『1945年・ベルリン解放の真実』訳者・寺崎あき子

1947年、ドイツの町で、骨と皮だらけのノルウェーの母子が、食べ物を懇願していた。母親は空腹のため何度も気を失った。男の子2人のうち弟のほうは栄養失調だった。3人は地面からか細いニンジンを拾って口に入れた。ほかには何も食べるものはなかった。


母親の名はエルザ・ガブレー(24歳)。ノルウェーからドイツに強制送還された。第2次大戦中、ナチス・ドイツの支配下にあったノルウェーには多くのドイツ兵が駐留していた。彼らと親しい関係となったノルウェー女性も大勢いた。戦後、彼女たちは「ドイツの売女」または「ドイツの女の子」と烙印を押されて、髪の毛をそぎ落とされ街頭で裸にされて嘲りや辱めを受けた。あげくに、市民権をはく奪されて国外追放となった。エルザはその1人である。


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年経た、20181017日、この「ドイツの女の子」たちに対してノルウェー首相が正式に謝罪した、というニュースが届いた。“慰安婦問題”への日本政府の対応に苛立っていた私は、訳してFEM-NEWSに載せた書き終えて、ふと本棚を見上げた。私の目に真っ赤な背表紙がつきささった。

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1945年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』。ヘルケ・ザンダー&バーバラ・ヨール編著。翻訳したのは寺崎あき子・伊藤明子。1996年、パンドラ発行、現代書館発売。

20年前に読んだが、しっかり読めていなかった。今でも、この重い内容を読み進むのは楽ではない。私は、どこに行くときもその分厚い本を持ち歩いて、読んだ。読了できたのはひとえに2人の名翻訳のおかげだ。

その訳者のひとり、寺崎あき子さんが1028日永眠したという知らせがはいった。一昨日だった。


10月20日から2週間、私は机上、ベッド、電車内で1945年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』と向き合ってきた。ウン、ウンとうなりながら、私は、マーカーで塗りつぶしたり、ボールペンで線を引いたりした。残虐さのあまりにパタンと本を閉じざるをえなかったときもある。30代の頃、強い影響を受けた『性の深層』(アリス・シュヴァイツァー著)。それを翻訳したのも寺崎あき子さんだった。そんな彼女の力にあらためて兜を脱いだ。教えてもらいたいことも出てきた。手紙を書こうと思っていた矢先の訃報だった。

たぐいまれな力作を遺した寺崎あき子さんに、心からの敬意を表して、文章をいくつかをそのままタイプしてここにアップする。一読者からのささやかな供養のしるしに・・・。(Moreをクリック)










本は、編著者のひとりヘルケ・ザンダーの「記憶の抑圧を解き放つ」から始まる。彼女は映画監督として、本書と同名の映画も制作している。戦争末期から戦後第一週目にドイツで起こった大量強姦というテーマに取り組んだ背景を、こう書く。


70年代半ばに数人の女性が強姦されたあげくに殺されるという事件が起こった。これがきっかけとなって、初めて性暴力に反対するデモが行われた。こうして女たちは暴力体験について、初めて個人的レベルを超えて沈黙を破った。はるかに大きな規模で被害を受けていた母親の世代は、まだ沈黙を守っていた」


ヘルケ・ザンダーは、当時の体験者の証言、記録文書、写真から、隠されつづけてきたタブーに挑んだ。


「どういう戦争を舞台にしても本ものの恋愛関係が生じるのは事実だが、ドイツの征服者たちは豊かで食べ物もあり、ロシアの女たちは貧しかったことを忘れてはならない。後にはドイツの女たちが貧しく、アメリカの征服者は豊かだったように。ここから直接的な暴力、脅し、打算、そして本ものの好意などがあいまいになる領域が始まる。女の歴史が示しているように、これらは複雑にからみあって、社会一般の両性の関係をあからさまに映し出しているのである」


「非常に多くの若い女の子が強姦された。当時、134歳で、自分に何が起こったのかまったく理解できなかった多くの女たちと、わたしは話をした。大半は、その後二度と男と寝ることができなかったり、『性行為というもの自体に対する嫌悪感』を強めることになった。たいていの場合、女の子たちは強姦されたことについて誰とも話すことができなかった。自殺したり、自殺に追いこまれた者も多かった。当時すでに成人していた女たちはほぼ一致して、強姦されたあとに婚約者、夫、または父親との間にも問題が生じたと報告した。通りすがりの強姦加害者よりも、自分の身近にいる男たちからの非難や脅しで苦しんだ女が多かった。もっとも必要とした身内の同情を拒まれたケースもしばしばあった。逃れようがなかった明白な場合でさえも、強姦は汚点とされた」


