c0166264_17422981.jpg1月3日、「ハルらんらん♪」を、わらび座で見てきました。秋田の女性代議士第1号となった和崎ハルを描いたミュージカルです。

私は、ハルさんのひ孫にあたります。曽祖母のハルさんについての思い出は、ハルさんの娘である祖母(高橋みさを)からよく聞いていました。

実は、市川房枝さんが来秋して、秋田市の金照寺山に建立された和崎ハルの石碑の除幕式があったのですが、その写真に3歳の私が写っているのです。祖母や母から聞いたそのときの様子と重なり合って、ハルさんの記憶がうっすらと残っています。

身内だからではなく、一人の人間としてハルさんの生き方に共感します。「ハルらんらん♪」も4回目です。

女性参政権行使70周年である2016年を記念して公演された「ハルらんらん♪」は、1月3日が千秋楽でした。年の初めなのに終わりとは皮肉ですが、ほぼ満席で、むしろ秋田県外の人が多いように見えました。

お正月3が日には「新春顔見世」と「俳優まつり」が行われます。とりわけ1月3日の「俳優まつり」は数々の舞台を沸かせた俳優さんたちが、各テーブルに次々と現れ、一緒にお酒を飲んで親しく語ってくれるという、フアンにとってはたまらない企画のようです。

お正月公演は初めてだった私は、きょろきょろしていましたが、ハルさんこと椿千代さんが、私の隣に座ってくれたため、じっくりお話できました。

椿千代さんは、191回という公演回数を代役も立てず主役の和崎ハルを演じきりました。舞台ではとても大きく見えたのですが、隣席の椿さんは、小柄で細身です。それでも、演じ終えた安堵感からでしょうか、自信に満ちあふれた風格をただよわせ、ふと、ハルさんと錯覚しそうでした。これからもずっと応援していきたい女優さんです。

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   ▲ハルが卒業した秋田県立秋田高等女学校(現秋田北高)。わらび座舞台

さて、「ハルらんらん♪」を4回見て、ハルさんへの思いが錯綜しています。いろんな社会的圧力や社会通念のなか、ずっと貫きとおしたハルさんの平等思想はどのように生まれ育ったのでしょうか。

若い時のキリスト教会通いが影響したのでしょうか。舞台で、秋田高等女学校の桜子さんが、リンカーンの演説を英語で高らかに復唱する場面があります。秋田に当時そんな気風があったとしたら驚きですが、そういう自由な教育が、ハルさんをつくったのでしょうか。そうだとしたら秋田もなかなかやるなあと思ったのです。

「あらゆる人は平等・・・・・♪」という舞台に流れたメロデイーが今も耳から離れません。

ハルさんの行動は、「人はみんな同じだ」が原点であり、一生を貫いたエネルギーになっていると思います。人間に対しての暖かいまなざしや、権力者や強いものへの毅然とした行動、弱者への限りない愛など・・・・。

さらにハルさんは、戦争に対しての責任を他人のせいにせず、生命を生む女が止められなかったと言っています。私は、この姿勢が大好きです。人のせいにすれば自分は楽ですが、根本は何も変わりません。何事も主体的にならなくてはと思います。

女性の地位がまだまだ低かった時代、女性のために頑張って地位向上に粉骨砕身、行動したハルさん。女性参政権を求めて運動していたからこそ、参政権を得た戦後直後、衆議院議員に立候補して「権利の上に眠るな」を自ら実行したハルさん。そのハルさんの生きかたを忘れずに、今、自分が何をしなくてはならないか、考えたいと思います。

高橋 みどり(秋田県湯沢市稲川地区民正児童委員協議会会長)

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▲和崎ハルが住んでいた地(↑)。ハルは長女とその夫(作家伊藤永之介)が疎開していた秋田県横手町(現横手市)に移住。横手で1945年の敗戦を迎え、自叙伝『私の歩んだ道』を出版。”婦選”が実現した1946年衆院選でトップ当選した


参考リンク
あけましておめでとうございます
「ハルらんらん♪」から思う女性参政権
女性参政権行使70周年を祝えるのか
女性解放運動の先駆者早川カイ
女性参政権行使70周年:今こそ「アベック投票」精神を
ハルらんらん♪
「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
和崎ハル:廃娼運動と婦選運動
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
参院選2016年と女性
和崎ハル_1 武塙三山
和崎ハル_2 武塙三山
和崎ハル_3 武塙三山
和崎ハル_4 武塙三山
和崎ハル_5 武塙三山
普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子

