2021年 06月 17日
岡崎ひろみ「あのとき日本が変わった」GPRオンライン会合報告
6月16日、オンライン会合「あのとき日本が変わった」に参加した。
『さよなら!一強政治:徹底ルポ 小選挙区制の日本と比例代表制のノルウェー』 を読みながら選挙制度の理解を深めようというもので、衆議院議員だった岡崎ひろみさん(新社会党執行委員長)がゲストだった。主催は「楽しく比例制をめざす会 GPR」。
1990年、岡崎さんは社会党員だった。にもかかわらず党の公認を得られず無所属で衆院選に立候補せざるを得なかったが、当選を勝ち取った。2度目の衆院選は1993年。やはり無所属で「小選挙区制反対」を訴え続け、順位を上げて再選された。
当時、「政治とカネ」のスキャンダルで政治不信は高まり、「政治改革」が叫ばれた。それなら公職選挙法を厳しくすればよかったのだが、選挙制度を変えることにすり替えられ、小選挙区制選挙導入がすすめられた。
それまで小選挙区制反対だった社会党は、態度を変え、反対する議員には推薦労組や所属組織から次の選挙では応援しないと圧力をかけた。マスコミは、小選挙区制反対を言う人たちに「守旧派」のレッテルを貼った。
それでも岡崎さんは、小選挙区制になれば、一党が強くなるだけでなく、対抗する第二党も似たような政策になり、いずれ憲法を変えられてしまう、と考えて小選挙区制反対の立場を貫いた。
三井マリ子さんは『さよなら!一強政治』で、小選挙区制の「本当の首謀者は小沢一郎だったようだ」と書いている。しかし、岡崎さんは、経営者側の意向がはいった「民間政治臨調」が保守二大政党をめざして進めたのだと考えている、と語った。
1993年7月、細川護熙連立内閣は、山花貞夫社会党委員長を政治改革担当大臣にした。1994年1月21日、衆議院で可決された政治改革法は、参議院で否決された。両院協議会でも決着せず打ち切りとなった。
このままなら廃案というとき、土井たか子衆議院議長は、細川首相と河野自民党総裁のトップ会談をあっせんした。その結果、自民党案ほぼ丸飲みの修正案が可決した。土井議長のあっせんが小選挙区制度に導いた、といえる。
1996年、初の小選挙制による衆院選。岡崎さんの中選挙区時代の神戸市は4つの小選挙区に分けられた。各選挙区から1人しか当選できない。彼女は前回より票数を伸ばしたにも関わらず、落選した。
何度か北欧を訪れた岡崎さんは、北欧の高投票率に驚いた。それに比べ、日本の投票率の低さ。しかも小選挙区制導入後にぐっと下がったと指摘した。デンマークの高齢者施設の女性施設長の「私たちは闘ってきた。あなたたちも闘いなさい」という言葉を紹介して、「私はこれからも闘っていきます」と結んだ。
高開 千代子(徳島市)



