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ウトヤ島2:ファシズムへの抵抗

テロの現場ウトヤ島へ

20239月21日、冷たい雨の日、ウトヤ島へ向かった。あの、ノルウェー史上最悪のテロ事件の現場である。


国会議事堂前を通ると、先住民サーミの赤いテントが見えた。風力発電施設はトナカイ放牧の妨害だと抗議をしていた。あきらめず抵抗運動を続けるサーミ。取材したい気持を振りはらって「今日は念願のウトヤ行きだ」とバスに乗った。


雨と霧でバスの窓から見える景色は単調だった。ウトヤ島までの1時間、ウトヤ事件のこと、私の身に起きたことがいろいろと頭に浮かんだ。


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極右の標的は社会民主主義政党

ノルウェーのテロは、2011722日に起きた。犯人は極右思想にとりつかれた白人男性。彼はイスラム系移民が増えるとノルウェーが崩壊すると思い込んで、移民に寛容な政策を掲げる社会民主主義政党の労働党を狙い撃ちした。当時、労働党は連立政権の中枢にいた。まず首相執務室のある官庁ビルを爆破。その後、元首相が来ていたウトヤ島で無差別殺戮をした。


労働党青年部の島

ウトヤ島は労働党青年部が1950年から所有する。ここで青年部は、毎夏、政治的力を養うキャンプをしてきた。2011年の夏も充実した5泊6日を過ごすはずだった。多くは10代。日本人には信じられないだろうが、大勢が2カ月後の地方選に立候補していた。


メディアによると、死者77人、負傷者数知れず。しかし、犯人が標的にした首相ストルテンベルと元首相ブルントラントは無事だった。首相は首相執務室にいなかった。元首相は、サマー・キャンプでのスピーチを終えて島を離れていた。


反多文化主義、日本崇拝

犯人は、進歩党の党員だった。進歩党は、クオータ制に反対し、反移民政策を掲げる政党だ。極右政党と呼ぶメディアもある。だが、数年後に進歩党の政策が生ぬるいと彼は離党した。日本との関係で言えば、彼は、ネット投稿で、日本を「反多文化主義の国」のひとつとして讃え、当時首相だった麻生太郎を、会いたい人のひとりにあげている。


最高裁で勝訴した裁判を振り返って

テロ事件のニュースは世界をかけめぐった。ノルウェーをよく訪問する私を知る人たちは「大丈夫? ノルウェーにいるんじゃないの?」と私に連絡してきた。


当時、私は日本にいた。最高裁から勝訴確定を知らされて、うれしさもつかの間、7年にのぼる裁判の意義をまとめようとパソコンに向かっていた(三井マリ子・浅倉むつ子編『バックラッシュの生贄』として旬報社から2012年刊行)。


裁判は、豊中市男女共同参画推進センター「すてっぷ」の館長職を解雇された私が、豊中市やすてっぷ財団相手に「これは不正だ」と訴えたものだ。


60人以上の応募者から選ばれて初代館長に就任した私は、誠実に仕事を続けていた。そこに「体制強化」と称する組織変更案が、突如、上から降ってきた。その背後には、男女平等を毛嫌いする議員などによるバックラッシュ(反動)勢力の攻撃があった。


「フェミニズムは家庭を破壊し日本を腐食させる」

この人たちは、議会で、「フェミニズム運動は家庭を破壊し、日本を腐食させる」とする右翼学者の言い分を読み上げては行政を攻撃した。また、「(すてっぷライブラリーの)一方的思想を植えつけるような本は、即刻廃棄すべき」などと焚書要求。彼・彼女らの忌み嫌う男女平等の拠点が「すてっぷ」だとして、「『すてっぷ』は三井カラーにそまっている」と非難した。一方、バックラッシュ議員の周辺にいる市民と称する人たちは、私の講演を妨害したり、私を貶める嘘の噂を流したり、私の誹謗中傷をビラやネットで広めたりした。


日本会議、在特会、統一教会

バックラッシュ勢力は「日本会議」と深いかかわりを持っていた。日本会議とは、「日本最大の国粋主義組織」(ニューヨークタイムズ)だ。バックラッシュ議員の選挙参謀を務める男性は、日本会議推薦国会議員山谷えり子をたびたび豊中に迎え、活動を共にしていた。彼は、「在特会」関西支部長でもあった。在特会とは在日特権を許さない市民の会のことだ。


さらに、豊中市長は、大阪府議会議員時代、「勝共連合」の「豊中支部長」だった。もう一人、豊中市を選挙区とする衆院議員(民主党)は、過去に「勝共推進国会議員」だった。勝共連合とは、「統一教会」の政治部隊をさす。提訴しなければ知ることはなかっただろう。


