2013年 04月 26日
赤松良子賞と女性差別撤廃条約
赤松良子賞の授与は、国際女性の地位協会の活動のひとつである。
その国際女性の地位協会は、国連の世界女性会議で開かれたケニアのナイロビにおける「女子差別撤廃条約を知ろう」というワークショップから生まれたのだという。日本津々浦々に女子差別撤廃条約を広めるために・・・。
女子差別撤廃条約こそ男女平等社会をつくってゆくための最大の武器だ、と私は思ってきた。今もその思いは変わらない。
いつでもどこでも、正確な条文を示せるようにと、縮小版をつくって手帳の表紙裏にはさんで、長年、持ち歩いていた。スマホを使い始めてからはやめた。
その女子差別撤廃条約を日本政府が批准するまでの道は平たんではなかった。その陰に、労働省のトップにいた赤松良子の獅子奮迅の頑張りがあったことを、『均等法をつくる』(赤松良子、勁草書房)で知った。
その赤松が、国際女性の地位協会に創設したのが、赤松良子賞だ。女性差別撤廃条約の精神を体現する活動をしてきた人に授与される。
2012年11月25日、私は授賞式と記念シンポジウムに出席して、賞状(↓)と副賞を受けとった。
私の受賞理由は、鳥居淳子審査委員長によると、クオータ制を初めて日本に紹介したことと、バックラッシュ裁判を闘って勝利したことにあるらしかった。
クオータ制は、1980年代にノルウェーで知って以来、執筆・講演で知らせてきた。さらに全国フェミニスト議員連盟の目標にクオータ制を組み入れて、連盟の仲間たちと、国会議員や政党にロビー活動をしてきた。みな、時間がいくらあっても足りないほど忙しい議員をしながら、男女平等の世の中をと頑張ってくれた。全国フェミニスト議員連盟の彼女/彼らの連帯と友情あふれる闘いがなければ、私は、ここまでこれなかった。
バックラッシュとは、女性差別撤廃条約嫌いの反動的動きをさす。大阪府豊中市では、男女共同参画推薦センター館長だった私の首を切る勢いだった。私は解雇されたが、豊中市の女性たちは立ちあがった。裁判を支援する「ファイトバックの会」ができた。あしかけ7年、最高裁勝利までの、あの顔、この顔・・・。
赤松良子賞は、私とともに闘ったこうした人たちへの賞だ。そして、「女性差別撤廃条約、クオータ制をさらに広めなさい」という激励だと思う。
さあ、これからが本番だ。


▲村越まり子「三井マリ子さん赤松良子賞を受賞」AFER 2013.2.20(クリックすると拡大されます)
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