c0166264_17535890.jpg私は自分を熱烈なわらび座ファンだと思っている。わらび座とは、田沢湖湖近くにある劇団だ。今年1年、和崎ハルを舞台に取り上げた。

和崎ハルは、三井マリ子さんがFEM-NEWSでたびたび紹介しているが、明治生まれの、秋田の女性活動家だ。女性が参政権を獲得して初めての選挙でトップ当選して、初の女性代議士となった。

今年は、女性参政権行使70 周年。和崎ハルを主人公にしたミュージカル「ハルらんらん♪」公演は、このタイミングを狙ってのことだ。

舞台では、わらび座の看板女優・椿千代が主人公ハル役となり、グングン観客を引っ張ってゆく。まさしく和崎ハルが、当時の女性たちを引っ張っていったように。

まずは、秋田高等女学校生ハルら友人3人が、未来の夢について語り合う。全編通じて秋田弁。これも地元民にはうれしい。次の場面はハルのお見合い。夫となる和崎豊之に、ハルは一目ぼれする。そして結婚へ。

舞台の転換は早い。衣装替えの速さもファンにとって観どころのひとつだ。夫の発病そして臨終。ハルは、残された5人の子どもと一家を分散させてはならないと強い覚悟をして、故郷秋田に戻る。

ハル役の椿千代は、気軽に観客に声をかけたりするサービスも欠かさない。舞台と観客席との距離が一気に縮まり和む。

1年目と2年目の新人役者もいる。その人達の演技が、見にくるたびに成長しているとわかるのも楽しみだ。それに、出演者12人中8人が女性だ。珍しいが、和崎ハルの舞台にふさわしい。

舞台は進み、秋田に戻ったハルは秋田市の川端(かわばた)に美容院を開店する。同時に新聞の人生相談を担当したりする。尋常小学校にも行けず、読み書きのできない少女らのため、芸者学校をつくる。次々に起こる困難を、ハルは持ち前の前向きの姿勢で突き進んでゆく。

「男は弱いものをさげすむ。弱い男は、さらに弱い女・子どもを痛めつける」
「戦争を止められなかったのは、子どもを産み育てる女にも罪あった」

ハルは歌う。これにはぐっとくる。私の目も潤む。

今や、女性も男性と分け隔てなく投票はできる。しかし、女性が立候補しようとするとどうだろうか。まだ大きな壁がある。子どもや夫の理解が得られないと立候補の意思を貫くのは難しい。それにお金が必要だ。大量のポスターを印刷し掲示板や民家や空き地に立てるなど、多くの人手がいる。なのに、政党はいまだに男性を優先して公認しがちだ。

和崎ハルが初めて立候補した戦後直後は、宣伝カーもスピーカーもなかったはずだ。むろん「政党交付金」などまったくなかった頃だ。ハルの選挙費用は知人友人からのカンパで賄ったのだろう。

演説をして回ることが、当時、最も重要な選挙運動のひとつだったことはわかる。ハルは、「ハルの『ハ』は、あいさつの時、畳に手をついたときの手の形。『ル』は・・・」と演説して回ったという。こうして、ハルの名は字の書けない人にも浸透していったのだろう。

c0166264_1773448.jpg現在は、政党助成法にもとづく、「政党交付金」がある。政党には、毎年、税金から320億円もの資金が出ている(共産党は辞退)。この政党交付金は、国から政党本部に送金されて、本部から地方の政党支部に流され、選挙に使われる。

政党交付金は税金だから、使い残したら国に返還する義務があるのだが、それを返さず手元に残す抜け道が設けられている。

それをいいことに、三井マリ子さんを秋田3区の衆院候補に担いで政党支部長にしたてて、その支部に送金された政党交付金を貯め込んだ民主党秋田県連の話は、秋田では有名だ。新聞に何度も載ったからだ。

三井さんは、裁判をして不正にたちむかった。その裁判は昨年、三井さんの主張がほぼ認められて被告側が「お詫び」して終わった

c0166264_17263467.jpg裁判中、政党交付金を不正に使った政治家のニュースが次々に報道された。今年の夏ごろには、富山県で起きたおおがかりな政党交付金事件が全国版の新聞に載った。政務活動費の不正受給から始まって、芋づる式に不正が明らかになった。民進党(前の民主党)富山県連は、県連に来た政党交付金のうち「少なくとも計4千525万3468円」を不正に使っていたという。

民主的な政治活動をするために政党助成法ができたらしいが、民主的どころか、不正の温床となっているようだ。それに私は、自分の税金を(政党交付金の原資は国民1人当たり250円)、自分が支持してもいない政党には出してもらいたくない。

