2023年 09月 22日
あれから12年 ウトヤ島に足を踏み入れて
あれから12年たった。ここオスロ近郊のウトヤ島で、2011年7月22日、10代の若者たち等69人(全体で77人)が殺害された。
ノルウェー労働党青年部が主催する恒例のサマーキャンプ、その真っ最中だった。笑い、歌い、学び、議論しあう若者たち。7月22日も、そのはずだった。
午後、オスロ市官庁街で爆発があったというニュースがはいってきた。予定はすべてキャンセルされた。とはいえ、若者たちは、「オスロ市内と違って、ここは、もっとも安全な島だ」と信じていた。心配する親たちからのスマホにも、そう伝えた。
若者たちは、島のあちこちを散策し、集い、笑い転げていた。そこに不審な銃声。犯人はすぐ近くにせまっていた。必死に逃げた。ここは「恋人たちの小道」(↑)。その後ろは鋭い崖になっていて、大勢の若者たちは逃げ場を失った。犯人は、銃を乱射し続けた。島で最も愛にあふれた場所が、地獄と化した。
事件が伝わる前から雨が降りだしたため、カフェーにはいってお互いを温め合う人たちが増えていた。そこに、殺人犯がやってきた。逃げ惑う若者たちに銃をつきつけ、次々に殺戮。その弾丸の跡が今も生々しく残る唯一の場所がここだ(↑)。実際の事件の現場となった建物をそのまま生かし、それを囲むように新しい建物が建てられた。屋根を支える69本の柱。その周りの495本のポールは、生き延びた人たち。亡くなった友をいたわっている。
現在、ここは民主主義を学ぶ場となっている。
私がウトヤ島を訪問したのは9月21日。ノルウェーのさまざまな中学高校から3人ずつ応募した生徒たちが、3日間の合宿をしていた(↓)。民主主義を学ぶためだという。たまたまキャフェテリアには、生徒や先生、事件の記録を伝えるガイドが集っていた。「日本をもっと民主主義あふれる国にしたいので、ここに来ました」と中に入ってあいさつした。すると、ただちに生徒たちは、拍手で応えてくれた。こぶしをふりあげて闘いのサインを示した生徒たちもいた。
キャフェテリアを出たら「日本から来たと聞いて、直接お話したくて・・」と駆け寄ってきた男性がいた。「僕は実は7月11日のサバイバーなんです。あの日のことを伝えることが生きている僕の義務だと考えて今日も中高生に話しています」
彼の名はEivind Rindal。7月22日、何人もといっしょにボートに乗って、対岸に漕ぎ出した。その途中、犯人の銃弾がボートにあたった。が、逃げ切った。生々しい証言に震えが止まらなかった。
ノルウェー史上最悪のテロ事件の犯人は、反イスラム、反多文化主義を信奉する極右の白人男性だった。労働党青年部のサマーキャンプを襲ったのは、難民や移民に寛容な政策をとる労働党を許せなかったからだと、裁判で犯人は言った。
9月21日、ウトヤ島からの帰りに乗ったフェリーの足場にこんな言葉が書かれていた(一番上の写真)。詩人フローダ・グルッテン(Frode Grytten)が捧げた詩の一節だという。震えてなんかいる場合じゃない、とガツンとやられたような気がした。
「さあ、目を覚ませ、世界を変えるんだ Hey, hey, time to get up and change the world」
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