2019年 03月 01日
麻生太郎と「女性ゼロ議会」
我が家の今夜の夕食は、ほっけの干物の焼き物。焼きながら、麻生太郎が首相だったとき言ったという「ほっけの煮つけ」思い出した。
先月、その麻生太郎の選挙区、飯塚市と直方市に行った。麻生太郎の顔(ポスター)がそこここにあった。
直方市の交差点には、彼を頂点にして、現職政治家のポスターが並んでいた。なるほど、麻生太郎のようなゴリアテも、選挙区ではこうしてポスター張りをしているんだな、と感慨深かった。
飯塚市には、麻生商事の営むガソリンスタンドがいくつもあり、その看板に、自民党政党支部代表・麻生太郎のポスターが張られていた。市内芳雄町には、巨大な病院があった。遠くからも「麻生 飯塚病院」という表示が見えた。市民は「とても評判のいい病院ですよ」と私に言った。
「麻生 飯塚病院」は、100年の歴史を持ち、医師311人、看護師1038人をかかえ、一日2000人近い患者が訪れるという。病院は株式会社麻生が建てたもので、「麻生グループ」のひとつだ。麻生グループは、病院だけではない。介護福祉士などを養成する専門学校、「麻生塾」傘下の学校コンツェルン、セメント会社、スーパーマーケットなど90社を傘下におさめる。町は、どこを見ても「麻生」、「麻生」、「麻生」。
昨年、財務省福田事務次官のセクハラが明らかにされたとき、麻生大臣が放った侮蔑発言に私はのけぞった。だけど、彼の差別暴言は今に始まったことではない。何年も前から何度も繰り返されてきた。
どうしてこれほど人をばかにし続ける"九州オトコ”が、衆議院選挙に13回も当選できるのか。理解に苦しんだ。
今回、選挙区に行って、彼の当選する"秘訣”をかいま見た。吉田茂を祖父に持つ世襲議員であり、「麻生城下町」の殿様なのだ。小選挙区制である限り彼の落選などありえないだろう。「次は息子が跡を継ぐらしい」と住民の一人が私に言った。日本の選挙は、家業を継ぐためにあるんだな、とふつふつと怒りがわいてきた。
麻生太郎の選挙区、飯塚市も直方市も、「女性ゼロ議会」である。これは決して偶然ではない。それを示すために、Moreに麻生のこれまでのあからさまな差別発言をまとめた。
「いかにも年寄が悪いみたいなことを言う変なのがいっぱいいるけど、それは間違いだ。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」(2019年)
「(女性記者は)ネタをもらえるかも、ってついていったんだろ?触られても仕方ないんじゃないの?」「(被害女性に)はめられて訴えられたのはないかなどと、いろいろな意見は世の中にはいっぱいある」「セクハラ罪という罪はない」「財務省担当はみんな男にすればいい」「福田の人権は、なしってわけですかぁ」(2018年)
「『自分で飲み倒して運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が支払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいことを言うなと思って聞いていた」(2018年)
「だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」(2014年)
「高齢者が悪いというようなイメージをつくっている人が多いが、子どもを産まないのが問題だ」(2014年)
終末期医療にふれ、「さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」「その金が政府のお金でやってもらっているなんて思うと、ますます寝覚めが悪い」(2013年)
「金がねぇなら結婚しないほうがいい。おれもそう思う。うかつにそんなことしないほうがいい。おれは金はないほうじゃなかった。だけど結婚は遅かった」(2009年)
「私は43で結婚してちゃんと子どもが2人いましたから、一応最低限の義務は果たしたことになるのかもしれない」(2009年)
江田五月参議院議長と会談した際、民主党を批判して、「ナチス・ドイツも『1回(政権運営を)やらせろ』と言ってああなったこともある」(2008年)
「夜、日比谷公園で女が一人で歩いている。考えられない。しかもそこそこの顔をしているやつでも襲われない。この国はやたら治安が良いんだ」(2006年)
「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」(1983年)