さて、わらび座の舞台は、和崎ハルが国会議員になったところで大団円となる。年明けは、1月1日~3日の3回の公演。3日が千秋楽だ。

日本の選挙の大団円は、いつやってくるのだろうか。

加島 康博(秋田市、さみどりの会 *)

【写真上:2016年わらび座ミュージカル「ハルらんらん♪」のポスター】
【写真中:秋田市内で三井裁判のビラまきをする、裁判支援の人たち】
【写真下:2016年夏、和崎ハルの石碑を訪ねて裁判の報告をする三井マリ子】

参考リンク
湖面に投げられた「政党交付金」という石の波紋
三井裁判和解に思うこと
女性参政権行使70周年を祝えるのか


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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-12-28 18:26 | 秋田

「和崎女史が最高点」

戦後初の衆院選は、ちょうど70年前、1946年に行われた。秋田県は、和崎ハルがぶっちぎりのトップ当選だった。

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上は、友人が送ってくれた当時の新聞記事だ。まじまじと見て、あらためて、その歴史的快挙に感動した。41人の立候補者がいて、うち当選者は8人。すごい競争率だ。その先頭に「100247 和崎ハル(中立新)」とある。彼女の後に7人の当選者が並び、落選者がズラーッと続く。和崎ハル以外は全て男性だ。

「連記制」だったから、といわれている。阪上順夫『現代選挙制度論』(政治広報センター、1990)にはこうある。

「1946年4月10日総選挙では、85%の新人議員と39人の婦人議員を生み出したが、これには連記制が有利に働いた。特に初めて選挙権を行使した女性が、1票はとにかく、同性へと必然的に意識して投票したと考えられ(アベック投票と呼ばれた)、候補者や政党が乱立したことから、保守と革新に振り分けた分裂異党派投票も多かった」

70年前の日本の選挙は、大選挙区制。しかも投票者は、何人かの候補者名を書くことができた。そのため、投票用紙に男女の名前を書く人が多く、「アベック投票」と呼ばれた。これって、2015年3月、世界をあっといわせたフランスの「ペア候補」とそっくり。

1946年の日本の「アベック投票」は、こんなふうに決められていた:

「東京都や大阪など、定数11名以上の選挙区は、3名。
定数4名以上、10名以下の選挙区は、2名。
定数3名以下の選挙区は、1名のみ(現在の投票と同じ)。」

定数4名が最小で、3名以下の選挙区はひとつもなかったというから、すべての人が、投票用紙に、2名か3名を書くことができたのだ。

c0166264_16371927.jpgなにしろ日本女性にとって、歴史上初の晴れがましいできごとだった。それまで女に生まれたというだけで投票に行けなかった。女学校教師(女性)が、「用務員の男性は投票できるのに、教員の私は投票できない」と、その理不尽さを嘆いた文を読んだことがある(注1)。そんな女性たちに待ちに待った参政権が付与されたのだ。女性たちの多くは、2人のうち1人、3人のうち1人は女性の名前を書いたに違いない。男性だってそうしただろう。

これが、多くの女性候補当選につながった。

ところで、女性参政権行使70周年の今年、小池都知事の誕生により、女性の政治参加が少し前に進んだように見える。しかし、日本全体では、政治分野はまだ男の牙城だ。何度でも言うが、日本の国会における女性割合は9.5%で、世界193カ国中、ボツワナと並ぶ157位である(第1院、2016年8月現在)。

こんな日本に、国連も黙ってはいない。国連女性差別撤廃委員会は、日本政府に、「政策決定への女性の少なさを解消するため、クオータ制など暫定的特別措置を実行せよ」と繰り返し勧告してきた。ごく最近も、レポートを出した。2016年3月7日だ。その委員会報告、19条、31条に明記されている(注2)。

まずは女性や少数派に絶対的に不利な選挙制度「小選挙区制」は改めるべきだ。比例枠を減らそうなんて言語道断だ。国連が提唱する「クオータ制」は、比例代表制でこそ効果が出る。

はるか70年前、「アベック投票」で女性をどっと当選させたではないか。やれないことはない。

女性差別撤廃委員会 日本政府報告書審査の総括所見(英語)
「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
ハルらんらん♪
比例区、またまた削減
「身を切る改革」どころか「民意を切る改革」
小選挙区制は女性の声を捨て去る


