2024年 05月 17日
ノルウェー憲法記念日にあわせた「マイ祭MaiSai」に行ってきた
5月11日、ノルウェー・フェスティバル「マイ祭MaiSai」に行ってきた。
ノルウェーの憲法記念日は5月17日。この日にからめて、自由学園明日館で行われた。ノルウェーといえば幸福度が高い国。女性はもちろん、障害者も健常者も高齢者も若者も、シングルも既婚者も平等に近い国。一方で、暗く寒い季節が長い。
午後、講堂で、ノルウェーの著名な作家イプセンの「人形の家」のファイナルが上演され、イプセン専門家で翻訳家のアンネ・ランデ・ペータースさんと三井マリ子さんのトークがあった。
アンネさんは語るーー
イプセンは、妻の影響を受け、「人形の家」の結末をノラの家出でしめた。しかし、ドイツでノラを演じることになった役者が「子どもを捨てて家を出ていくなんて演じられない」と、拒否宣言。やむなく、イプセンは2通りの結末を作ったという秘話があった。しかし、しだいに「家を出ないバージョン」は自然に姿を消し、「妻が自立をめざして家を出る」バージョンが残ったという。
アンネさんは、イプセンが「人形の家」を出した当時、ノルウェーでも、既婚女性は、仕事を持てない、財産を持てない、借金もできないなど大変な差別の中にいたと言った。もちろん、女性は大学にも行けず、選挙権もなかった。
またアンネさんは、イプセンの息子の回想録を引いて、「カミラ・コレット(ノルウェーの元祖フェミニスト)は、イプセンと意見があわなかったが、イプセンの妻はカミラ・コレットと同じ意見だった。徐々にイプセンが、妻の言い分に影響されたのではないか」と、話してくれた。
そして日本は。
日本女性の生きづらさ、子の産みにくさ、は「ジェンダーフリー」「男女平等」「イクメン(イクウィメンはないじゃん)」などのワードが当たり前になっても、解消されてない。とはいえ、イプセンの「人形の家」が初演された明治時代と比べれば日本女性の地位は変わってきた。
三井さんは、「クォータ制や比例代表制を」と女性議員を増やすために長らく運動してきた。そもそもは、ノルウェーの女性首相が女性の割合が4割の内閣を組閣したことを紹介する新聞記事に驚愕して、「日本の現状を変えねば!」と立ち上がったのだという。
三井さんのトークは、「私の驚愕より100倍以上も驚愕した女たち」に移った。それは、『青踏』に集まった女たちだという。100年以上前、日本で「人形の家」が日本で初めて上演された。その少し前、日本に「青踏」という婦人月刊誌が誕生した。平塚らいてうが編集長で、女性による、女性の雑誌は、日本で初めてのことだった。
青踏の女たちは、「人形の家」を見て衝撃を受け、その感想を翌年の新年号で特集を組んで発表したのだという。その特集は、根強い男性優位・ミソジニーによって、からかわれ、非難の的となった、と三井さんは紹介した。
今の私にもできることはある。「自分はどうするか」を軸に、日々の営みを続け、ときにアクティブに社会に働きかけることが大切なのではないか、と思った。
古怒田 悦子
【写真上:重要文化財の自由学園明日館。写真中:講堂でのトーク。 写真下:サーモンなどノルウェーフードも用意された。古怒田悦子撮影・提供】
【注:録画をご覧になりたいかたは「持続可能な幸せにつながる平等社会への道のり」2024年5月11日(土)マイ祭@自由学園明日館 (youtube.com) 】



