2024年 10月 14日
2024ノーベル平和賞とベリット・オース
被団協がノーベル平和賞を受賞した。
ノルウェー・ノーベル委員会の受賞理由を、NHKニュースから引用する。
「日本被団協は“ヒバクシャ”として知られる広島と長崎の被爆者たちによる草の根の運動で、核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」
「被爆者たちは個人の体験を語り、キャンペーンを作り出し、核兵器の拡散と使用に関して緊急の警告を発することで、世界中で反対する声を広めそれを強化するのに貢献してきた。被爆者は筆舌に尽くしがたいことを言い表し、考えることさえできないようなことを考え核兵器によって引き起こされた計り知れない痛みと苦しみを何とか理解してもらうのに貢献している」

ノルウェー初の女性の政党党首、元国会議員、オスロ大学名誉教授のベリット・オースBerit Åsが、このニュースを聞いたら、どれほど喜んだことだろう。ベリットは女性解放運動の先駆者、そして「軍需産業への投資をやめて貧しい人たちへの食料に使え」と訴えて50万人の署名を集めた平和運動家のひとりでもあった。
残念ながら、朗報を知ることなく、つい先月、96歳の生涯を終えた。
ノーベル賞に推薦された数多くの個人や団体が、どのような基準や経緯で最終的に選ばれるかは公されない。だから、実際どうだったのかは誰にもわからない。
ノーベル平和賞は、ノルウェー・ノーベル委員会が選考決定する。委員長はヨルゲン・W・フリードネス。昨年まで、ウトヤ島再生プロジェクトの責任者として、ノルウェー全土を回って、犠牲者の家族や生存者の話に耳を傾け、再建に心血を注いだ若者だ。委員会に候補者・団体を推薦できる人は限られていて、ベリット・オースは、その一人だった。
そのベリットが、2003年から2004年ごろ、ノルウェー・ノーベル委員会に対して広島・長崎の被爆者たちが平和賞にふさわしいとする推薦文を書いたことを、私は知っていた。
ベリット・オースは、2003年5月16日、初来日した。滞在期間はわずか1週間。名古屋市、高知市、武生市(現越前市)、豊中市の4か所で、日本女性を励ます講演をした。「広島の平和記念資料館と原爆ドームを見たい」と熱望するので、新幹線で広島にお連れした。私は、通訳兼アテンドとして全行程を同行した。
広島では、平和記念資料館、原爆ドーム(写真上)、そして、広島市役所で秋葉忠利広島市長と面談をした。秋葉市長は、核兵器廃絶への熱い思いをベリット・オースに語った(写真下)。広島からの帰路、ベリット・オースは私に「広島市長は私がノーベル委員会に推薦する資格を持っているとわかっていて、私に大きな宿題を出した」と言った。
帰国後しばらくして、ベリット・オースは私に、「マリコ、宿題を成し遂げた」と言ってきた。つまり、ノーベル委員会に推薦文を書いて提出したのだった。
他にも、日本被団協の長年の活動について推薦した人がいたかもしれないが……、ベリット・オースの、平和にかける熱意、社会的弱者への比類なき共感、説得力に満ちあふれる文章を知っている私は、この受賞決定にベリット・オースの神通力が味方したに違いないと、ひそかに思っている。

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