【注1】折井 美耶子編『女ひとりわが道を行く―福田勝の生涯』だと思う。
【注2】日本政府はなぜか半年たってもまだ和訳を公表してない。わたしなりに原文から訳した→
19条は「クオータ制など暫定的特別措置など必要な制度によって、実質的に男女平等を速攻で進めること、なかでも、少数民族、先住民、障がい者などマイノリティ女性の権利を確保すること」と勧告する。31条は、3つの具体策を提示する。
(1) クオータ法などの暫定的特別法によって、選挙や任命によるポジッション(議員や委員など)に、完全なる男女平等参加を促進すること  
(2)第3回、4回国内行動計画にある、2020年までに、立法府、内閣府、首長を含む行政府、法曹界、外交、学界などすべての分野において女性を30%にする目標に向かって、実効性のある具体策で確保する
(3)アイヌ民族、部落、在日韓国人など、障害者や少数派の女性が代表となれるような暫定的特別措置を含む、特別の対策をとること 
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by bekokuma321 | 2016-09-14 22:14 | 秋田

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「女性参政権行使70周年」を記念する観劇・温泉ツアーを企画して、和崎ハルを描いたミュージカルを、秋田まで見に行った。

ツアーは7月28日。その前に、この記念すべき集まりに、何かお土産をと思案した。京都の友人に、秋田市で戦前行われた「東北普選大会」ーー女性にも参政権をという歴史的運動の集会ーーの写真を見せた。すると、国際女性デーの絵はがき作成を手がけてきたその友人は、「絵はがきをつくろう」と言い出した。

写真には和崎ハル、市川房枝、山高しげりがいる。

和崎ハルは、秋田から出た初の女性代議士だ。市川房枝は日本の女性参政権運動の先駆者で、長年参議院議員をつとめた。山高しげりも、女性参政権運動の指導者で、地婦連代表だった。

写真のうしろに私の走り書きがあって、20年ほど前、本郷郁さんという見知らぬかたからいただいたものだった。本郷さんに、「写真を絵はがきにしたい」と伝えたかったことと、キャプションへのヒントをいただきたかったため、居所を探しに探した。やっと横手出身で現在は東京在勤の息子さんまで行きついた。ところがお母様はだいぶ前に亡くなっていて、「母がこういう関係の活動をしていたことは全く知らなかった」とおっしゃった。

c0166264_235004.jpg次に、新宿の大久保にある矯風会の高橋喜久江さん(写真右、注)を訪ねた。嬌風会は、戦前から公娼廃止運動の中心を担い、今は慰安婦問題などにもとりくんでいる。

市川房枝・山高しげりがかかわっていた日本婦人参政権協会は、日本婦人矯風会から生まれたことを知っていたので、何か高橋さんからお話を聞けるだろうと思った。高橋さんは、久布白落実については思い出話をしてくださったが、山高しげりや秋田支部についてはあまり記憶がないようだった。

でも、高橋さんから見せていただいた文献によると、廃娼運動や女性参政権運動は、日本全国に支部をつくって代表者を決めての壮大な女性解放運動だった。そのなかで、秋田はいち早く公娼制廃止を実行した県のひとつだった。

酷暑の中、すまいのある長野と東京を往復した車中で読んだ文献から、いかに秋田の女性たちが戦前・戦中、女性解放運動に熱心だったかをあらためて学んだ。「女性差別をなくしたい→法制度が必要→女性を議会に」という思いは、1992年創設の全国フェミニスト議員連盟の初志とそっくりだった。

c0166264_23523582.jpgさて、左は和崎ハルについて、私が講演している瞬間である。本などから、和崎ハルの武勇伝を聞きかじっていた私は、講演のなかに、彼女のエピソードを入れることが多かった。和崎は、衆院選の最中、字の読めない書けない当時の女たちに「ハルのハはおじぎをするときの手の恰好で、ルはその右手をチョンとはねればいい」と訴えた、という。それを、私は身振り手振りで紹介した。1999年京都での講演だった。

その後、10年以上の月日が過ぎ、“2012年の衆院選”で、私は秋田3区の候補者となった。秋田の人たちを前に、和崎ハルを引きあいに出して、女性が政治に出てこそ女性が暮らしやすい秋田にできると訴えた。私の選挙は惨敗だった。政党交付金がらみで、奈落の底につき落とされるような経験もした。しかし、あの選挙がなかったら、私が和崎ハルに再び向き合うことはなかっただろう。

最後にもうひとつ。記念の絵はがき(写真最上)を作成したのは、実は、1999年京都で和崎ハルについて話す決定的瞬間(写真左上)を撮影した人だった。京都のフェミニスト・アーティストふじみつこだ。当の本人は、1999年のことをよく覚えていないようである・・・。