【写真上:高橋みどりさん(横手市内、三井撮影)、中:「ハルらんらん♪」舞台にセットされた秋田高等女学校(わらび座、加島康博撮影)、下:女婿の作家伊藤永之介宅の跡地(横手市内、三井撮影)】
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by bekokuma321 | 2017-01-04 18:50 | 秋田

c0166264_17535890.jpg私は自分を熱烈なわらび座ファンだと思っている。わらび座とは、田沢湖湖近くにある劇団だ。今年1年、和崎ハルを舞台に取り上げた。

和崎ハルは、三井マリ子さんがFEM-NEWSでたびたび紹介しているが、明治生まれの、秋田の女性活動家だ。女性が参政権を獲得して初めての選挙でトップ当選して、初の女性代議士となった。

今年は、女性参政権行使70 周年。和崎ハルを主人公にしたミュージカル「ハルらんらん♪」公演は、このタイミングを狙ってのことだ。

舞台では、わらび座の看板女優・椿千代が主人公ハル役となり、グングン観客を引っ張ってゆく。まさしく和崎ハルが、当時の女性たちを引っ張っていったように。

まずは、秋田高等女学校生ハルら友人3人が、未来の夢について語り合う。全編通じて秋田弁。これも地元民にはうれしい。次の場面はハルのお見合い。夫となる和崎豊之に、ハルは一目ぼれする。そして結婚へ。

舞台の転換は早い。衣装替えの速さもファンにとって観どころのひとつだ。夫の発病そして臨終。ハルは、残された5人の子どもと一家を分散させてはならないと強い覚悟をして、故郷秋田に戻る。

ハル役の椿千代は、気軽に観客に声をかけたりするサービスも欠かさない。舞台と観客席との距離が一気に縮まり和む。

1年目と2年目の新人役者もいる。その人達の演技が、見にくるたびに成長しているとわかるのも楽しみだ。それに、出演者12人中8人が女性だ。珍しいが、和崎ハルの舞台にふさわしい。

舞台は進み、秋田に戻ったハルは秋田市の川端(かわばた)に美容院を開店する。同時に新聞の人生相談を担当したりする。尋常小学校にも行けず、読み書きのできない少女らのため、芸者学校をつくる。次々に起こる困難を、ハルは持ち前の前向きの姿勢で突き進んでゆく。

「男は弱いものをさげすむ。弱い男は、さらに弱い女・子どもを痛めつける」
「戦争を止められなかったのは、子どもを産み育てる女にも罪あった」

ハルは歌う。これにはぐっとくる。私の目も潤む。

今や、女性も男性と分け隔てなく投票はできる。しかし、女性が立候補しようとするとどうだろうか。まだ大きな壁がある。子どもや夫の理解が得られないと立候補の意思を貫くのは難しい。それにお金が必要だ。大量のポスターを印刷し掲示板や民家や空き地に立てるなど、多くの人手がいる。なのに、政党はいまだに男性を優先して公認しがちだ。

和崎ハルが初めて立候補した戦後直後は、宣伝カーもスピーカーもなかったはずだ。むろん「政党交付金」などまったくなかった頃だ。ハルの選挙費用は知人友人からのカンパで賄ったのだろう。

演説をして回ることが、当時、最も重要な選挙運動のひとつだったことはわかる。ハルは、「ハルの『ハ』は、あいさつの時、畳に手をついたときの手の形。『ル』は・・・」と演説して回ったという。こうして、ハルの名は字の書けない人にも浸透していったのだろう。

c0166264_1773448.jpg現在は、政党助成法にもとづく、「政党交付金」がある。政党には、毎年、税金から320億円もの資金が出ている(共産党は辞退)。この政党交付金は、国から政党本部に送金されて、本部から地方の政党支部に流され、選挙に使われる。

政党交付金は税金だから、使い残したら国に返還する義務があるのだが、それを返さず手元に残す抜け道が設けられている。

それをいいことに、三井マリ子さんを秋田3区の衆院候補に担いで政党支部長にしたてて、その支部に送金された政党交付金を貯め込んだ民主党秋田県連の話は、秋田では有名だ。新聞に何度も載ったからだ。

