女たちのバトンは続いてる(怒れる女子会@越谷)


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11月4日(日)、越谷市で、ドキュメンタリ映画『たたかいつづける女たち~均等法前夜から明日へバトンをつなぐ』を見て話し合う会があった。


男女雇用機会均等法は、1985年、国会で成立した。働く女たちの声は国会に届いたのか。世界をゆるがしたウーマンリブ運動の風を受けて、日本の女性運動、組合運動の中で、女たちはどう動いたのか。未公開の貴重な映像、現在進行形で裁判闘争をする女たちへのインタビューをもとにフェミニスト山上千恵子監督21世紀によみがえらせた。


越谷市では、怒れる女子会の山田裕子議員と松田典子議員、映画制作に協力した三井マリ子の3人で現状や今後について話し合った。

ここでは、司会をした檜垣貴津子さんの話をかいつまんで報告する(注)。


檜垣貴津子さんは、「映画で、闘っている女たちを見て、70年代後半に、越谷市立病院の臨時職員として雇われた看護助手たちが、組合結成に立ちあがった闘いを思い出しました」と、やや興奮気味に言った。


檜垣さんは看護師で市立越谷病院の正規職員、かつ越谷市職員労働組合の役員だった。当時、看護婦(女性だけだった)たちは、人手不足のため「バタバタ倒れる人が出た」。1978年、檜垣さんたちは「増員闘争って呼んでいたのですが、ストライキで、53人の増員を勝ち取ったのです」。その闘いの様子はNHKでも報道されたという。


並行して臨時職員も増えてきた。とりわけ、病院では、正規と同じ仕事をして、正規職の半分か3分の1の給料だった看護助手たちの不満がくすぶりはじめていた。労働組合に「余りにひどい。どうにかならないか」と窮状を訴えたのは、そういう女たちだった。


その1人が、お連れ合いの介護の合間をぬって参加し、会場から発言をして下さった。


1976年(昭和51)病院の看護助手募集に応募して採用されました。朝8時から午後4時半まで8時間労働でした。しばらくして、同じ仕事をしても、給料は正規の半分以下だと分かったんです」


医療事務の人や、検査技師など、臨時職員は増える一方で、100人以上になった。看護助手の女たちが火付け役となって「臨時職員協議会」が結成された。自治労傘下にはいって、当局と賃金や労働条件などを交渉する権利を勝ち取った。


檜垣さんは、最後にこう語った。


「『ああ、私たちは、ちょっと早目にやったんだな』と思いました。映画の女たち以前に私たちの闘いがあったのです。考えてみれば、そういう私たちだって、淡路島の病院の看護婦の闘争から学んだんです。実質的に、女たちの闘いのバトンは続いているような気がします」



【注】檜垣貴津子さんの話は、集会や2次会に加えて、電話取材による(FEM-NEWS編集部)。


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▲集会終了後に「たたかいつづけよう!」2018.11.4 ほっと越谷 (写真提供・山田裕子)




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by bekokuma321 | 2018-11-05 22:56 | その他