2012年 08月 04日
オーレ・グスタフ・ナ―ルッド「重荷を背負って・・・」
◆愛するみなさん、そして愛するハンネ=マッテ、
今日は、私にとって安らかな日とはいえません。ハンネ=マッテにお別れを言うために、今日、ここにいらしてくださったみなさんに、最も近い家族から一言申し上げます。
ハンネ=マッテがいなくなってから、空疎な日が続いています。おそらくこのように終わるであろうと、思っていました。最期がこのように終わってしまうのだということはわかっていたことでした。それでも、なんと辛く、苦しいのでしょう。
でも、この1年間は、子どもだったころと同じように一緒に多くの時を過ごしました。でも、妹よ、もっと一緒にすごしたかった。もっと時間がほしかった。
妹よ、君のことを友人や親せきに話すと、特別な人だったことがわかります。優しく、親切で、世話好きで、ユーモアにあふれ、主体的で、生きることに強靭な意思を持ち、ねばり強かった。
強い女性でした。
シャ―ラオースンSkjæraasenの詩――君と私が、ともに感じていたことをよく表していますので、読みます。
「なんという短い時だったことか
最後の時の一瞬、一瞬・・・
覚悟はできていると誰がいえよう
失うことに覚悟ができているなどと・・・」
妹はキャリアのピークにいました。仕事が多く、多くの時間がとられました。病気になる時間などなかったのです。でも、病気には勝てず、昨年の10月からレーナでマグニと私と住むことになりました。
3人にとって意味のある日々でした。苦みと絶望に満ちた日々がありました。でもそれ以上に楽しいことが多くありました。ハンナ=マッテは落ち込むような人間ではありません。歯をくいしばってできるだけのことをやろうとしていました。
多くはアカデミックな仕事でした。でも、別のこともしました。たとえば、レーナに彼女が買っていた山小屋があります。そこに新しい家具や小道具を買って、どこに置こうかなどと話し合いました。
こんな折、新しいプロジェクトも進んでいました。最も成功したのは、彼女と3人のいとこたちで作り上げた、私たちの祖父カルロッタと祖母ヘルガと家族の写真集です。
専門分野では、アンナ・クログスタAnne Krogstad 編による女性参政権についての原稿、クヌート・ヘイダー Knut Heidarの国会史の仕事です。
こうしたプロジェクトは、病気から注意をそらす薬の役目をはたしてくれました。
(略)
マグニ、マリアと私は、一緒に狩をし、一緒に旅をし、人生をともにすごしました。とくにこの1年間は、ハンネ=マッテにとって、マグニとマリアと私が、もっとも大切な人間だったと思います。
こんなにも早く亡くなってしまうことに遭遇すると、「太陽が沈む日を誰も知らない」という讃美歌を思い出します。私たちは今、生きています。私たちは、今、うまくやることができると思います。明日まで長い時があります。
隣にいた人がいなくなってしまうのは辛いことです。でも、辛いとばかり言ってはいけません。わたしは、彼女が私とともに過ごした時、多くのことがらを思い出し、妹に喜んでもらいたい。そうです、今ここにいる、みなさんもそう思っているでしょう。
最後にヤ―ン・マグヌス・ブルーハイムJan Magnus Bruheim の詩をささげます。
「私たちは、生まれてきた
それぞれの重荷を背負って
いかなる人間も、生きる意味がある
しかし、自分の重荷は
自分ひとりで背負わなければならない
悲しみは、偉大な価値を持っている
他人と分かち合うことはできない
喜びは、その価値は薄れる
他人とわかちあわなければ
喜びをわかちあえる人がいない人は、
貧しき人だ」
(7月27日、ハンネ=マッテ・ナ―ルッドの葬儀で、兄Ole Gustav Narud は、「Minneord om Hanne Marthe」を読み上げた。ノルウェー語の原文を英語にし、それを三井マリ子が日本語に要約した。写真は、教会で讃美歌を歌うナ―ルッド家族)
◆生きることは、愛することhttp://frihet.exblog.jp/18281201/
◆ハンネ=マッテ・ナ―ルッド教授逝去http://frihet.exblog.jp/18254408/
◆ノルウェー友人宅http://lykkelig.exblog.jp/9389898/(13年前のハンネ=マッテ・ナ―ルッド)
◆北欧福祉社会は地方自治体がつくるhttp://frihet.exblog.jp/17001329/(挨拶をしたオーレ・グスタフ・ナ―ルッドは、先秋、日本の視察団約20人に市政、福祉、平等について講演。さらに私邸での夕食に招待した。国立へードマルク大学準教授。彼が大阪大学で行った来日講演録は、『ノルウェーを変えた髭のノラ』p203-215)