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山本作兵衛の描いた筑豊炭鉱の男女たち

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籠に石炭を入れる女性労働者。朝入坑したら夜まで、天井の低いトンネルで採掘した石炭を腰をかがめて集めては運ぶ。


アトヤマと呼ばれた女性たちだ。サキヤマと呼ばれる夫といっしょでなければ働けなかったという。一仕事終わると、男たちは酒たばこや賭博で憂さ晴らししたが、女たちには子どもの世話やおさんどんが待っていた。その過酷さは、とても言葉では表わせない。


写真は、先日、「飯塚市歴史資料館」で撮った。資料館には炭鉱画家・山本作兵衛のいくつかの作品(写真下人形(写真上)、当時の炭坑内の様子が再現されていた。


山本作兵衛は、1892年、飯塚生まれ。7歳から父について兄とともに炭鉱に入り、50年間、坑夫として過ごした。幼いころから絵を描くのが好きだったらしいが、66歳にしてはじめて絵筆を握ったのだという。彼の全作品は、飯塚市ではなく田川市に保管されている。


山本作兵衛の描いた炭鉱の絵は、2011年、ユネスコ世界記憶遺産に登録された。日本初の世界記憶遺産だった。そのおかげもあって、作兵衛の作品は国内外に広く知られるようになった。


ありがたいことに、ユネスコのウエブで、彼の絵はすべて見られる


彼の絵には女性労働者が多く登場する。「うそを一寸でも描くことが嫌い」と、山本は後年言ったというが、性別など無関係に奴隷のように酷使させられたのだ。姦通罪があった明治、大正時代だ。婚姻外の性交渉をした女性へのリンチは凄まじい。彼は、リンチされている女性をもリアルに描き、こんな添え書きを残している。やさしさがなければ、とてもこんな文章は書けない。


「一糸も纒(マト)わぬマツ裸かにされ主要街道の路ばたにキの字架に大の字に縛りつけられ、通行者はダレカレの差別なくそなえ付のムチで女の局部に一トムチあてねばならぬ。同情して柔く叩くと見はりの人事係が咎める。コラそんな叩きかたがあるか。斯うして搞けと、自分がたヽき本人にも又叩かせる。同情が仇になる。」 (注)


ユネスコは、彼の絵の偉大さをこうつづる。


「山本作兵衛コレクションは、明治時代後期から、筑豊の炭鉱業ではまだ産業革命が継続していた20世紀後期までの日本の発展状況を裏付ける私的記録である。当該コレクションは、素朴な絵画に説明が書き加えられた構成となっており、文字通り炭鉱の最前線で働いていた一人の男性が実際に体験した出来事を記述、描写した記録である。当時の日本について記述した文書は、政府や企業等の公式文書によるものがほとんどで、一人の労働者が作成した私的記録は非常に希少である。作兵衛の絵画には、公的記録では読み取ることができない当時の生々しさや臨場感がある。当該コレクションは、世界的に歴史的な重要性が高い時代を実際に生きた一人の人間の視点に基づく真正な記録である。」


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山本作兵衛氏 炭坑の記録画

UNESCO山本作兵衛コレクション (英語)

熊谷博子監督作品『作兵衛さんと日本を掘る』

地の底の声―筑豊・炭鉱に生きた女たち


【注:山本作兵衛の記録画「災害、リンチ」13番より引用。全画585の通し番号583】

【20190803 更新】


by bekokuma321 | 2019-07-16 16:29 | その他