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祝!女性参政権75周年 初の女性代議士を生んだ選挙制度とは

戦後すぐあと1946410日。75年前の今日、日本女性は投票所に初めて足を運んだ。女性79人が立候補して39人が当選。全衆議院議員の8.9%だった。現在、衆院9.9%だから、情けないことに75年間ほとんど変わらない。


秋田でも1人の女性が衆議院議員になった。和崎ハル。シングルマザーの美容師だった。秋田市の川反という歓楽街で仕事をしていた。芸者さんたちは髪を結ってもらいながら彼女に身の上話をした。涙なしには聞けない苦労話ばかり。東北の貧しい農家に生まれた娘たちは、借金のかたに身売りされてきたのだった。


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和崎ハルは、社会の底辺であえぐ女性たちを何とかしなくてはと思い悩んだ。そのためには公娼制廃止をと心に誓った。当然ながら、政治に関心を寄せるようになった。知り合いの選挙運動を手伝った。その選挙で相手候補の政治腐敗を目の当たりにした。「女性が政治にはいって政治浄化を」と考えるようになっていく。久布白落美市川房枝を秋田に招いては、廃娼運動、婦選運動にのめりこむ。


19289月、秋田市で行われた「第1回 公娼廃止大演説会」で、久布白落美は、参加者1000名を前にして「昭和維新」と題する講演を行った。翌19298月、久布白は再び秋田入りして、秋田婦人連盟・矯風会秋田支部が共催する集会で講演。「公娼問題よりとき伏して、婦人参政権の必要なることを力説」した。これこそ、秋田県初の女性参政権要求講演会だった。さらに1932年、市川房枝らを招いて秋田市で東北婦選大会を開催した。当時、和崎は「婦選獲得同盟秋田支部長」だった。


1946年、日本女性は初めて政治に参加する権利を得た。和崎はその衆院選に挑戦した。雪の残る道をモンペをはいて演説して回った。10万票というダントツの得票でトップ当選を果たした。


しかし、和崎は翌1947年再挑戦するも落選だった。めげずに19493たび立候補。またしても落選した。3年間に3度も国政にチャレンジした、その挑戦魂には、ただただ頭が下がる。


落選した女性は和崎ばかりではない。日本全体で、女性立候補者・当選者は、194679人・39人、194785人・15人、194944人・ 12人と減っていった。女性が激減した背景には選挙制度の変化があると考えられる。まず大選挙区制(多数定数選挙区で、秋田は8人)が廃止されて中選挙区制になった。当初全県1区8人だった秋田は定数4人ずつの2つの区に分けられた。連記制も廃止された(定数10以下の選挙区は2人11以上の選挙区は3人を書くことができた)。


時は流れて1994年、中選挙区制は小選挙区制に変えられた。選挙区からたった1人しか当選しない制度だ。この選挙制の下、21世紀の日本は、国会議員(衆院)の女性割合で世界193カ国中166位、ジェンダー・ギャップ指数で世界156カ国中120位に転落した。強調すべきは、どちらの統計でも、上位にある国々のほとんどは比例代表制選挙あることだ。


見方によっては、日本の私たちの前にあるのは登り坂のみだ。そう、男女平等という希望の山をめざして一緒に、一歩ずつ上って行こう。


【写真 女性参政権70周年に興行されたわらび座のミュージカルポスター】

【上の記事は、久布白落実『女は歩く』、高橋喜久江『福祉に生きる 39 久布白落実』、久布白落実『廃娼ひとすじ』、武塙三山『和崎ハル』、和崎ハル自伝『私の歩んだ道』など多くの文献を参考にした。曾祖母が和崎ハルである高橋みどりさんを直接取材して聞いた話も含まれている】



「わたしの曽おばあちゃん」(初の女性代議士和崎ハル) : FEM-NEWS (exblog.jp)

日本の女性解放運動とノルウェー: FEM-NEWS (exblog.jp)

Global Gender Gap Report 2021 pdf

男女平等ギャップと選挙制度 : FEM-NEWS (exblog.jp)

比例代表制は男女格差を縮める(世界経済フォーラム2017)

女性議員増には比例代表制とクオータ制(IPU)

選挙制度は政治を根本から変えた(ニュージーランド)

女性議員増「比例代表制&多数定数選挙区で」 : FEM-NEWS (exblog.jp)




by bekokuma321 | 2021-04-10 14:29 | 日本