トールヴァル・ストルテンベルグの訃報

元外相トールヴァル・ストルテンベルグの訃報が届いた。ノルウェー国民の尊敬を集めてきた政治家で、NATO事務総長の前首相イェンス・ストルテンベルグの父親でもある。心からお悔やみ申し上げる。

訃報に接して、ノルウェー初の女性首相グロ・ハーレム・ブルントラントは「その前向きで豊かな人生を考え、私は、感謝の念と幸福感に満ちあふれています」と語ったと報道されている。

彼の妻カリン・ストルテンベルグは、余り知られていないが、ノルウェーの家族・男女平等政策の土台をつくったフェモクラット(femocrat)だ。妻カリンが亡くなったのは、2012年秋。その直前、私は彼女に単独インタビューをする機会に恵まれた。その時、仲睦まじい二人の写真を撮影した。左がトールヴァル・ストルテンベルグ、右がカリン・ストルテンベルグ。

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カリン・ストルテンベルグについての記事は、ノルウェー王国大使館HPに掲載された。現在、HPにはなさそうなので、夫妻の思い出を胸に、原稿を掲げる。彼女の進めたノルウェーの「家族政策=男女平等政策」は、2018年の日本にこそ必要だと考えられるから。

●●● 第1回 男女平等政策の礎を築いたカリン・ストルテンベルグ 上 ●●●

3%から90%へ

「1972年、私は、家族・消費問題省職員のトップでした。その省内に、家族・男女平等セクションがありました。でも、吹けば飛ぶようなセクションでしたね」。こう言って、カリン・ストルテンベルグ(1931年~)は、カラカラと笑った。

いま、年金生活を送るカリンは、国家公務員だった時代に、ノルウェーの家族・男女平等政策の骨子をつくった人物として知られる。現首相イエンス・ストルテンベルグの母親、元外相トールヴァル・ストルテンベルグの妻としても有名である。オスロ市内にあるストルテンベルグ家応接間でインタビューした。

――どうやって、前人未到の政策を編み出したのですか。
「当時、家族・消費問題省の大臣はインガー・ルイ―ズ・バーレ(Inger Louise Valle)でした。その大臣が、『女性たちのために、男女平等を進める家族政策づくりをしてほしい』と事務方の私に頼んできたのです。私は『家族政策? 何でしょうか、それは?』と聞き返してしまいましたよ。私は何も知らなかったのです。すると大臣は『私もわからないけれど、それを必要とする大勢の女性たちがいることだけは確かでしょ。とにかく、働きたい女性が外で働き続けられるような政策を考え出してください』と言うんです。でも、当時の家族・消費問題省には、そんな分野を受け持つ職員がいなかった。そこで私は大学生を臨時に雇って、彼らと議論を重ねた。その結果、家族政策白書ができたのです」

――それが、後に世界のお手本になるノルウェーの男女平等政策や家族政策のスタートだったのですね。その白書の内容を覚えていらっしゃいますか。
「どうしたら両親がともに外で仕事を続けながら子どもや家族の世話をできるようにするか、についての提言でした。とりわけ、子どもがいる女性が仕事を続けられるようにするためには、どうしたらいいのか。その具体策を提案しました。最優先課題は、保育園の建設。70年代はじめのノルウェーでは、子どもたちのたった3%しか保育園に入れなかったのですよ」

――今、ノルウェーでは、子どもの90%近くが保育園に通っていますね。70年代に3%だなんて、30%の間違いではないのですか。
「いいえ3%です。ですから、保育園の建設を最重要課題にあげたのです。次の重要政策は、小さな子どもを持ちながら働く親に、特別な権利を与えたこと。一に親休暇の導入、二に子育てのための就業時間の軽減、三に子どもが病気になった時の親の有給休暇、四が子どもを持つ親への現金給付増額、五が男親に家に早く帰ってもらうための政策……」

――既存政策への挑戦ですね。国会は荒れたでしょうね。
「保守派政党は、『女性が男性と同じように外に出て働いたら、子どもはいったいどうなるのだ』と強く反対しました。それには、『大丈夫。両親ともに家庭に早く帰れるようにすればいいのです』と反論しました」

――政策の実行に必要な財源はどうしたのですか。
「この家族政策は実にお金がかかりますから、少しずつゆっくり前進させました。つい最近まで、ざっと40年もかかりました。最も強く推進してきた政党は労働党ですが、他党も、政策推進派に変わってきました」

――あなたは、この白書で、妊娠中絶の決定は女性の意思による、との提言もしました。
「反論続出。私は、まるでリンチにあったようでした。質問に答えるための回答案を何百も用意しました。諸外国を調査し、『妊娠中絶を合法化しない社会』は『妊娠中絶のない社会』ではなく、『違法で不衛生な妊娠中絶が横行する社会』にすぎないことを証明しました。危険な闇中絶によって、おびただしい数の女性が死亡したり、致命的傷害を受けたりしている恐怖の現実をつきつけました。

