2018年 12月 10日
ノルウェーの小さな町で起きた性的虐待事件
今年のノーベル平和賞は、戦時下での性暴力と闘った2人に授与される。今夜、ノルウェーから2人はどんな演説を世界に発するのだろうか。楽しみだ。
戦時下での性暴力と同じではないが、日常生活の性暴力にも光があたった年だった。世界各国で「#Metoo」運動が起きた。日本でも、女たちは勇気をふるって被害を告発するようになり、メディアは被害にあった女性の話を真剣に取り扱うようになった。
ノーベル平和賞の国ノルウェー。その小さな町で数多くの性的虐待事件が起きた。その報道は衝撃的だった。
事件を短く言うと、こうだ。サーメ人が住むコミュニティで、多数の女性(男性も少数いた)が性的虐待を受けた。長年、公にされなかった。しかし、一人の被害女性がわが身に起きたことを詩で表現し、ネットで告発した。それを大手新聞社が調査して記事にした。記事を読んだ警察署長(女性)が敏感に、しかも迅速に反応した。彼女の決断が、捜査・書類送検・起訴へと進ませた。同時に、地域再生に向けて、政治も一肌脱いだ。
ノルウェーは世界の男女平等先進国だ。DV対策も日本とは比較にならないほど充実している。「なぜ、今頃、北欧ノルウェーで、こんな事件が」と思った。どのように紹介したらいいかと悩んでいたら、BBCがわかりやすいルポ(Linda Pressly記者)を、2018年3月に報道していた。
BBCを読んで、思った。かつて、日本の貧しい家の娘たちは、“女中”として他家(親戚や知人宅が多かった)に引き取られて住み込みで働いた。その家の“主人”が、“女中”の女の子を強姦したという話は枚挙にいとまがない。加害者である“主人”が断罪されることなどありえなかった。
性暴力の根絶は、被害者の告発でこそ前に進む。しかし、性暴力の告発は極めて困難だ。このノルウェーの事件は、告発を困難にしてきたさまざまな要因を教えてくれた。全文を和訳して紹介する。
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人口2000人の町に151件の性犯罪 (By Linda Pressly)
2000人の小さな町で151件の性暴力が起きた。子どもへの強姦事件も含まれていた。事件は、最近になって明らかにされた。1950年代から2017年まで、何十年にもわたるものだった。
なぜこれほど深刻な性犯罪が、長年、放置されてきたのか。ノルウェーメディアだけでなくBBCも大きく報道している。
ニーナ・イーヴァシェンを虐待したのは彼女の親類だった。ニーナはまだ子どもだった。それ以来、ニーナの毎日は恐怖と隣あわせだった。現在49歳となったニーナ・イーヴァシェンは、もう故郷チュスフィヨールに住んではいない。とはいえ、彼女はいまだに安心できない。
チュスフィヨール市は、900メートルのフィヨルドが際立った隔絶された町で、西側と東側に2分されている。2分された土地の交通はフェリーだけだ。
ここに住む半数は先住民サーメ人を祖先とする。サーメ人は、事件の犠牲者83人の3分の2を占め、加害者92人におよんでいる。
そこには、差別、とりわけ民族差別が影を落としていた。
2005年ごろ、母親となったニーナ・イーヴァシェンは、子どもが性的虐待をされるかもしれないと心配して、子ども福祉サービスに連絡をとったた。そこで、ニーナは自らが子どもの頃に受けた経験を話した。医師にも話した。
「私は自分の被害を皆に話しました。でも、話を聞いてもらうためには、それなりの社会的地位が必要です。私のような、貧しい家庭の場合、無視されるのです」
当局に関心をもってもらおうとしたのは、ニーナだけではなかった。2007年には、子どもが性的虐待をされて絶望した両親(サーメ人)が助けを求めて、首相に直訴した。その直訴状をメディアがとらえたことから、何らかのアクションがあるだろうと期待した。
アンナ・クオヨック(ノルウェー教会助祭)と夫のインガー(弁護士)は、夫婦ともにサーメ人だ。その当時、性的虐待をされた子どものいる20の家庭に連絡をとった。そして、地方議員、保健関係職員、警察官などに集まってもらって、そこで夫婦は事件を明らかにした。