三井さんは、裁判をして不正にたちむかった。その裁判は昨年、三井さんの主張がほぼ認められて被告側が「お詫び」して終わった

c0166264_17263467.jpg裁判中、政党交付金を不正に使った政治家のニュースが次々に報道された。今年の夏ごろには、富山県で起きたおおがかりな政党交付金事件が全国版の新聞に載った。政務活動費の不正受給から始まって、芋づる式に不正が明らかになった。民進党(前の民主党)富山県連は、県連に来た政党交付金のうち「少なくとも計4千525万3468円」を不正に使っていたという。

民主的な政治活動をするために政党助成法ができたらしいが、民主的どころか、不正の温床となっているようだ。それに私は、自分の税金を(政党交付金の原資は国民1人当たり250円)、自分が支持してもいない政党には出してもらいたくない。

さて、わらび座の舞台は、和崎ハルが国会議員になったところで大団円となる。年明けは、1月1日~3日の3回の公演。3日が千秋楽だ。

日本の選挙の大団円は、いつやってくるのだろうか。

加島 康博(秋田市、さみどりの会 *)

【写真上:2016年わらび座ミュージカル「ハルらんらん♪」のポスター】
【写真中:秋田市内で三井裁判のビラまきをする、裁判支援の人たち】
【写真下:2016年夏、和崎ハルの石碑を訪ねて裁判の報告をする三井マリ子】

参考リンク
湖面に投げられた「政党交付金」という石の波紋
三井裁判和解に思うこと
女性参政権行使70周年を祝えるのか


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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-12-28 18:26 | 秋田

戦後すぐの1946年4月、日本女性は投票所に足を運ぶことを初めて法で許された。

その衆議院議員選挙で、全国から79人の女性が立候補し、何と39人もが当選した。秋田では和崎ハルが立候補して、ダントツのトップ当選だった。 

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上は、女性初の代議士・和崎ハルを描いたミュージカル「ハルらんらん♪」のポスターだ。劇団わらび座が、「女性参政権行使70周年」である本年を記念して、ミュージカルにした(注)。

和崎ハルは美容師だった。ポスターでは、白い割烹着を身につけ、右手にハサミ、左手に櫛を持っている。夫の死後、5人の子どもを育てるために秋田で初の美容院を開業した。

髪を結いに来る芸者さんたちから身の上相談を持ちかけられた。遊郭に売られる貧農の娘、字が読めないばかりにだまされる娘、前借金を返せずに苦界に沈む芸者…。憤りを隠せなくなった彼女は、矯風会秋田支部を創設した早川カイとともに公娼制廃止運動にのめりこむ。

さらに、知人の選挙応援をして、政治腐敗を目の当たりにする。1 票約3円の買収、警察から不当監禁されての自殺。怒った和崎は、新聞や雑誌に「女性が政治に参加していくことが選挙の浄化に最も効果がある」と投稿する。こうして和崎ハルは、次に女性参政権運動にまい進する。彼女の新聞投稿には、こんな名言がある。

「女性が参政権を求めるのは一部特権階級の手にのみ委ねられて居る今日の政治の改善を図りたいからである」

女性参政権獲得から70年たった。しかし女性議員率は世界で最低レベルのうえ、「政治とカネ」のスキャンダルは底なし沼だ。兵庫の野々村県議事件、猪瀬都知事事件、甘利大臣事件、小渕優子事件、日歯連事件、舛添都知事事件、富山市議の政務活動費領収書偽造事件、富山県議の政党交付金横領事件・・・。私自身も、2012年衆院選で政党交付金がらみの忌まわしい事件に遭遇した。

100年前に書いた和崎ハルの文章は、残念ながら、今でも強い説得力を持つ。


本記事は「 I 女のしんぶん」に連載中の「叫ぶ芸術」を再構成したもの。「叫ぶ芸術」はネットでも読める:■叫ぶ芸術:ポスターに見る世界の女たち 同シリーズのなかの「女性参政権行使70周年を祝えるのか」(日本)