――当時ノルウェーでは、医師による委員会が中絶の是非を判定する、となってましたね。
「もしも中絶が人道にもとる行為だとするなら、医師が決めようと、女性が決めようと同じでしょ。ですから、しだいに議論の焦点は、妊娠中絶を決めることができうる最適の人は誰か、に移行してきました。そこで、私たちは、『妊娠中絶をするか否かを決める最適の人物は女性自身である』という自信に満ちた文章を書きました。医師による委員会がたかが30分ほど女性から話を聞いて判断するより、妊娠した女性自身のほうがずっと確実な判断をしますよ。これ、当たり前でしょ」

――国連の後押しもありましたね。
「1975年、メキシコで開催された第一回国連世界女性会議に、私はノルウェー代表として出席しました。国連には、世界ナントカ年、国際ナントカの日とか、たくさんありすぎます。ですから世界女性会議も、開催前は関心を呼ばなかった。ところが、開けてみたら世界のマスメディアが注目しました。ノルウェーでも、大きく報道されました。それ以来、男女平等のテーマはノルウェーの大事な政策なのだ、と考える人が増えてきたのです」

――女性の政治家が増えたことも関係しますか。
「政策決定の場に女性が増えたことが決定的でしたね。1986年、グロ・ハーレム・ブルントラント首相は、組閣の際、初めて女性を40%以上にしました。有名な、あの“女の内閣”です。その時の防衛大臣の男性が、『おー、なんてこった! 内閣で保育園のことを議論しなければならなくなった』と嘆きました。彼に限らず多くの男性大臣たちは『保育園? そんなバカなこと』と思ったのでしょうが、もうそんな発言は、時代遅れになったのです」

――女性大臣が増えることによって、女性の関心事が国の重要政策になるいい例ですね。
「労働党は次の選挙で負けて、保守党に政権を譲った。保守党はクオータ制には反対でした。ところが、保守党政権に変わっても、やはり大臣の40%は女性だった。すでに『40%の女性大臣』が当たり前になっていたので、もしも女性を1人、2人しか入閣させなかったとしたら、国民の失笑を買うと思ったのでしょうね。以来、どの政党が政権をとっても、内閣大臣の40%以上は女性です。

(雲ひとつないいい天気の日だった。窓の外に目をやりながら、カリンは続けた)
あなた、この近くのビーゲラン公園を散歩してごらんなさい。たくさんのパパたちが、子どもをベビーカーに乗せて時間を過ごしていますよ。父親が“パパ・クオータ”を10週間取れるからです。その10週間は父親に割り当てられた有給休暇です。母親には代行できません。育児を楽しむパパの姿、これは、40年前の家族政策の大きな成果なのです」                           (Moreに続く)




●●● 第2回 男女平等政策の礎を築いたカリン・ストルテンベルグ 下 ●●●

女性への投資は経済的投資でもあります

――外務省でも女性の視点で改革をされましたね。
「外務省の付属機関ノルウェー開発協力(NORAD)での話ですね。第1回国連世界女性会議の後の1978年、『女性の地位と開発問題について』という論文を書きあげました。その準備に、貧しい国々における女性の地位についての文献を読みあさりました。すると、『アフリカの女性の80%は主婦である』と書いたILOの文献がありました」

――えーっ、そんな! 
「アフリカ諸国は、農業国です。その農業の75%は女性たちによって行われているのです。アフリカの女性たちの毎日は『主婦』という言葉からイメージする姿とは全く違います」

――主婦と定義されると、経済的に見えない存在にされてしまいますね。
「それで、私は突然、『わかった!』と叫びました。アフリカやアジアの大部分の国、ラテンアメリカの何カ国では、経済のバックボーンは女性です。女性たちの多くは毎日16時間以上の重労働をしているというのに、それを、家の中で2,3人の子どもの世話と夕食の支度をしているかのごとき『主婦』という言葉でくくった。開発援助プログラムなどの政策は、男性の手で、男性向けに作られてきたからそんな間違いを犯すのだと、と気がついたのです。でもね、この私も同じ間違いを犯したことがあります。

――どんな間違いでしょう。
赤面するほど恥ずかしいのですが、お話しします。1960年代末、ケニアの『小規模農業従事者の訓練センター』でのこと。センターは、極度に貧しくて読み書きのできない農業従事者を対象に、半年から1年ほどの期間、農業の基本のキを教える目的で作られました。ところが、来たのは男性の老人ばかり。当時、ケニアの村で家に残っているのは老人と女性でした。若い男性は大規模プランテーションや都会に出てしまって、家にいなかった。訓練を終えた老いた男性たちは、家に戻っても、妻や娘や息子の妻たちに伝授などしません。だから、ほんとうの農業従事者である女性には、訓練があることすら伝わっていなかったのです」

