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男女同権を土佐の片隅で要求し続けた女性・楠瀬喜多の墓

20211126日、楠瀬喜多18361920の墓参りをした。楠瀬喜多は、日本初のサフラジェットSuffragettes。行政に対して初めて女性参政権を書面で要求した偉大な女性だ。


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▲楠瀬喜多の墓(高知市塩屋崎町、2021/11/26)


楠瀬喜多の墓があるという高知市塩屋崎町2丁目にタクシーを飛ばした。降りる時、運転手さんが「この山、きついですよ、登れるかな」と心配した。「スニーカーですから大丈夫」と返した。「滑りやすい斜面」「マムシなどに注意」と書かれた地図を片手に、きつい斜面にくねくねと続く細い道を恐る恐る上った。右方向に曲がってしばらく歩いたら上の方に、楠瀬喜多の墓石を見つけた。草木のはえかたや土の様子から墓参者はほとんどいないことが察せられた。


ここに眠る楠瀬喜多は、今から140余年前の1878(明治11)年、次のような文章をしたためて、高知県に提出した(注)


「戸主である私には納税義務があります。それなのに選挙権も保証人になる権利もありません。権利と義務が両立していません」


「こんな取り扱いは不正ではありませんか。私には納税する理由はないと考えます」


「不服を申し出たら、役所から『男にある兵役義務が女はないので男女の権利は違う』とかえってきました」


「しかし、戸主は徴兵義務を免除されています。納得できません。私はますます不服を募らせています」


「男女同権ならば義務を果たします。男女同権なのか違うのか、わかりやすく答えてください」


なんとまあ真っ当な理屈であることよ。


楠瀬喜多は、4年前に夫に先立たれて戸主となっていた。女性であるために選挙権のないことを不満に感じて、地租と地方税を滞納する妙案を実行した。役所から督促が来た。そこで彼女は、高知県へ申し入れすることを決めて、実行に移した。


県庁の返事は、納税義務を繰り返しただけで、肝心の男女同権はスルー。しかし、喜多は、あきらめなかった。次は、内務省に訴えようと企てていた。こうした楠瀬喜多の行動は広く新聞などで知られることとなった。しばらくして、自由民権運動の政治結社や学校に集った男たちによる、女性参政権を求める闘争が、土佐で起こった。そして、ついに18806月、土佐郡上町は、議会選挙法を改正して、女性への選挙権・被選挙権を認めた。小高坂村も続いた。楠瀬喜多の住む唐人町ではなかったものの、日本の歴史上初の女性参政権が土佐に花開いた。


書面による記録が残っていなかったら、明治11(1878)という昔に、高知県土佐郡に住む42歳の女性が、たった一人で女性選挙権を県庁に訴え出たなんて誰が信じるだろう。


幸いなことに、自由民権運動の闘士植木枝盛は「男女同権は海南の某一隅より始まる」と書いて、女性参政権の確立を讃えている(1881831日高知新聞)。また1990年4月10日には、寄付金を集めて有志が「婦人参政権発祥の地」として第4小学校正門横に石碑を建立した。説明に「楠瀬喜多」の名前が見える(写真↓)。


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           ▲婦人参政権発祥の地(高知市上町2丁目、2021/11/27)



高知市、高知県はむろん、日本政府は、世界で最も早く女性参政権を要求した一人である楠瀬喜多の業績と歴史的意義をもっと広く詳しく顕彰すべきだ。予算をつけるべきだ。彼女のたった一人の挑戦は、女生徒たちや若い女性たちを間違いなく勇気づけるだろう。


後ろ髪をひかれながら、ころばないようにゆっくりと墓地を下山した。スニーカーをはいててよかった。



【注】公文豪著『「民権ばあさん」楠瀬喜多小論ーー公文豪自由民権史論集ーー』(高知市立自由民権記念館友の会ブックレット No.8)を参考にまとめた。的確な説明と解説をいただいた自由民権記念館の筒井秀一館長、同記念館を紹介下さったポレール理事の木村昭子さんに、厚くお礼を申し上げる。



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         ▲自由民権記念館の「男女同権」の旗(2021/11/26)



【更新 表現の訂正と画像の追加をした。2021.11.30】

by bekokuma321 | 2021-11-29 16:47 | 日本