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「ザードラは、『とげ』という意味です。小さくても、とげがささると、痛くて、気になるでしょ。この雑誌はそうありたいのです」


雑誌を手に持って、クラコフ女性センターeFKa所長のスワヴォーミラは言った(注)。


「創刊は1999年。もう20年たちました。一般に売られているフェミニスト雑誌で、ヨーロッパではドイツの『エンマ』に次いで長いはず」


クラコフ女性センターは、雑誌『ザードラ』編集発行に加え、女性たちの意識を高める話し合いや演劇活動、性暴力から自分を守るセルフ・ディフェンス講座など、活発に動いてきた。同時に、ポーランド議会や政治家に妊娠中絶の完全自由化を求めるロビー活動、さらにはEU委員会の男女平等政策をポーランド政府に守らせる運動…。


「ポーランドは1989年まで共産党独裁でした。女性団体はあっても上から作られたもので自主的ではなかったのです。自由主義社会となった後、政党や市民団体が誕生しました。政治に期待を抱き、私自身『緑の党』から立候補したこともあります。でも政治から少し離れました」


―なぜ?


「男性たちの“椅子とりごっこ”のような、権力争いに嫌気がさしたのです。それと、フェミニストたちに理解があった女性の国会議員が、若くて死んでしまったこともあります。彼女の死を知って、何日も泣き続けました」


―死因は?


「飛行機の墜落です。知ってますか、第2次大戦中の1940年、カチンの森でソ連によってポーランド将校、警官、公務員数万人が虐殺されました。ソ連はドイツの仕業だと言い続けたものの、1990年、やっと非を認めました。2010年、『虐殺70周年追悼式』に出席するため、ポーランド大統領や議員が飛行機で向かったのですが、その飛行機が墜落したのです。国のかじ取り役たちが皆死亡。私たちが頼りにしていた女性国会議員も死亡。当時の政府は革新とはいえなかったのですが、それ以降、さらに右よりとなりました」


―でも、あなたはロビー活動は続けているし、EUの男女平等政策にならえと、政府の女性政策に厳しく批判していますよね


「ええ。でも、自分が議員に立候補するとか女性議員を増やそうというよりも、もっと女性の内的解放を求めるほうを大切にしています。ポーランドの女性たちは、常に、今も昔も『第二の性』です。男性が主であり基本。女性のことは二の次。教育も社会も家庭も男女で求めることが違うのです。しかし、そうではない。私たちは同じ権利をもっている自由な存在でしょ」


―ポーランドの歴史は抑圧と支配の歴史です。ポーランドの男性は被抑圧者(つまり女性)の苦悩がわかるのではないか、と?


「歴史は歴史です。問題は、男性たちは、家庭や自分の気持など私的なことと仕事など公的なことをわける傾向にある。私的なことに価値を置かないようにしてきたことに、女性差別の大きな要因があると考えています」


大国に挟まれた小国の歴史、ナチスドイツによる大虐殺の歴史。「(ずっと耐えて)最後まで愚痴を言わないのは、ポーランド人」という言葉があるという。耐えに耐えた国だからこそ、ポーランド女性たちの闘いは一層困難を極めているように思った。


(話は尽きなかった。またの機会に)


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(注)私のポーランド訪問のそもそもは、『叫ぶ芸術ーーポスターに見る世界の女たち』 をネットで見たスワヴォ―ミラから、「なんてすばらしい! 日本語の解説はよくわかりませんが、女性たちをとりまく問題はよくわかります。女性たちの怒りは共通ですね」というメッセージが寄せられたことだ。「クラコフ女性センターで、ポスターを見ながら話し合う会を持ちたい」、「クラコフには日本文化を紹介する会館がある。そこがポーランド渡航の支援してくれるだろう」・・・。そんな対話から、人生初の東欧訪問となった。ところで、私が東欧と口にすると「わたしたちは、もう東欧とは言いません、中欧と言います」。スワヴォ―ミラからの小さな「とげ」が私にささった。