――センターは全く無意味だったと。
「ええ。反省した私は、こうした援助計画は女性をターゲットにすべきだと考えを改めました。世界銀行総裁だったマクナマラは、『我々は間違ったところに融資してきた。女性に投資してこなかった。我々は経済における女性の役割を無視してきた』と公言しましたよ」

――アメリカの元国防長官が、国の経済における女性の貢献を認めたのですね。
「女性は福祉の対象、男性は経済発展の担い手……こういう紋切り型の認識は一変しました。女性は生産者でもあるのです。つまり、女性への投資は、経済成長への投資である、と認識されるようになりました」

――その経済界ですが、いまや、ノルウェーは会社取締役に女性を増やすクオータ制が世界で評判です。
「会社のトップに女性が少ないので、そこにクオータ制を、という流れに反対はしません。でも、エリート女性のことを強調しがちな今日の流れが、いいとは思えない。底辺の女性の問題をもっと改善しなければね」

――底辺の女性の問題?
「職場の差別は基本的になくなりました。でも、男女の性の違いによってまだ職種が大きく分かれています。それは大問題です。でもかなり改善が進んでいます。それに比べると、移民など人種の問題は深刻です。有色人種を嫌う愚かな人がいるんです。私には、それが恐ろしい」

――改めて伺います。なぜ、ノルウェーは、平等を志向する社会になったのでしょうか。
「ノルウェーの地理をご存じでしょう。広い土地にパラパラッとしか人が住んでいません。あなたが行ってきたという最北端のフィンマルクには、零下50度Cにもなる厳しい気候の所があります。1キロメートルの鉄道のレールを作るにも、莫大な経費がかかります。私は、誇りに思っているのですが、石油が発見される前の時代に、すでに、『いかなる土地に住んでいても、同じような医療サービス、教育を享受できる』という法律がありました。北海油田発見より前に、国民の生活水準はどこに住もうと同じでなければならないとされ、非常に強い政治的意志で、それが実行されてきたのです」

――社会民主主義政権だったからでしょうか。
「その通り」

――政権交代で、非社会民主主義の政党の時代も何度かありましたね
「ええ。でも、ノルウェーの持つこのエトス(特質)は非常に根強くて、もう、簡単には崩されません」

――エトスが崩されなかった、と言われても私には不思議です。
「歴史的にノルウェーには、貴族階級がいなかった、資本家階級がいなかった、小作農がいなかった。ノルウェーは全体が貧しい農民、貧しい漁民の国だった。平等と連帯を大切にしなければ生きていけなかった。歴史的に、下の層を搾取して生きる上流階級という層はノルウェーに一度も生まれませんでした」

――でもノルウェーが他国に支配されたことはありましたね。
「ええ、かつてデンマークやスウェーデンやドイツに併合されていました。ノルウェーが独立を手にしたとき、『ノルウェー人が望むノルウェー』と国民が考えたのは、貴族や上流階級のない平等な社会でした。デンマークやスウェーデン、そしてドイツにも、階級がありました。ノルウェー人は『そういう社会はいらない』と考えた。そんな考えが、労働組合に根づき、労働党議員を誕生させ、労働党政権が誕生した、といえます」

c0166264_2012840.jpg――最後に、日本の私たちに、アドバイスをいただけますか。
「ノルウェー人の暮らしが豊かになったのは、女性が外で働き、経済力をつけたからです。世界銀行も『女性への投資は、男性への投資より経済的な利益を生む』と言ってます。男女平等の推進は経済的投資でもあるのです。それだけではありません。男性にだけ期待されている重い責任を、女性と分かち合うようにすれば、男性だって育児や家事にもっと参加できるでしょうし、もっとゆったりした生活ができますよ」

――あなたはとても説得力ある話し方をなさいます。政治家に誘われませんでしたか。
「我が家をご存じでしょ。夫は外務大臣。息子は総理大臣です(笑)。これ以上、政治家はいりません。それに、実は私も4年間、副大臣をしましたが、どうも、私は政治家向きではないな、と思いましたしね(笑)」

(三井マリ子)


【写真上:ストルテンベルグ邸の応接間にて夫妻。 写真下:ストルテンベルグ夫妻の息子イェンスが首相となって新聞に紹介されたときの切り抜き。「イエンスは男の役割委員会委員だった。写真は国会議員の時、息子を抱いて料理をするパパ・クオータ中の彼」(明石書店『ノルウェーを変えた髭のノラーー男女平等社会はこうしてできた』p121より)】

Thorvald Stoltenberg er død, 87 år gammel
Thorvald Stoltenberg (87) er død
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by bekokuma321 | 2018-07-15 11:50 | ノルウェー