2015年 12月 29日
三井裁判和解に思うこと
そもそも私は、その和解の日まで、裁判のことをほとんど何も知りませんでしたし、集会に参加するのも初めてでした。
「衆院選に落選して、その上さらにいじめられた女性がいる。その女性の裁判の集会がある」といった程度の知識しか持っていませんでした。
11月4日、三井さんと三井さんの弁護士さん2人は、裁判が長引いて集会場にはなかなか来られなかったため、集会場では岡田ふさ子さんら支援する会の人たちが、これまでの概要を説明していました。結局、この日の集会は自然流会状態となりました。しかし、裁判はまだ終わっておらず、支援者は秋田県庁で待機することになりました。
私も気になって、足は自然に秋田県庁へ向っていました。そこで、その日の裁判は公開にはならず、和解という形で終わったという報告を受けました。
このように、裁判について他の人たちより出遅れた私は、その日から手当たり次第に資料を読み込み、情報をあさりました。
「陳述書」(三井マリ子 2013/11/8)
「訴 状」(近江直人、澤入満里子、森田祐子 2013/11/11)
「意見陳述」(三井マリ子 2014/1/24)
「意見陳述」(三井マリ子 2015/1/16)
「陳述書2」(三井マリ子 2015/6/21)
などなど。
それに「第10回弁論準備手続調書(和解)」、つまり和解文書を読みました。
資料を読み始めてまず感じたのは「怒り」でした。こんなことが許されるはずがない、という「怒り」でした。「怒り」とともに、こういうことをまともな大人がするのだろうか、と疑問を抱きました。
秋田3区から民主党公認で衆院選に立候補するよう三井さんを拝み倒して承諾させた松浦氏側は、三井さんが落選したら、手の平を返すように数々の“不適切行為”を行いました。
実は、選挙運動中からその兆候はあったようです。三井さんが選挙区出身であることや都議会議員だったという経歴も削られたポスターやハガキは、その典型的な例です。
そして、「政党交付金は選挙に使えない」と言ったウソ、政治資金のどんぶり勘定のいい加減さ・・・などきりがありません。
裁判において、松浦氏側は、こうした事実をいっさい認めず、むしろ三井さん側の人格に問題があったとでもいうような人格攻撃をしてきたことにも、私はさらに腹が立ちました。
こうした被告側の数々の言動の中で、裁判所は、落選直後に松浦氏ら5人で三井さんの自宅兼事務所にやって来て、三井さんに追い出し宣告をした時のつるし上げについては、“不適切行為”だったとしました(「和解調書」)。そして、その″不適切行為”について、松浦氏側は「お詫び」をしました。
三井さんにとっては、落選後、「さあ、これからだ」と自分に言い聞かせていた時の急襲に、身も心もボロボロだったようです。その後、三井さんは、不本意ながら自宅(長野)に戻ります。そして1人で調査を始めます。
その調査で、三井さんに伝えてなかった口座(隠し口座と三井さん側は言う)が開設されていたことや、松浦事務所と秋田銀行の癒着がなければありえない銀行の変な手続きなどを発見していきます。
これらはすべて、三井さんや三井さんの弁護士や支援者がいなければ、泣き寝入りさせられていた可能性の高かったことだと思います。
裁判は、和解ということでピリオドが打たれましたが、いろいろな問題点を公の場にさらすことができたということを考えれば、実質的勝訴だったと私は感じています。
加島 康博 (秋田市、さみどりの会*)
【写真上:三井原告。2015月11月4日、秋田市内にて佐々木厚子撮影。中:「訴状」、下:「和解調書」。「訴状」「和解調書」はポインターを上に置くと読める】
(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に出た。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴した。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。「産むならば 世界を産めよ ものの芽の 燃え立つ森の さみどりのなか」という阿木津英の歌がある。女性は子どもだけでなく、世界を産み出すのだという意味だ。三井さんは、選挙演説に引用しては「私は新しい秋田を産み出したいのです」と結んでいた。選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイトさみどりの会ホームページには裁判関係の情報が掲載されている。