【注】ミュージカル「ハルらんらん♪」は、「あきた芸術村」で来年1月まで公演中だ。私は、7月、全国フェミニスト議員連盟有志や女性の政治参画に関心を寄せる仲間たちと観劇した。この「女性参政権行使70周年記念観劇・温泉ツアー」には、遠くは遠くは京都、名古屋、函館、東京……近くは秋田県内から、あきた芸術村のわらび劇場にかけつけた。観劇のあとは、劇場と同じ場所にあるホテルで、温泉につかって、そして秋田の美酒で食事を楽しんだ。チケット予約など詳しくはこちら

参考リンク
「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
和崎ハル:廃娼運動と婦選運動
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
参院選2016年と女性
和崎ハル_1 武塙三山
和崎ハル_2 武塙三山
和崎ハル_3 武塙三山
和崎ハル_4 武塙三山
和崎ハル_5 武塙三山
普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
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by bekokuma321 | 2016-10-27 21:56 | 秋田

富山市議会で、自民と民進の議員7人が領収書を偽造して、公費を横領着服していたという。

よくある手口らしいと知ったのは2012年衆院選の後。私の選対の幹部になっていた人が、ポスター張り作業を依頼していないにもかかわらず、依頼したことにして、偽の領収書を作ってはその分の政党交付金を自分のポケットに入れていた。わかっただけで25枚あった。悪質な犯罪だったが、書類送検されたものの起訴猶予だった。

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「政治とカネ」のスキャンダルは底なしだ。兵庫の野々村県議事件、猪瀬都知事事件、甘利大臣事件、小渕優子事件、日歯連事件、舛添都知事事件・・・。

その昔、後藤新平という政治家がいた。政治腐敗をなくさなくては、と日本で初めて運動したのは、彼だという。政治腐敗をなくすことを「政治の倫理化」と名づけて、こんなふうにいっている。

「政治の根本精神は“社会民衆の福祉のために奉仕することである”という観念が、満天下の信念とならなければ、真実なる政治は興らない。”政治は力にあらず、奉仕なり”との観念に基づいて行動せよ、ということが、政治の倫理化の根本精神である」(阪上順夫『現代選挙制度論』1990)

そして、「永く同一職業に携わる者は、因襲の捕虜となる」から、「天下無名の青年よ起て」「諸君の奮起によりてのみ、新日本の再生は期待せられるるのである」と言った(同上)。

後藤新平が政治浄化を若い無名男性に賭けたのは、女性参政権のなかった戦前だから、当然だろう。そのころ女性先覚者たちは、新婦人協会、無産婦人同盟、矯風会、婦人参政権獲得同盟などを組織化して、女性参政権を求めて、東西奔走していた。

市川房枝らとともに女性参政権運動をひっぱったのは、矯風会の久布白落実である。彼女は、大阪の遊郭設置反対運動に破れた後、「法治国家において参政権は、唯一の弾丸であり、武器である」と女性参政権獲得を高々と掲げるようになった(久布白落実『廃娼ひとすじ』1973)。
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女性解放をめざす久布白落実は、ある年は世界をかけめぐり、またある年は日本全国を講演して回った。彼女の講演に衝撃を受けたひとりが秋田の和崎ハルだった(グレゴリー・M・フルーグフェルター著『政治と台所』1986)。

和崎ハルは、1920年代から、秋田の政治腐敗に怒り、たびたび新聞雑誌に投稿した。1929年「秋田婦人連盟」を創設して、政治教育講演会のみならず、選挙の買収防止運動を展開。翌1930年「婦選獲得同盟秋田支部」を創設して代表。八面六臂の活躍だった。戦後(70年前)、初の衆議院議員に立候補・当選した

前述の『政治と台所』には、次のような和崎ハルの投稿が紹介されている。

「(女子公民権の付与は)選挙の浄化に取って最も力あるものと信じて疑わない」

「(選挙応援をして、1票3円の買収のならわしを聞いたり、対立候補側の警察署長から不当監禁されて自殺をはかった知人が出た)その時実に選挙界の腐敗いろいろな不浄なことを知った私は、一大決心をなし一国の政治は決して男子のみが専任すべきものではない断然女も参与しなくてはならない。政界の廓清には我々女性が起つべきだと深く胸を刺した」

