2015年 07月 12日
日本の女性解放運動ここにあり! 行動する女たちの会
当時のニュース、抗議文、アンケート用紙、ビラなど、20年間の運動の記録が刊行されることになった。資料集『行動する女たちの会 資料集成』(六花出版)だ。
出版を機に、7月11日夜、渋谷のウィメンズプラザで記念する会が開かれた。
樋口恵子さんによれば、「参議員議員の市川房枝さんが、電話をかけてきて、アメリカにはあらゆる女性差別と闘うナウ(NOW)という組織がある。そういうものをつくりたい、と言ってきた。俵萌子、吉武輝子、中島通子、金森としえ、駒野陽子、小沢遼子さんたちが動いた」
井上輝子さんは「会の誕生には、参議院議員田中寿美子さんを中心にして調査研究を続けていた『婦人問題懇話会』があった」
1975年、国連の国際婦人年をきっかけに誕生した。だから当時の組織名は「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」。1986年、「行動する女たちの会」に変わった。
会の特徴は、「これは性差別だ、おかしい」と思ったら、即行動を起こす、ことだった。相手は、政府、地方自治体、銀行、メディア、企業、教科書会社、労働組合など、日本のあらゆる分野に及んだ。
筆者は、1975年、会の創設を知らせる小さな記事を新聞で読み、集会に参加した。そして、その場で会員になった。「教育分科会」に所属。まだ20代だった。主に学校教育における女性差別、性による偏見や押しつけをなくすため、話し合い、抗議し、対案を出していった。駒野陽子、中嶋里美、仲野暢子、坂本ななえ、長谷川美子、芦谷薫、守屋和子さん・・・などなど、爆発的エネルギーで闘ったあの頃の顔が目に浮かぶ。
「ヒステリックな女たち」「リブは女のひがみだ」と、当時のマスコミの揶揄はすごかった。
しかし、労働、教育、マスコミ、どこを見ても、性差別、性別役割分業はまだまだ根づよく残る。あの時の女性たちの主張と運動のスタイルをもういちど振り返るときかもしれない。
【写真撮影は最後の1枚の岡田ふさこを除いて、筆者】
■パンフレット:『行動する女たちの会 資料集成』 pdf文書