2016年 09月 14日
女性参政権行使70周年:今こそ「アベック投票」精神を
戦後初の衆院選は、ちょうど70年前、1946年に行われた。秋田県は、和崎ハルがぶっちぎりのトップ当選だった。

上は、友人が送ってくれた当時の新聞記事だ。まじまじと見て、あらためて、その歴史的快挙に感動した。41人の立候補者がいて、うち当選者は8人。すごい競争率だ。その先頭に「100247 和崎ハル(中立新)」とある。彼女の後に7人の当選者が並び、落選者がズラーッと続く。和崎ハル以外、当選・落選含めて全て男性だ。
「大選挙区」、しかも「連記制」だったから、といわれている。阪上順夫『現代選挙制度論』(政治広報センター、1990)にはこうある。
「1946年4月10日総選挙では、85%の新人議員と39人の婦人議員を生み出したが、これには連記制が有利に働いた。特に初めて選挙権を行使した女性が、1票はとにかく、同性へと必然的に意識して投票したと考えられ(アベック投票と呼ばれた)、候補者や政党が乱立したことから、保守と革新に振り分けた分裂異党派投票も多かった」
70年前の日本の選挙は、大選挙区制。しかも投票用紙に、何人かの候補者名を書くことができた。そのため、投票用紙に男女の名前を書く人が多く、「アベック投票」と呼ばれた。これって、2015年3月、世界をあっといわせたフランスの「ペア候補」とそっくりではないか。
1946年の日本の「アベック投票」は、こんなふうに決められていた:
「東京都や大阪など、定数11名以上の選挙区は、3名。
定数4名以上、10名以下の選挙区は、2名。
定数3名以下の選挙区は、1名のみ(現在の投票と同じ)。」
定数4名が最小で、3名以下の選挙区はひとつもなかったというから、すべての人が、投票用紙に、2名か3名を書くことができたのだ。

これが、多くの女性当選につながった。
ところで、女性参政権行使70周年の今年、小池都知事の誕生により、女性の政治参加が少し前に進んだように見える。しかし、日本全体では、政治分野はまだ男の牙城だ。何度でも言うが、日本の国会における女性割合は9.5%で、世界193カ国中、ボツワナと並ぶ157位である(第1院、2016年8月現在)。
こんな日本に、国連も黙ってはいない。国連女性差別撤廃委員会は、日本政府に、「政策決定への女性の少なさを解消するため、クオータ制など暫定的特別措置を実行せよ」と繰り返し勧告してきた。ごく最近も、レポートを出した。2016年3月7日だ。その委員会報告、19条、31条に明記されている(注2)。
まずは女性や少数派に絶対的に不利な選挙制度「小選挙区制」は改めるべきだ。比例枠を減らそうなんて言語道断だ。国連が提唱する「クオータ制」は、比例代表制でこそ効果が出る。
はるか70年前、「アベック投票」で女性をどっと当選させたではないか。やれないことはない。
■女性差別撤廃委員会 日本政府報告書審査の総括所見(英語)
■「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
■ハルらんらん♪
■比例区、またまた削減
■「身を切る改革」どころか「民意を切る改革」
■小選挙区制は女性の声を捨て去る
【注1】折井 美耶子編『女ひとりわが道を行く―福田勝の生涯』だと思う。
【注2】日本政府はなぜか半年たってもまだ和訳を公表してない。わたしなりに原文から訳した→
19条は「クオータ制など暫定的特別措置など必要な制度によって、実質的に男女平等を速攻で進めること、なかでも、少数民族、先住民、障がい者などマイノリティ女性の権利を確保すること」と勧告する。31条は、3つの具体策を提示する。
(1) クオータ法などの暫定的特別法によって、選挙や任命によるポジッション(議員や委員など)に、完全なる男女平等参加を促進すること
(2)第3回、4回国内行動計画にある、2020年までに、立法府、内閣府、首長を含む行政府、法曹界、外交、学界などすべての分野において女性を30%にする目標に向かって、実効性のある具体策で確保する
(3)アイヌ民族、部落、在日韓国人など、障害者や少数派の女性が代表となれるような暫定的特別措置を含む、特別の対策をとること