「我々女性が権利を要求するのは実に誤った基礎の上に樹てられて居る今日の政治を、根本的建直し一部特権階級の手にのみ委ねられて居る政治の改善を図りたいからである」

約100年たった今でも、説得力をもっている。

女性だから皆「政治とカネ」にきれいだとはいえないのは、男性にも後藤新平のような政治家がいるのと同じだ。とはいえ、女性は概して、男性同士でつくりあげてきた村社会の掟になじんでないだけ、その掟に染まりにくい。現議員や元議員の女友だちの体験話から、おおかた間違ってないと思われる。

富山市議会は、40人のうち女性議員は2人(共産と公明)、わずか5%しかいない。富山市民の怒りが女性議員増につながってほしい。

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【写真上:2012年三井選挙に使われた偽造領収書(出典「衆院秋田の政党交付金~25枚の領収書」)。 中:秋田市内にある和崎ハル石碑(亀田純子撮影)、下:女性参政権行使70周年の記念はがき。画像は女性参政権を求めて1932年秋田市で開かれた「東北婦選大会」】
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by bekokuma321 | 2016-09-16 16:56 | 秋田

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「女性参政権行使70周年」を記念する観劇・温泉ツアーを企画して、和崎ハルを描いたミュージカルを、秋田まで見に行った。

ツアーは7月28日。その前に、この記念すべき集まりに、何かお土産をと思案した。京都の友人に、秋田市で戦前行われた「東北普選大会」ーー女性にも参政権をという歴史的運動の集会ーーの写真を見せた。すると、国際女性デーの絵はがき作成を手がけてきたその友人は、「絵はがきをつくろう」と言い出した。

写真には和崎ハル、市川房枝、山高しげりがいる。

和崎ハルは、秋田から出た初の女性代議士だ。市川房枝は日本の女性参政権運動の先駆者で、長年参議院議員をつとめた。山高しげりも、女性参政権運動の指導者で、地婦連代表だった。

写真のうしろに私の走り書きがあって、20年ほど前、本郷郁さんという見知らぬかたからいただいたものだった。本郷さんに、「写真を絵はがきにしたい」と伝えたかったことと、キャプションへのヒントをいただきたかったため、居所を探しに探した。やっと横手出身で現在は東京在勤の息子さんまで行きついた。ところがお母様はだいぶ前に亡くなっていて、「母がこういう関係の活動をしていたことは全く知らなかった」とおっしゃった。

c0166264_235004.jpg次に、新宿の大久保にある矯風会の高橋喜久江さん(写真右、注)を訪ねた。嬌風会は、戦前から公娼廃止運動の中心を担い、今は慰安婦問題などにもとりくんでいる。

市川房枝・山高しげりがかかわっていた日本婦人参政権協会は、日本婦人矯風会から生まれたことを知っていたので、何か高橋さんからお話を聞けるだろうと思った。高橋さんは、久布白落実については思い出話をしてくださったが、山高しげりや秋田支部についてはあまり記憶がないようだった。

でも、高橋さんから見せていただいた文献によると、廃娼運動や女性参政権運動は、日本全国に支部をつくって代表者を決めての壮大な女性解放運動だった。そのなかで、秋田はいち早く公娼制廃止を実行した県のひとつだった。

酷暑の中、すまいのある長野と東京を往復した車中で読んだ文献から、いかに秋田の女性たちが戦前・戦中、女性解放運動に熱心だったかをあらためて学んだ。「女性差別をなくしたい→法制度が必要→女性を議会に」という思いは、1992年創設の全国フェミニスト議員連盟の初志とそっくりだった。

c0166264_23523582.jpgさて、左は和崎ハルについて、私が講演している瞬間である。本などから、和崎ハルの武勇伝を聞きかじっていた私は、講演のなかに、彼女のエピソードを入れることが多かった。和崎は、衆院選の最中、字の読めない書けない当時の女たちに「ハルのハはおじぎをするときの手の恰好で、ルはその右手をチョンとはねればいい」と訴えた、という。それを、私は身振り手振りで紹介した。1999年京都での講演だった。

その後、10年以上の月日が過ぎ、“2012年の衆院選”で、私は秋田3区の候補者となった。秋田の人たちを前に、和崎ハルを引きあいに出して、女性が政治に出てこそ女性が暮らしやすい秋田にできると訴えた。私の選挙は惨敗だった。政党交付金がらみで、奈落の底につき落とされるような経験もした。しかし、あの選挙がなかったら、私が和崎ハルに再び向き合うことはなかっただろう。

