2024年 02月 06日
行動を起こす女が明日を創るーー「叫ぶ芸術」を読んで思い出す”私の来し方” by 古田励子
■■■■■■■ 三井マリ子さんへの手紙 私の来し方 ■■■■■■■
「叫ぶ芸術」をいつも愛読しています。とくに今月号(2024/2/10)は、読みながら、自分の子どもの頃と勉学について、改めて思い起こさせられました。見出しの「男女平等教育こそ平等社会への道(フィンランド)」は言い得て妙です。これが本になったら、ベストセラーになるでしょう。
■何のために学ぶのか
私たちは何のために勉強するのでしょう。私腹を肥やし贅沢三昧の権力者になるためでしょうか。身を立て名を上げ郷土に錦を飾るためでしょうか。いえいえ、そんなのは美しくありません。
この世から不幸を無くすために学問はあるのです。小学校5年生のとき、富山市へ修学旅行にゆきました。そのときに『ナイチンゲールの伝記』を買いました。帰宅して涙を流して読みました。

5ヶ国語ができたナイチンゲールは、その語学力を生かしました。戦地で、敵国のロシア兵を自分の病棟のベッドに運び入れます。やがて死を迎える若い兵士が、故郷の母に手紙を書いてほしいとナイチンゲールに頼みます。ロシア語も堪能な彼女は、その兵士のために代筆します。この場面で、少女の私は嗚咽しました。子どもだった私は「私も勉強してこんな人になりたい」と思いました。
あの頃は田舎では受験戦争なんてなかったけれど、ナイチンゲールのおかげで、私は良く学校の勉強もしたし、熱心に読書もしました。担任の先生も良かったのですが、私は本当に勉強し、頑張りました。飲み込みがよいとは言えなかった私ですが、ひたすら真面目に頑張るので、成績は良かったのです。
■ナイチンゲールへの憧憬
大人になって行く過程で、あるいは世の荒波の中を生きて、ヨレヨレになることもあった私ですが、底流にナイチンゲールへの憧憬がありました。いや、実は今もなお、あります。
『ナイチンゲールの伝記』には、晩年、「私は寂しい」と彼女は言った。お付の人が「全世界があなたをたたえて愛しているのに何故?」。彼女は「私には夫も子どももいない…」と言うような内容もありました。私は、特別な人でも、家庭が必要なのかな、そんなものなのかなあと、子ども心に思いました。彼女には、言い寄ってくれたすばらしい男性がいました。けれど礼拝所で、ゆくべき道に迷って、祈った時に光が差してきて彼女のゆく道を指しました。それで結婚を諦め、看護の道にゆくことに決めたのです。とはいえ、あくまで、伝記を書いた作者の言葉ですから、事実が正確に伝わっているかどうか分りません。細かいことは忘れてしまったのですが、兵士の母への代筆。不眠不休の看護。最晩年の寂しさーーその3点は忘れられないのです。
■一人の真実のある人がそれを鮮明に掲げると周囲は動く
NHKテレビで、少し前、ナイチンゲールのドキュメントをやっていました。それによると、彼女は数学や科学の知見も素晴らしくて、今の看護学、医学の基礎となることを計画実行したとか。すごいです。自立し解放された女性です。2020年はナイチンゲール生誕200年だったので、いろいろ特集があったようです。
日本国憲法第24条を書いたベアテ・シロタ・ゴードンにしても、環境問題を告発した生物学者レイチェル・カーソン、気候変動環境問題の活動家グレタ・トゥンベリも、一人の女性です。自己実現し、己の天才を開花させた人たちです。そんなことを、つくづくと思っています。一人の本物が世界を動かすのですねー。
一人だから駄目だではなく、本物の、真実のある人が世界を動かすのですね。誰もが必要とする、その必要性を鮮明に掲げると、周囲は動くのです。ざわめき伝わってゆくのです。
■面白くて愉しかった、受験に縛られない教職経験
まるで運命が私にご褒美をくれたように、高校教員を定年退職した後、66歳から6年間、看護科と福祉科のある高校で講師をしました。純粋で真面目な、質のよい生徒たちで、騒がしさなど全然なく、充実した幸せな教職生活でした。古典と国語表現と現代文の担当をしました。その学校は医学と看護、福祉の勉強と実習がメインで、国語は受験科目ではありませんでした。なので、結構自由に教材を選んだり、進度に縛られず、良心的に思いを込めて授業ができました…。