# by bekokuma321 | 2019-03-19 04:39 | ヨーロッパ

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ラコフは、16世紀ワルシャワに遷都されるまでポーランドの首都だった。古い町並みはユネスコの世界遺産第1号だという。


そんなクラコフに溶け込むように「クラコフは女性だ」と書いたメスマーク付きポスターが掲げられている。5枚シリーズだ(上)。


女性の権利のために闘い、女性の地位向上に貢献したクラコフの歴史上の女性たちが、写真入りで解説されているのだ。5枚目には、クラコフで学んだコペルニクスを登場させて、「その昔、コペルニクスは女性だった」(写真最下)。エーッ、な、なんだって。すると、続いて、「有名なSF映画『セックスミッション』ではコペルニクスは女性だったのですから、クラコフも女性だと考えられるでしょ」と。そのキャッチィさに思わず笑った。


クラコフ市役所に行って担当したという市職員(女性)に取材した。


「あなたのような反応があると、作成した意義を感じます。うれしいです。女性は、このように特別にとりあげないと、歴史にうずもれてしまいます。ポスターが展示されている場所は、さまざまなテーマのお知らせをする場です。『クラコフは女性だ』の展示期間は今年の1月から4月までです。もとはといえば、昨年、ポーランドは女性参政権100周年を迎えたのですが、それがきっかけです。企画したのは、ここで働く市長担当の女性2人なんですよ」


サイズはかなり大きく、大人の目の高さに展示されている。市の観光案内オフィスと、市役所前の広場なので、これなら通行人、市役所に用事のある人たち、すぐそばにある公共の乗り物を待つ人たちの目にとまる。英訳付きだから、国内だけでなく世界中からやってくる大勢の観光客も、足をとめる。


日本の地方自治体も、少しは考えたらどうだろう。故郷に女性の力で貢献した女性は数えきれないほどいるが、多くは忘れ去られている・・・。


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# by bekokuma321 | 2019-03-18 14:55 | ヨーロッパ


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金曜日の午前10時半ごろ、クラコフ中央広場に若者の声が響き渡った。


ガイド役のヤゴダが「こどもたちのデモですね」と言う。広い中央広場を駆け足して近づいてみた。数百人もの生徒たちが、延々列をなしていた。


女生徒の多いこと! プラカードや横断幕から判断すると、環境保護を求めてのマーチのようだ。


ポーランドは、長いソビエト支配から抜け出て、資本主義経済にまっしぐらだ。そのせいで、環境問題がおろそかにされてきたという。地球温暖化に危惧する若者たちが世界各地で抗議の声をあげているように、クラコフも例外ではないのだろう。


国の政治をちょっと。クラコフのフェミニスト団体eFka所長スワヴォーミラ・ヴァルチェフスカは、ズバリ「極右政党の力が強くて、とても深刻です」。妊娠中絶が完全に合法化されないなど、女性の権利はまだまだ、という。EU加盟国は、男女平等に関するEU指針に従わなければならないが、ポーランドの男女平等は生彩を欠いている。だから、スワヴォーミラの毎日は多忙をきわめる。


「私たち女性団体は政府の右翼的政策の監視と批判にせまられて、それはそれは忙しい。昨日も、ブラッセルで開かれた会議にNGOとして参加して、政府代表がどんな変なことを言うかチェックしてきました」


地方政治はどうか。選挙は比例代表制だが、北欧とは異なり個々の候補者に印をつける。英語サイト「クラコフ・ポスト」によると、前回の選挙は2018年秋。クラコフ市議会43議席に300人以上が出たと書かれている。個々の候補者の政治信条がよくわからない場合、「所属政党の公約を見るといい」とある。


クラコフ政治は、国の政治と並行していて、右寄りの政治が続いているようだ。市長候補6人中3人が女性だ。6人の所属政党を見ると、自由党liberal(減税、経済上の規制緩和)、KUKIZ’15 (右派、ポピュリスト党)、Logical Alternative(中道左派)、Together Party(民主社会主義の新党)、法と正義(国会の最大政党、極右と言われる)、政党所属を明らかにしていない現市長(2002年~)。