最後にもうひとつ。記念の絵はがき(写真最上)を作成したのは、実は、1999年京都で和崎ハルについて話す決定的瞬間(写真左上)を撮影した人、京都のフェミニスト・アーティストふじみつこだ。当の本人は、1999年のことをよく覚えていないようである・・・。

ハルらんらん♪
ノルウェー女性参政権100年から考える

【注:私は、1980年代末、女性の駆け込みセンター「女性の家HELP」に関心を持っていた。そのため当時、何度か高橋喜久江さんに面談した。高橋さんとの再会は2010年。高橋さんは、拙著『ノルウェーを変えた髭のノラ:男女平等社会はこうしてできた』の出版記念会に顔を見せてくださった。とはいえ高橋さん自身について取材したのは今夏が初めて。高橋さんは若いころ、矯風会本部の求人に応募して合格。久布白落実のもとで働き始めてから現在に至るまで、矯風会を拠点に売買春廃絶運動に全生涯をささげてきた。その師、久布白は、廃娼運動に命をかけただけでなく、市川房枝と並んで女性参政権運動をけん引した。今、高橋さんは「嬌風会の会長は退いていて、慈愛寮の理事長です」と、私に名刺をくださった】
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by bekokuma321 | 2016-09-07 00:11 | 秋田

ハルらんらん♪

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「すばらしい! 全国の中高生に見せたい」
「女性参政権の歴史がわかった」
「和崎ハルのたくましさに感動した」
「わかりにくい秋田弁もあったけど楽しかった」
「当時のように日本中に支部をつくって女性議員を増やさなくては」
「字も読めない書けない人がいた時代の運動はどれだけ大変だったか」
「口減らしのため売られた農家の少女たち。まだ残る貧しい国の人身売買に通じる」

ミュージカル「ハルらんらン♪ 和崎ハルでございます」を観たひとたちは口ぐちに言った。

遠くは京都、名古屋、函館、東京……近くは秋田、横手から20人が、7月28日、あきた芸術村のわらび劇場にかけつけた。「女性参政権行使70周年」を記念しての観劇・温泉ツアーだ。

c0166264_11304856.jpg70年前、戦後直後の1946年4月、日本全国で女性79人が衆院選に立候補して、39人もが当選した。

秋田では、女性解放運動家であり美容師・和崎ハル(無所属)が、41人中トップで選ばれた。文献によると、和崎ハルは、1885年、秋田市生まれ。結婚して秋田を離れるも、夫の死後、5人の子どもと姑を連れて、秋田に戻った。

ハルは美容院を開いて、生きて行く。髪ゆいや美顔マッサージをしながら、性を売ることを余儀なくされている女性たちの相談に乗るようになる。その体験から公娼廃止運動へ。

当時、東京の廃娼運動(公娼廃止運動のこと)の幹部たち(注)は、世界の動きに呼応して女性参政権を求めて活動していた。

秋田の和崎も、同志たちと「廃娼運動」に加え、「婦選運動」(女性の参政権運動のこと)に身を投じる。婦選獲得同盟秋田支部支部長となり、1932年、「東北婦選大会」を秋田市で開催。700人が集まった。市川房枝や山高しげりも招かれた。

1937年、息子のいる大阪に移った後、戦況が激しくなり、1944年、秋田県横手に戻った。そして敗戦。ポツダム宣言で、日本女性は、参政権を付与される。

和崎ハルは、1946年、戦後初の総選挙に、横手から立候補。その冬はまれにみる豪雪だったため、雪の残るなかの選挙運動だったらしい。14年前に「東北婦選大会」を成功に導いた和崎ハルを当選させようと、市川房枝は、寝食をともにしながら選挙運動を支えたという。

和崎ハルを含む女性代議士の居並ぶ第90回帝国議会。そこに上程されたのが「新憲法案」(11月3日公布)だった。

【写真上:ミュージカル観劇後、あきた芸術村わらび座劇場前で「女性の連帯!」とこぶしをあげる。舞台姿の登場人物もいっしょ。加島康博提供。写真中:「女性参政権行使70周年記念ツアー」を迎えるホテルの看板。加島康博撮影。写真下:市川房枝直筆の「和崎ハル」を顕彰する碑。秋田市金照寺山。亀田純子撮影】

c0166264_1142111.jpg和崎ハル:廃娼運動と婦選運動
女性参政権運動と秋田
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
参院選2016年と女性
ノルウェー女性参政権100年から考える
和崎ハル_1 武塙三山
和崎ハル_2 武塙三山
和崎ハル_3 武塙三山
和崎ハル_4 武塙三山
和崎ハル_5 武塙三山
普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
女性と選挙
2014衆院選 比例制に変えるしかない
参院選で女性躍進ならず

