2015年 03月 14日
高梨沙羅と女子スキージャンプ史
国際スキー連盟が女子ワールドカップを主催したのは、2009年からだ。女人禁制の長い歴史を破ったのは、ノルウェーのアネッテ・サーゲン(Anette Sagen)ら女たちだ。
さきほどホルメンコ―レンからのアネッテ・サーゲンのジャンプが茶の間のテレビに映った。引退を表明した彼女の業績をたたえる特別プログラムのようだった。
テレビ解説者の日本男性は、情けないことに、「おさげがトレードマーク。美人ジャンパー」とアネッテ・サーゲンを紹介した。「女子ジャンプをけん引していった人」という一言があったので少しホッとしたが、プロの解説者なのだから、女性のスポーツの歴史を勉強すべきだ。
アネッテ・サーゲンは、スキー発祥の地ノルウェーのスキージャンパーだ。
男性と同じように女性スキージャンプの機会を与えられるために10代のころから闘ってきた。男女平等の国ノルウェーであっても、女性の意義申し立てなしには前に進まないといういい例だと思う。
2003年ー2004年シーズン、サーゲンはまだ10代。この若い女性スキージャン―パーが、当時国際スキー連盟会長だったトールビョルン・イゲセット(Torbjørn Yggseth)に、異議申し立てした。
アネッテ・サーゲンは、ヴィケルスン(ノルウェー)で行われたスキージャンプ・ワールドカップでフォージャンパーとして174.5mを記録した。フォージャンパーとは、ジャンプ台の状況を確認するために飛ぶジャンパーで、審判はこの結果などからスタート位置を決めたりするのだという。
メディアによると、国際スキー連盟会長のトールビョルン・イゲセットが、「女性にはフライングヒルは飛べない」と言ったと言われている。、たとえ174.5mを飛んだ競技者であっても、ワールドカップ参加は認められなかったのだ。理由はただひとつ、女だから。
サーゲンはイゲセットにはむかった。大勢の女性スキージャンパーたちも、サーゲンの側について、男性と同じ権利を求めて発言していった。ここがすごいところだ。
現在のサーゲンは、当時を、こう思い起こしている(NRK)。
「18か19歳のころです。苦しいときでした。『飛べやしまい、お前は狂っている。たかが女の子だ』というまっただ中に巻き込まれたのです。私はこれを認めることはできませんでした。」
翌年の2004-2005シーズンには、スキージャンプ・コンチネンタルカップが女子ジャンプの最高峰として初めて開かれた。ここで、アネッテ・サーゲンはなんと8勝をあげた。
そして2009年、史上初の女子ワールドカップ。長年の闘いを経て参加したアネッテ・サーゲンは3位に。
女性のスキージャンプがオリンピック種目にはいったのは、2014年のソチ・オリンピックからだ。その前のカナダ大会までは女人禁制だったのだ。
さらちゃ~ん、今の時代に生まれてよかったね!
■Skulle gjerne startet på nytt uten å kjempe den kampen
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