こうした政治的圧力に屈した行政は、手の込んだ手法で私を放逐した。


政党の歴史をウトヤで知る

ノルウェーに話を戻す。


私の乗ったバスは、1時間ほどしてウトヤ島の最寄り駅に到着した。ここからウトヤ島にはフェリーしかない。あの日、警察官になりすました極右テロリストも、これに乗って島に上陸した。


フェリーを降りると、案内役のマリアが岸で待っていた。赤い外観の建物に入った。労働党青年部の長い歴史が、過去の写真パネル展示を通して、わかりやすく示されていた。後に首相や大臣になった政治家たちの青春時代の顔も見える。


外に出ると、ウトヤと書かれた野外演説台があった。前に広がる芝生のスロープは自然の階段教室のよう。若者たちは、草むらに座ってスピーチを聞き、討論を交わすのだという。


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「フェンスで護られた家(Hegnhuset)」と呼ばれる新しい建物の前で、マリアは説明に力を込めた。


69本と495本のポールがまもる喫茶室

「建物の屋根を69本のポールが支えています。亡くなった人たちです。その外側を守るのは495本の細めのポール。生き延びた人の数です。あの日は雨がひどくて、多くは、ここの喫茶室に集まってました。そこに犯人が現れて次々に銃殺しました。この建物の内側には、喫茶室がそのまま残されてて、銃弾の跡が壁に見られます。撮影禁止です」


凄惨な殺戮の場となった喫茶室をすっぽり包むような構造に、建設者の哲学を見るようだった。


現在、この「フェンスで護られた家(Hegnhuset)」では、ノルウェーだけでなく、ウクライナやリビアなどから若者たちがやって来て、平和や民主主義についてワークショップを行っているのだという。その数、年15000人。


森の中の「恋人たちの小道」に向かった。後ろは鋭い崖だった。ここから冷たい湖に飛び込んだ人、逃げ場を失って銃の嵐に倒れた人・・・。島で最も愛にあふれた場所が地獄と化した。



追悼の碑

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その横に追悼記念碑があった。


犠牲者の名前と享年が彫られた金属製の丸い筒が、周りの大木からつるされていた。これなら誰が1番目でも、69番目でもなく、誰もが平等だ。


「テロ襲撃と大量殺戮の現場を、知識、議論、抵抗の場に変えた」中心人物は、ヨルゲン・W・フリドネス Jørgen W.Frydnesノルウェー全土を回って、犠牲者の家族や生存者の話に耳を傾け、再建に心血を注いだ。


案内役のマリアは「ヨルゲンは、先日、12年間の職務を終えました」と私に告げた。


ノルウェーのテロと日本のフェミニズム憎悪に共通するもの

ノルウェーのテロと私の解雇――2つは、まったく関係のないように見える。だけど、その背後にファシズムという共通項がある、と私は思う。ノルウェーの犯人は、イスラム系移民が増えると社会が滅ぶという妄想にとらわれていた。私の解雇に至らせたバックラッシュ勢力は、フェミニズムは家庭や社会を滅ぼすという妄想にとりつかれていた。


ウンベルト・エーコは、ファシズムの特徴をこんなふうに書いている。「知的社会に猜疑心を抱き」「女性や弱者を蔑視し」「対立する意見に耳を貸さず」「人種差別的で」「陰謀の妄想に取りつかれ」「平和主義を悪とし」「伝統を崇拝する」『バックラッシュの生贄』 p223)。


ノルウェーの社会民主主義政党を襲撃したテロリスト、フェミニスト館長を職場から放逐したバックラッシュ勢力は、まさにこの特徴を備えていた。


そして今、ノルウェーはファシズムへの抵抗と民主主義再建の道を選んだ。


日本はどうか。


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【写真:上から順に】
①フェリーを降りると見える白い館はオフィス。ウトヤ再建の拠点となった。 ②「フェンスで護られた家(Hegnhuset)」に向かう  ③円筒の形をした追悼記念碑(Utøya – – Et sted som engasjerer (utoya.no)より)  ④訪問した日もノルウェー各地の中学生が民主主義を語り合っていた  ⑤当時23歳だったサバイバーEivind Rindal (左)はウトヤ事件の語り部  ⑥二度と繰り返すな722日/安らかに眠れ/ノルウェーの悲しみにともに向き合え/決して忘れるな  ⑦案内役のMaria Moen Østby(ウトヤ島スタッフとして雇用されている)




by bekokuma321 | 2024-08-03 14:31 | ノルウェー