【注:1886年 世界キリスト教婦人矯風会の日本版として東京婦人矯風会発会(初代会頭矢島楫子)。1893年 日本婦人矯風会と改称(会頭矢島楫子)。1916年 公娼廃止を優先課題に。1917年 公娼廃止運動の挫折から婦人参政権運動を宣言。1920年 世界婦人参政権協会に出席(久布白落実)。1921年 全国常置員会にて日本婦人参政権協会設立。1930年 第1回全日本婦選大会。--出典「日本キリスト教婦人矯風会年表」】
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by bekokuma321 | 2016-07-30 07:28 | 秋田

c0166264_2045123.jpg今年は、日本女性に参政権が与えられてから70年になります。

その女性参政権獲得をめざして、戦前、市川房枝さんたちとともに「婦人解放運動」をしていた女性が、秋田の和崎ハルさんです(今は「女性」を使いますが、当時は「婦人」でしたので、婦人を使います)。

図書館で『政治と台所』(グレゴリー・M・フルーグフェルダー著)と、『ふるさとの先人たち』(豊田哲治著)を読みました。

和崎ハルさんは「婦人の参政によって、必ず平和日本となる事は信じて疑いはない」と言っていたそうです。だからこそ、女性の政治意識を高めることが大事だと考えて、県内の組織作りに着手しました。次の総選挙にも予想されるだろう「初の女性参政権行使」に向けて、毎日、秋田県内の女性団体を精力的に歩いて回り、多い時は一日4回も演説したそうです。

また、婦人解放運動の傍ら、地方新聞の女性相談欄を担当し、女性のかかえているありとあらゆる相談に懇切丁寧に回答して、女性の側に立って明快なアドバイスをしたことから、とても好評を博したと、『ふるさとの先人たち』に、書かれています。

時代を少し前に戻しますが、和崎ハルさんは、結婚後、二男三女の子供に恵まれたものの、1921年(大正10年)に夫を亡くします。子ども5人と年老いた姑の家族6人を、女手ひとつで養っていかなければならなくなったハルさんは、縁者を頼って故郷秋田に戻ってきます。36歳でした。そして、秋田初の美容師となります。

それだけでも大変なのに、和崎さんは、1922年、「日本基督教婦人嬌風会」の秋田支部を友人たちと設立し、廃娼運動と身売りをした女性たちの支援運動に加わります。

c0166264_21174477.jpgその後、1930年、「婦選獲得同盟」の秋田支部長となります。婦選獲得同盟は、市川房枝さんらが設立した、女性参政権を求める婦人解放運動団体です。2年後の1932年、秋田市で、「東北婦選大会」を開催します。

戦後、女性参政権が与えられ、1946年(昭和21年)、衆議院議員選に和崎ハルさんは立候補して、最高点で当選します。2位を約3万票も引き離す圧倒的な勝利だったそうです。こうして和崎さんは、日本初の女性代議士のひとりとなったのです。

国会議員になった和崎ハルさんは、戦後の物資不足のなか、とりわけ農村女性の窮乏に関心を寄せていたそうです。占領軍当局に対して、「頬かぶりや腰巻き用の生地を農村女性に配給してほしい」と要求した事から、「腰巻議員」とあだ名をつけられたそうです(『政治と台所』)。

ハルさんの三女(菅原和子さん)の証言によると、「母は、底抜けに明るく、物ごとにこだわらない人で、父は、私が6歳の時死亡したが、家庭内はいつも陽気で楽しく、母子家庭の暗さはなかった。母は生活費をそっくり祖母に渡していた。だから私たちは祖母からお小遣いをもらっていた」(『ふるさとの先人たち』)

また、ハルさんは、「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌が好きで、なんでもその日のうちにやってしまう主義だったそうです(『ふるさとの先人たち』)。