事件の数が多すぎて、誰も真に受けなかった、「私たちが嘘を言っているに違いないと思ったようです」と、教会助祭のアンナは言った。「このような類の話に、彼・彼女たちはみな不快だと思うだけで、それにどう対処していいかわからないのです」と、夫インガーは言った。
チュスフィヨルドの市長は、夫妻が開いた会合を覚えていたが、違う説明をした。
市長は、性的虐待の犠牲者について「真実を言おうとしないので、はっきりしなかった」、「町と警察は違う。人々の家庭に入り込んで見ることはできません。向こうから助けを求めてやってこなくては」と言った。
文化伝統がどうであれ、性的虐待を告発することは、犠牲者には難しいことだ。そのうえ、チュスフィヨールには、物申すことを躊躇する空気がまんえんしていた。さらに事件にかかわったサーメ人は、警察や行政当局を信用してなかった。加えて、ニーナのように、事実を話そうとしたものの、聞いてもらえなかった人が多かった。
チュスフィヨルドは、地理と政治から、民族による分断がなされてきた。サーメ民族は西側に住み、東にはノルウェー人が住む。そして行政当局は東にある。東西で分離されてきた。
虐待の話がメディアでとりあげられるまでには、さらなる10年が必要だった。それは、ニーナにとって、つらく孤独な年月であり、鬱々とする日がつづいた。彼女は、フェイスブックに性的虐待を詩に託して投稿した。
似たような経験を持つひとりの女性が、そのフェイスブックを見てニーナに連絡してきた。彼女は、すでに2人のジャーナリストに話していた。そのあと、事は急展開していく。
ニーナは、他の犠牲者に連絡をとった。こうして2016年6月11日、ノルウェー主要新聞VGに、11人の証言をもとに、「チュスフィヨールの性的虐待」に関する特集が記事となった。
ただちに反応があった。
その日は土曜日だった。ノーランド警察署長のトーネ・ヴァンゲンは自宅で休んでいた。彼女は、VG紙の記事を読んだ瞬間、週末をなげうつ決意をした。
「これは本当に深刻そのものでした。最優先でとりくまなくては、二度とチュスフィヨールで性的虐待事件を起こしてはならない、私たちは、こう判断して、月曜日には捜査を開始する特別組織をたちあげました」
ヴァンゲン署長は、どんなに昔であろうと性的虐待を受けた人は、すべて来てほしいと要請した。
「私たちは言いましたーー時効で起訴できないケースだとしても、真剣に対処します、この問題への理解を深めたいのです、と。ただ、当時はこれほど大規模な事件だとは考えていませんでした。」
アスラック・フィンヴィック警察官は、サーメ人との連絡担当役となった。彼・彼女たちが話しやすいように信頼関係を築いていった。
「話は入り組んでいました。警察署の知らなかったことがらが次々に出てきました。サーメ社会にキリスト教以前から根づいていた家族の絆や宗教です。サーメ人は、癒しを信じています。それをつかさどる人をシャーマンと言いますが、そのシャーマンは人々の苦痛を読み取ることができるとして、その人を支配するのです。サーメ人はこうしたことを恥ずかしがって話そうとはしません。ノルウェー人に理解させるのは不可能だと思っているからです。でも、私たちがこうしたことを理解したということは、サーメ人にとってきわめて重要なことでした。」
「私たちがサーメ社会を理解したことが、チュスフィヨール事件の最初の起訴に導いたのです」
「その事件は、一人の男性が、女性たちに癒しを与えて悪霊を追い払える力をそなえていると信じこませることによって、彼女たちに接近しました。彼は、“治療”と呼ぶセッションにおいて、女性たちを性的に襲ったのです。彼は5年半の有罪と言い渡されました」
ニーナへ性的虐待をした加害者は2016年に死亡した。だから、ニーナは法廷で正義を獲得することはできなかった。しかし彼女は、警察署と協力関係を築けたことをとても喜んでいる。
VG紙で記事になって以降、これまでに40人の被害者-10歳から80歳までーーが、地区の医師フレッド・アンデルセンに助けを求めてきているという。
「被害者には、医療面からも精神科的面からも全面的支援をしなければなりません」と医師は言う。
「きわめて重篤な苦しみです。若い子は、新たな力と自尊心を持ち直して、立ち直れるかもしれません。しかし、50代、60代の女性となると、失業中で精神的問題をかかえている人も多く、苦しみが続きます」