「多くの女たちは何度も強姦されて重傷を負い、不治の障害が残った。無月経のため、妊娠に気づくのが遅すぎて、子どもを産まざるをえなかった女たち、彼女たちは今日もなお差別と結びついている、シングル・マザーとしての将来が待っていた。結婚している場合は、『私生児』を連れて夫のもとに帰ることは許されなかった。子どもが欲しいと思った場合でも、こういった理由から養子に出したり、病院にそのまま置き去りにしたりすることがよくあった。子どもを産んだ女たちは、トラウマのために、子どもとの関係が非常に歪んでいることがしばしばだった。これはそのような子どもたちの話からわかったことである。子どもが常にあの暴力行為を思い出させるからだった」


「解放者は強姦加害者であってはならなかった。だが、事実はそうだったのだ。しかし、それは支配的なイデオロギーにそぐわないものであり、それゆえに心の中で抑圧された。女たちは沈黙した」


次章は、イングリット・シュミット=ハルツバッハの「1945年ベルリン・4月の1週間」。彼女は19767月、旧西ベルリンで開催された女性学の夏期大学実行委員のひとりで、当時、旧西ベルリンに滞在していた寺崎さんは、その夏期講座全行程に参加したという。高揚する心を抑えきれなかっただろう30代初めの寺崎さんの顔が想像できる。1984年に書かれた論稿で、イングリット・シュミット=ハルツバッハは言う。


「この強姦シンドロームは、ナチズムの独自の理論によって強化された、主として3つの歴史的動向が一体となって形成されている。つまり性差別の伝統――戦利品、勝者のトロフィーとしての女性、戦争につきものの報復行為としての強姦。人種差別の伝統――ドイツ女性に襲いかかり、アーリア人の血の純潔を毒する、モンゴル面をした獣的で好色な劣等人種というイメージ。反共主義――東からの赤い、ボルシェビキの流入という悪魔の呪いと、これに伴う西洋の没落」


「わたしたちが調べたかぎり、ソ連側で強姦を記録した部署はひとつもなかった。今日なお、ソ連では歴史記述においても、一般社会においても、私生活においても、この大量強姦にふれることはタブーである」


「強姦の次に待っていたのは苦痛に満ちた性病と婦人科の手術であった。会陰が肛門まで裂けていた10歳から16歳までの少女たちは、病院で縫合しなければならなかった。その後、何年たっても女たちは強姦のもたらした結果に苦しんだ。『個人的な恥』への不安、絶望、そして夫や婚約者の態度――強姦された女性を置き去りにすることもしばしばであった――は、暴力行為を受けたあとで多くの女性を自殺へと駆り立てた」


「女たちは長い伝統の中で、暴力に対して暴力を使うことをあきらめ、敗者の役割につくように育てられてきた。直接的に暴力と直面する例外的な状況――19454月に大量に行われた場合のように――では、このように条件づけられてきた女性心理が現れてくる。これがいわゆる承諾ということの背景なのである」


肩も凝ってきたので、ここらで中断する。

ノルウェー・ニュースによると、「ナチ協力者」とされたノルウェー女性は10万人とも言われる(注)。勝者となったレジスタンス闘士らはーー労働党が多かったーー、「ドイツの女の子」に情け容赦なかった。一方ドイツでは、200万もの女たちが勝利軍の兵士たちに強姦された。ノルウェーとドイツ両国の女たちに起こった残虐行為は、長いことタブーにされた。「戦争は、女性蔑視をほしいままにしてよいという心理的特権を、完璧なまで男たちに与え」、女なんて取るに足らないという、この男性心理は、「イデオロギーなどとは無関係に、赤い糸のように歴史を貫いて」きたのである。加えて、ナチス・ドイツからの解放者(ノルウェー)や解放軍としてやってきた赤軍(ベルリン)への批判は、解放をもたらした歴史に泥を塗ることとして、「左翼陣営は口を閉ざし」てきた。この、戦後一貫して表舞台でとりあげられることのなかった“できごと”を「集団的記憶として共有しようと」したのが、『1945年・ベルリン解放の真実――戦争・強姦・子ども』だ。


ひるがえって日本。従軍慰安婦問題は被害女性たちの望むかたちで解決されてはいない。この本の重要性は、今ますます、高まっている。寺崎あき子さん、本当にありがとう!!

【2018年11月11日、13日更新】

【注:Tyskertøser: sakset fra bergens Tidende



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by bekokuma321 | 2018-11-10 18:20 | ヨーロッパ