ハルらんらん♪
ノルウェー女性参政権100年から考える

【注:私は、1980年代末、女性の駆け込みセンター「女性の家HELP」に関心を持っていた。そのため当時、何度か高橋喜久江さんに面談した。高橋さんとの再会は2010年。高橋さんは、拙著『ノルウェーを変えた髭のノラ:男女平等社会はこうしてできた』の出版記念会に顔を見せてくださった。とはいえ高橋さん自身について取材したのは今夏が初めて。高橋さんは若いころ、矯風会本部の求人に応募して合格。久布白落実のもとで働き始めてから現在に至るまで、矯風会を拠点に売買春廃絶運動に全生涯をささげてきた。その師、久布白は、廃娼運動に命をかけただけでなく、市川房枝と並んで女性参政権運動をけん引した。今、高橋さんは「嬌風会の会長は退いていて、慈愛寮の理事長です」と、私に名刺をくださった】
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by bekokuma321 | 2016-09-07 00:11 | 秋田

ハルらんらん♪

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「すばらしい! 全国の中高生に見せたい」
「女性参政権の歴史がわかった」
「和崎ハルのたくましさに感動した」
「わかりにくい秋田弁もあったけど楽しかった」
「当時のように日本中に支部をつくって女性議員を増やさなくては」
「字も読めない書けない人がいた時代の運動はどれだけ大変だったか」
「口減らしのため売られた農家の少女たち。まだ残る貧しい国の人身売買に通じる」

ミュージカル「ハルらんらン♪ 和崎ハルでございます」を観たひとたちは口ぐちに言った。

遠くは京都、名古屋、函館、東京……近くは秋田、横手から20人が、7月28日、あきた芸術村のわらび劇場にかけつけた。「女性参政権行使70周年」を記念しての観劇・温泉ツアーだ。

c0166264_11304856.jpg70年前、戦後直後の1946年4月、日本全国で女性79人が衆院選に立候補して、39人もが当選した。

秋田では、女性解放運動家であり美容師・和崎ハル(無所属)が、41人中トップで選ばれた。文献によると、和崎ハルは、1885年、秋田市生まれ。結婚して秋田を離れるも、夫の死後、5人の子どもと姑を連れて、秋田に戻った。

ハルは美容院を開いて、生きて行く。髪ゆいや美顔マッサージをしながら、性を売ることを余儀なくされている女性たちの相談に乗るようになる。その体験から公娼廃止運動へ。

当時、東京の廃娼運動(公娼廃止運動のこと)の幹部たち(注)は、世界の動きに呼応して女性参政権を求めて活動していた。

秋田の和崎も、同志たちと「廃娼運動」に加え、「婦選運動」(女性の参政権運動のこと)に身を投じる。婦選獲得同盟秋田支部支部長となり、1932年、「東北婦選大会」を秋田市で開催。700人が集まった。市川房枝や山高しげりも招かれた。

1937年、息子のいる大阪に移った後、戦況が激しくなり、1944年、秋田県横手に戻った。そして敗戦。ポツダム宣言で、日本女性は、参政権を付与される。

和崎ハルは、1946年、戦後初の総選挙に、横手から立候補。その冬はまれにみる豪雪だったため、雪の残るなかの選挙運動だったらしい。14年前に「東北婦選大会」を成功に導いた和崎ハルを当選させようと、市川房枝は、寝食をともにしながら選挙運動を支えたという。

和崎ハルを含む女性代議士の居並ぶ第90回帝国議会。そこに上程されたのが「新憲法案」(11月3日公布)だった。

【写真上:ミュージカル観劇後、あきた芸術村わらび座劇場前で「女性の連帯!」とこぶしをあげる。舞台姿の登場人物もいっしょ。加島康博提供。写真中:「女性参政権行使70周年記念ツアー」を迎えるホテルの看板。加島康博撮影。写真下:市川房枝直筆の「和崎ハル」を顕彰する碑。秋田市金照寺山。亀田純子撮影】

c0166264_1142111.jpg和崎ハル:廃娼運動と婦選運動
女性参政権運動と秋田
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
参院選2016年と女性
ノルウェー女性参政権100年から考える
和崎ハル_1 武塙三山
和崎ハル_2 武塙三山
和崎ハル_3 武塙三山
和崎ハル_4 武塙三山
和崎ハル_5 武塙三山
普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
女性と選挙
2014衆院選 比例制に変えるしかない
参院選で女性躍進ならず

【注:1886年 世界キリスト教婦人矯風会の日本版として東京婦人矯風会発会(初代会頭矢島楫子)。1893年 日本婦人矯風会と改称(会頭矢島楫子)。1916年 公娼廃止を優先課題に。1917年 公娼廃止運動の挫折から婦人参政権運動を宣言。1920年 世界婦人参政権協会に出席(久布白落実)。1921年 全国常置員会にて日本婦人参政権協会設立。1930年 第1回全日本婦選大会。--出典「日本キリスト教婦人矯風会年表」】
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by bekokuma321 | 2016-07-30 07:28 | 秋田