結果、現職市長が再選されて、今、72歳の法学者が現在クラコフの行政を握っている。


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▲「日本が大好き」と声をかけてきた中高生。「デモには加わってません」「日本に行きたい。ブログに載せてほしい」という。クラコフ中央広場のマクドナルドで。クラコフの遺跡を地下に残して建築されている。


【更新:20190319】

   



# by bekokuma321 | 2019-03-16 15:59 | ヨーロッパ

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クラコフのカジミエシュ地区のスタラ・シナゴーグに行った。ユダヤ博物館にもなっている、ポーランド最古のユダヤ教神殿だ。

外観だけしか見られなかったが、驚きは、男性と女性で入口が別々であることだ。男性は、向かって右の赤いレンガ建築のほうで、女性は一段と小さなサイズの黄色の建物のほうだ。

ユダヤ教のシナゴーグは、祈りを捧げる神聖な場所であるだけでなく、人々のあらゆる集いの場である。そこに足を踏み入れようとするとき、すべてのユダヤの女性たちは「男性とは違う生き物なのだ」と思いしらされたのである。

露骨な性による分断は、私にアメリカの黒人差別を思い起こさせた。60年代、アメリカの黒人は、バスの後部座席にしか座れず、公園の水飲み場も黒人用のしか使えなかった。これが黒人差別撤廃の大運動の発端となった。

ユダヤ教の戒律から来た女性差別は、現在でもまだ残っているという。



# by bekokuma321 | 2019-03-15 17:48 | ヨーロッパ

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クラコフの女性センター所長スワヴォーミラ・ヴァルチェフスカに招かれて、ポーランドの古都クラコフにやってきた。美しい街並みは、あのナチスドイツでさえ爆破をためらったのだという。


クラコフの中心にあるヤギェウォ大学は、650年の歴史を持つ。時は14世紀。当時の王カジミエシュ大王は、国には法学や行政の教育を受けた人々が必要だと考えて、文学、薬学、法学の3学部を創設した。コペルニクスもここで学んだという。


大王の死後、大学は消滅の危機に陥った。それを救ったのが、ポーランド王国初の女性の君主セイント・ヘドウィグ(1373 –1399)歴史学者でもある案内人スワヴォーミラは、私に言った。


「彼女は、ヤドヴィガと呼ばれるほうが多いです。ヤドヴィガはもっていた宝石など全財産を大学に寄付して、自分は木でできたネックレスをしていたそうです。彼女の寄付によって大学は復興されました。彼女は大学の必要性を強く認識していたのです。今、世界に誇るこの大学があるのは、ヤドヴィガのおかげなのです」


とはいえ時代は中世。女性の入学は許可されていなかった。驚くのは、その1415世紀に女人禁制を破って大学で学んだ女性がいた。学びたい心を抑えきれずに、男装して大学に潜り込んだのだ。ナーヴォイカという女性だという。バーバラ・ストライサンド主演の映画「イエントル」を思い出す。スワヴォーミラは「実際はね、1人だけでなく、男装した女学生は複数いたそうですよ」と付け加えた。


時代は過ぎても、女人禁制は解かれなかった。日本ではキュリー夫人で知られる、マリア・スクウォドフスカも入学を拒否された。彼女はパリに渡ってソルボンヌ大学で学んだ。スワヴォーミラの説明には力がこもってくる。


マリア・スクウォドフスカは、ソルボンヌ卒業後、再びヤギェウォ大学に助手として働きたいと申請しましたが、またしても拒否され、失意のうちにパリに戻ったんです。いいですか、2度もノーベル賞をとった女性を、この大学は2度も泣かせたのです」


しかし、いまヤギェウォ大学は、「5万人の学生がいて、その65%は女性です」と高らかに報告している(ホームページ)。



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写真はヤギェウォ大学(Jagiellonian University)】
 【2019.3.19 更新】

# by bekokuma321 | 2019-03-15 07:21 | ヨーロッパ