当然だが、なぜこれほど多くのサーメ人が事件にかかわっているのかという疑問が呈されてきた。だが、Dragのサーメ地域センター所長ラース・マグネ・アンドレアセンは、文化的説明で納得してはいけないと言う。
「我々は、自らに批判的でなければなりません。とは言っても、我々が責められて当然だとは言えません。ここチュスフィヨールで起きたことを#Metoo運動と比較してみましょう。世界でもっとも力のある女性たちですら、長年、被害を沈黙してきました。なぜでしょうか。彼女たちを責められますか。もちろん責めることはできません。声をあげられなかった理由があるのです。なにかを恐れていたのです」
「ここも同じです。聞く耳をもってくれるとわかってはじめて口を開き始めました。そうして、やっと60年前の事件まで現れ出てきたのです」
「1000人以上の犠牲者、証言者、加害者が、捜査段階で、警察署に話をしました。しかし、チュスフィヨールで151件が書類送検されたのですが、そのうち起訴に至ったのは、ほんのわずかでした。多くは時効でした。ですから、この小さな町に、依然として多くの性的虐待者が住んでいるのです」
ニーナは最近、チュスフィヨールに戻ろうかと考えはじめ、ある日、ショップスビックあたりを見に出かけた。彼女は、そこで、性的虐待容疑者3人に会った。
「あんなことをする人物が歩き回っているところで、こどもたちが登下校しているのです。ほんとに恐ろしい」
加害側の多くの男性や数人の女性をモニターする仕事を担当したのは、警察署のアスラック・フィンヴィックである。
「我々は、加害者に、我々が把握していることをすべて話しました。被害者と連絡をとってはならないと告げました。もしも接触すれば、起訴するとも言いました」
チュスフィヨールは、この事件で影響をうけることになった、サバイバーや加害者を皆が知っているようだった。加害者がときにサバイバーであることもあった。
ノルウェー教会の助祭アンナ・キュヨックは、ドラーグの伝統的なサーメ様式で建てた小さな教会で会合を開いた。
「私たちは、感情を出し合い、どうそれに対処するかについて話しました。深い悲しみと怒りが満ち溢れました」
しかし、加害者の否定を選択すべきではない。サーメ文化は包括的であり、神、人類、動物、自然をすべて抱擁する生命の輪にもとづく信仰を持っているのだ。
「ですから、我々は、ともに生きる方法を探さなければなりません。すべての人が生命の輪のなかにあるのですから」
警察は2017年11月に報告書を提出した。その際、警察署長のトーネ・ヴァンゲンは、チュスフィヨールの住民に次のように謝罪した。
「2016年6月まで我々警察署が行ってきた仕事は、十分ではありませんでした。犯罪は放置され、長い間、多くの人々に影響を与える結果となりました」
チュスフィヨールでは、ゆっくりとだが、信頼が生まれている。子ども保護訓練のために場所が提供され、団結の大切さが促され、回復力をつけるためのプロジェクトに対して、ノルウェー政府から予算が拠出された。町の行事には、サーメ民族とノルウェー人がともに混じって参加するようになり、今年、サーメ音楽や文化行事には700人が参加した。
市長は、あらたな変化を発見したと言った。
「概して、お互いにやさしくなっています。以前よりもお互いに思いやるようになっています」
事件が明らかになったことで、脆弱な地域はズタズタにされた。目覚めたら、そこには、傷ついた家族、壊れてしまった生活、少なくとも自殺者2人がいた。ニーナ・イヴェルセンの体験は、その、何十年間にもわたる凄惨な歴史にからまりあっていた。
【ノルウェーのサーメ人】 6万人。チュスフィヨールの多くは、1960年代から70年代に、内陸の遠隔地からやってきたサーメ人だった。以前、ノルウェー政府は「ノルウェー化」という同化政策をとった。その当時、サーメ家族の子どもたちは、ノルウェー語しか話さないように育てられた。ノルウェー人の名前を持つ人だけが備品を買うことができ、ノルウェー語を話せる人だけが土地を買うことができた。
■Slik arbeidet VG med denne reportasjen
【2018.12.12 更新】