参院選終盤だ。女性参政権行使70周年の今年、参院女性候補は96人。389人中24.6%にすぎない。東京選挙区は31人中女性7人、わずか22%だ。

日本の議会の男女比は9対1である。国際比較の基準となる衆院9.5%(45人)で比べると、世界191カ国のなかでボツワナと同じ155位だ。女性が10%以下しかいない国は、先進国では日本のみ。

衆議院だけではない。身近な議会と称される地方議会も、女性はきわめて少ない。都道府県議会8.8%、市区町村議会11.8%だ。国際比較は難しいが、地方議会に女性が1割しかいない先進国は、そうそうないだろう。

その日本の全議会のなかで、もっとも女性議員の多い議会、それが、今、選挙真っ最中の参議院だ。女性議員は15.7%(38人)。衆議院における女性の極端な少なさを思うと、参議院の90%を女性が占めてもいい。それだけ日本の政治は、女性の経験や実績を必要としている。パターナリズム(父権主義)大好き安倍政権を変えられるのも、女性の連帯以外にない。

参院が、他と比べて女性が多いのは、選挙制度と深い関係がある。衆院は小選挙区中心の選挙であり、地方議会はいわゆる大選挙区制(小選挙区制と同じ多数制:注)だ。参議院だけは、改選数の約4割が比例代表制で選ばれることになっているからだ。

比例代表制は、19世紀後半、イギリスのジョン・スチュワート・ミルや、ベルギーの数学者ヴィクトル・ドントなどが、さかんに唱えた。それまでの小選挙区制は、民意を反映しない不公平な選挙制度だと批判が大きくなっていた。私の好きなノルウェーは、1920年、それまでの小選挙区制から比例代表制に変えた。

もういちど、女性参政権にもどる。戦後の1946年4月、私たちの祖母や母たちは、生まれて初めて投票所に足を運んだ。その選挙に立候補した女性79人。うち39人が当選した。当選率約50%! 驚きだ。

佐藤(三木)きよ子は大阪1区で当選。「大阪の女性の動きは鈍かったといい『女性たちの目を覚ましてやる』と立候補した」と今朝の朝日新聞に載っていた。秋田からトップ当選した和崎ハルは、市川房枝を師と仰ぐ婦選運動家。字を読めない書けない人たちに向かって驚くべき戦術を考えた。「ハルのハは、おじぎするときの手の格好です。その右手をちょんと跳ねるとルになります」と、ジェスチャーをして演説したのだそうだ。

戦後直後の女たちは、食べることだけで精いっぱい。政治的に鈍かったのは当たり前である。それなのに、39人という女性の当選。この記録的数字は、2005年まで半世紀の間、一度も破られていない。

そこには、大選挙区の連記制という選挙制度の存在があった。1人が2,3人を書くことができたため「1人は女性を」意識が働いたからだと、言われている。次の選挙からは、中選挙区制の1人1票に変えられて、当選者は15人にガクンと減った。

選挙制度が、いかに女性議員増に重要かの証である。

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▲戦後、秋田市で開かれた東北婦選大会。前列中央に市川房枝、その右後に和崎ハル。秋田県横手市の本郷郁さんより1996年ごろ三井マリ子に贈られた。

参院選2016年と女性
和崎ハル_1 武塙三山
和崎ハル_2 武塙三山
和崎ハル_3 武塙三山
和崎ハル_4 武塙三山
和崎ハル_5 武塙三山
普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
女性と選挙
2014衆院選 比例制に変えるしかない
参院選で女性躍進ならず

【注:小選挙区制とは選挙区から当選者1人を出す選挙制度。最強者以外に投じた票はすべて死に票となる。大選挙区制とは2人以上の当選者を出す選挙制度で死に票がやや少なくなる。中選挙区制は衆院選が小選挙区制に変えられた以前の選挙制度だが、大選挙区制の亜流といえる。これら多数制選挙の欠点を克服するために誕生したのが比例代表制。政党ごとの獲得票にしたがって各政党の当選者数を決める方法。勝ち負けというより、大政党は大政党なりに小政党は小政党なりに当選者が出る。北欧諸国やヨーロッパの多くの国々は比例代表制選挙。参院選の1人区32選挙区は小選挙区制であり、複数区は大選挙区制】
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by bekokuma321 | 2016-07-08 17:49 | その他