2017年 07月 14日
ノーベル平和賞の2人
今日の報道によると、ノルウェー・ノーベル委員会の委員長ベリット・ライス=アンネシェン(労働党)は、「病状が末期段階に至る前に、劉暁波さんが十分な治療を受けられる施設に移されなかったことに、動揺している」「彼が亡くなったことに中国政府は重い責任を持つ」と語った。そして、彼女は、ノーベル平和賞を選定するノーベル委員会代表として中国に渡航申請をしたが、ビザがおりなかったとも告げた。
劉暁波(りゅうぎょうは)とよく似た境遇の人について書かれた、数年前のタイム誌の記事がある。
タイム誌(2014年10月)によると、ジャーナリストのカール・フォン・オシエツキーは、ドイツの再軍備の事実を密かに調べあげて報道。その後、再軍備はベルサイユ条約に違反だと公表。1931年国家反逆罪で投獄される。
ほどなくナチスが政権につき、1933年、彼は再び逮捕されて、今度は強制収容所に送られた。アインシュタインやロマン・ローランなどの働きかけもあってか、1935年、ノルウェーのノーベル賞委員会は、カール・フォン・オシエツキーを平和賞に選んだ。その知らせに憤ったナチス新聞は、「ノルウェー政治は、叛逆者に授与してドイツ国民の顔を平手打ちするようなことをしない方法を十分知っているはずだ」と書いた。
恐れをなしたのか、ノルウェーのノーベル賞委員会は、表向きは「アフリカの紛争やアジアの政情不安に配慮して」という理由をつけて「今年のノーベル平和賞該当者なし」とした。ところが、翌年、同委員会は、カール・フォン・オシエツキーを、ノーベル平和賞受賞者に選んだ。そのニュースにヒトラーは激怒し、「ノルウェーとの国交を断絶する。今後、ドイツ人はノーベル賞をいっさい受け取らない」と脅したらしい。
カール・フォン・オシエツキーはその頃、病状が極度に悪化して収容所(または刑務所)からベルリンの病院に移送された。おそらくは国際的な反応を気にかけたのだろうとされている。ナチスは彼にノルウェーへの渡航パスポートを出さなかったため、授賞式には出られなかった。そして1938年、彼は亡くなった。48歳。彼の悲劇はまだ続き、彼の弁護士だと称する詐欺師が、ノーベル平和賞の賞金全額を懐に入れていたのだという。
劉暁波とカール・フォン・オシエツキーには、国家の違いに加えて、80年という時の差がある。しかし、2人の共通点の多さに驚かされる。
政府の姿勢に反対の意思をペンの力で表明したこと
政府から迫害を受けても投獄されても批判の声を上げ続けたこと
政府はノーベル平和賞委員会のあるノルウェー政府に脅しをかけたこと
政府は病気が悪化してから国際批判をかわすかのように病院に移送したこと
政府はノーベル平和賞授与式に参加させなかったこと
ペンによる政府批判に対して、政府は獄死に至らせる措置で応じたこと

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