現代文では、泉鏡花の高野聖や、吉川英治の新平家物語などを。国語表現では、例えば新聞の切り抜き(朝日新聞)を生徒の枚数分を印刷して教材にあてました。シリーズ高齢社会です。日本をはじめ、韓国やスウェーデン等各国の高齢者の生活を取材したシリーズで、経済・孤独・健康の3Kが高齢社会の問題点であることが浮き彫りにされていました。
兎に角、生徒たちにどんどん読ませて概要を捉えさせる、そして印象的な場面を書かせるなど、をしました。国語表現は本当に面白くて、教員である私の方も随分と勉強になりました。古典は初歩の徒然草など…。自分にあたわった能力を平和のために使うこと。人間の様々な面を歴史的にも知ること。ここに書ききれませんが、愉しかったのです。
■山形で苦しい思いを吐き出して
連想して、思い出したことがあります。1977年、私が34歳のとき、第2回全国高校女子教育問題研究会の山形大会がありました。基調講演はもろさわようこさんでした。私は、もろさわようこさんの『おんなの歴史』を読んで、いたく感動していたので、ぜひ、もろさわさんに会いたいと思って、1歳半の末っ子を家に置いて参加したのでした。
分科会は、誰も知らない人ばかり。私は、思い切って本当の自分の苦しい思いを吐き出しました。その分科会にいたのが三井マリ子さんでした。
その後、しばらくして、三井マリ子さんから私に手紙が来たのです。「貴女は解放された女性です…『国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会』に入会しませんか」という内容でした。
それから、それから。私は、行動を起こす女たちの会のメンバーになりました。1985年にケニヤのナイロビで開かれた国連の世界女性会議にも参加したし、マリ子さんの選挙応援演説に杉並にも行きましたね。
■能登原発反対の「なまこの会」で12万の署名
この度の能登半島地震で、珠洲に原発がつくられなくて、本当に良かった! と思っています。
チェルノブイリ原発事故(1986年)の後、私は、能登原発反対の「なまこの会」に参加しました。私の宛先で、全国から12万の署名を集めました。
反対署名の話になったとき、運動の中心になったお寺の檀家に北陸電力の偉いさんがいるとか、関係有力者が親戚だとか・・・で、代表名を出すことに尻込みをする男性が多かったのです。私にはそんなしがらみが全くありませんでしたし、社会的にあまり重要視されない女性という性でした。そんなことが重なって、私が署名の宛先になりました。12万の署名は、北陸電力に提出しました。
珠洲市の原発誘致の動きは1970年代からありました。「珠洲市に1000万キロワットの一大原発基地を」と関西電力社長は言っていました。その一方、すでに70年代末には、珠洲原発反対連絡協議会(地区労など)ができ、原発反対の動きは80年代には活発になりました。
私たちは、珠洲市役所に乗り込んだり、各家庭へビラ配付などしました。すごーい盛り上がりでした。こうして2003年、珠洲市の原発構想はつぶれたのです。若い日の行動を今更ながら思い出して、頭を撫で撫でしています。
思い出せば色々と…「行動を起こす女が明日を創る」のスローガンはいまも私の中に息づいています。わが人生にマリ子さんあり、でした。
■平塚らいてう、お釈迦様
大好きな「平塚らいてう」の文章に、「人間解放とは潜める天才を開花させること」という趣旨の言葉があります。三井マリ子さん、貴女は、私にとっては、ナイチンゲールや平塚らいてうの精神を、(そこまで有名ではないけれど)具現化している人なのです。貴女は、自分を頼み、自分の内心に嘘をつかず、堂々と闘って生きて来た。私は貴女の見識に脱帽します。
お釈迦様の臨終の言葉
「自己を灯明とし
自己を頼りとして生きよ
他に頼ってはならぬ
諸行は無常である
すべからく努力せよ」
が、私の心の柱にあります。自分を開花させるということに通底していると思っています。私は、生徒たちにも、自分の子どもたちにも、そう教えてきました。
■行動を起こす女が明日を創る
私の中では、今でも貴女は、初めて会ったころの20代のマリ子さんです。強そうなことを書きましたが、私も80に手が届き、現実の私は、頭も体も衰えを感じることがあります。こんな心の奥のことを書くのは恥ずかしいのですが、勢いに乗って書いてしまいました。マリ子さんは、まだ頑張り時ですよ。悔いなく存分に生きて下さいね。応援しています。
「行動を起こす女が明日を創る」
お休みなさい
古田 励子 (石川県七尾市民、元高校教員)

