の会は、池袋から5分という素晴らしい立地にある。到着して、「あら、自由学園明日館と同じ敷地だ」とわかった。ともに羽仁とも子が創設したのだという。
というのも、昨年のちょうど5月、ノルウェーの祭りMaiSaiで、「人形の家」について、アンネ・ランデ・ペータースさんとトークをした場所が自由学園明日館だった。日本で「人形の家」が初上演されたのは20世紀初め。妻は夫の所有物とされていたころだ。そんな時代に、夫と子どもを捨てて家出をするノラが、舞台とはいえ、目の前に現れた。賛否両論。平塚らいてうでさえ、批判的だった。驚いたのは、自由学園を創設した教育者・羽仁もと子は、ノラの決意に共鳴する文章を残していたことだ。
昨年同様、自由学園明日館には今年もバラの花が咲いていた。その名もNEW DAWN(新しい夜明け)。
国際婦人年連絡会での講演は、「男女半々議会をめざして30余年:全国フェミニスト議員連盟誕生から現在まで」。当日の講演会の動画ができたので、全国フェミニスト議員連盟に関心のあるかたは、クリックしてどうぞ ➡https://www.youtube.com/watch?v=_gLDXNb0BCA
パワポ資料: フェミニスト議員連盟 誕生から現在まで スライド [PDF]
ここでは、主催した国際婦人年連絡会について、ひとこと。
国際婦人年連絡会は、今から50年前の1975年11月22日(土)、神田の共立講堂で結成された。全国フェミニスト議員連盟より17年早い。まとめあげたのは、女性運動家の市川房枝参議院議員。その当時のポスターを奈良喜代美さんからプレゼントされた私は、連載コラム『叫ぶ芸術――ポスターに見る世界の女たち 第100回』(2021年11月10号)でとりあげた。詳しくは、『叫ぶ芸術』Web版を。
同記事には、「冷たい雨が降るなか、全国から41女性団体、2300人が集まった。プラカードを手に壇上に勢ぞろいした女性たちの写真を、翌々日の朝日新聞が報じている」と書いてある。2300人とは! すごい動員力だ。
左派政党系の働く女性団体から主婦中心の団体まで、保革を超えての大同団結だった。「女性史上初の“快挙”」と記したのは読売新聞。
80代だった市川房枝委員長の下、1年がかりの準備を経てこぎつけた。市川房枝は、参議院議員4期目の女性運動家で、女性国会議員25人(衆7、参18)の指導的立場にいた。そんな彼女だからこそ、主義や立場の異なった団体をまとめあげられたのだろう。大会で発表された政治、教育、労働、家庭、福祉の5分野の実態報告と問題提起は、言いっぱなしにせず、実行委員会の手で政府の関係当局に提出されたという。
この3月、永眠した中嶋里美さんは、全国フェミニスト議員連盟の立ち上げにかかわって、一緒に初代代表を務めた。その中嶋さんから、生前、国際婦人年連絡会について、こんなことを聞いた。
「神田の共立講堂で開かれた日本大会には参加しなかったけど、後にビデオで見ましたよ。プラカードを持って、壇上に次々にあがっていく女性たちの姿が印象に残ってます。そうそう、市川さんからいただいた布巾を今も台所に掲げています。紺色の木綿の布巾に白抜きの文字で『権利の上に眠るな 市川房枝』・・・」
平塚らいてう、羽仁もと子、市川房枝・・・。男女平等を求めて闘ってきた日本女性たち。そのねばり強さ。歴史をたどればたどるほど胸が熱くなる。あの差別と抑圧の時代に、よくぞ、と思うことばかりだ。
無念なのは、この女性たちの力を公的政策立案に生かしきれなかった日本の政治である。だからこそ、全国フェミニスト議員連盟は、まだまだ頑張らなければならない。