ハルさんは、市川房枝さんに加え、もう一人の婦人解放運動家の平塚らいてうを尊敬していたそうです(『ふるさとの先人たち』)。平塚らいてうは、「元始、女性は太陽であった」の言葉とともに、永く人々の記憶に残る事となったのは、みなさまもご存じのとおりです。

亀田 純子(秋田市、さみどりの会*)

【写真上:「婦人解放運動発祥の地」と書かれた石碑。廃娼運動団体である、日本基督教婦人嬌風会秋田支部(早川かい初代支部長)が中心になって、1933年、「秋田婦人ホーム」が創設された。身売りした女性たちの駆け込み寺となった。和崎ハルも支援メンバー。石碑はその「秋田婦人ホーム」を顕彰するため、当時の住所である秋田市楢山地区に建てられた。亀田純子撮影。写真下:市川房枝、山高しげりを迎えて開催された「東北婦選大会」。三井所蔵】

女性参政権運動と秋田
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
ノルウェー女性参政権100年から考える
公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター
ミュージカル「ハルらんらん♪和崎ハルでございます」

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に出た。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイトさみどりの会ホームページには裁判情報が掲載されている。なお、同裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-07-18 21:36 | 秋田

女性参政権運動と秋田

市川房枝、山高しげり、和崎ハルが写っている「東北婦選大会」の写真を、先日、紹介した(参院選2016年と女性(2):女性参政権70年)。再掲する。

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▲東北婦選大会、1932年4月23日、秋田市の秋田県記念会館にて。婦選獲得同盟秋田支部(支部長和崎ハル)主催。市川房枝(前列中央)、山高しげり(前列左から3人目)、和崎ハル(2列目右から5人目。市川の右後)。秋田県横手市在住の本郷郁さんより1996年ごろ贈呈された写真

写真を見た秋田市の友人から、こんなメールがきた。

「この建物は、秋田県記念会館です。『政治と台所』という本に載っていました。その本によると、1932年(昭和7年)4月23日に東北婦選大会が、その秋田県記念会館で開かれたそうです。これは、初めて具体案が出された1931年12月の段階では、東北、北海道、北陸といった北日本の同志を集めるものとして計画されていたが、結局は、東北婦選大会として実行されたそうです。代表者7名のほか、参加者100名以上すべて秋田県下の女性であったと記されています。秋田県記念会館は、今の県民会館のところにあったそうです」

そこで、ネットで秋田県記念会館を検索したら、上の写真のコピーが載っていた。そこには「記念館での東北婦人参政権大会(昭和6年)。前から2列目、右から5人目が和崎ハル、最前列右から5人目市川房枝、2人置いて山高しげり」と。昭和6年は1931年だが、他の文献からも1932年が正しいようだ。

1932年、秋田市の秋田県記念会館で、「婦人参政権獲得期成同盟会」(1924年結成)の市川房枝と山高しげりを東京から招いて、女性参政権を求める集会が行われた。

秋田の和崎ハルは、当時50代。夫の死後、美容師として働きながら5人の子どもを育てあげ、廃娼運動や婦選運動にまい進していた。婦選獲得同盟秋田支部長にも就任している。そのバイタリティー!

和崎ハルは、この「東北婦選大会」を成功させるため、どれだけ準備に奔走したことだろう。「文化の殿堂」と言われていた風格あふれる秋田県記念会館を会場に選んだことからも、並々ならぬやる気が伝わってくる。

男性には、7年前である1925年に、すでに普通選挙権が与えられていた。「なぜ男にだけ?」と、秋田の女性たちも、和崎といいっしょに怒ったに違いない。

「東北婦選大会」に集った市川房枝や山高しげり、そして和崎ハルらの運動が実って、日本女性が参政権を手にしたのは、大会から13年後、ポツダム宣言によってである。c0166264_0414847.jpg和崎ハルが、その初の選挙で、衆議院議員に立候補し当選するなどと、本人はもちろん、誰が予想しただろう。

さて、「和崎ハル」を舞台化したミュージカルが好評だそうだ。題して「ハルらんらん♪ 和崎ハルでございます」。あきた芸術村のわらび座が、女性参政権行使70年となる2016年を記念してとりくんだ。

友人たちをさそって秋田まで見に行こう、とプランを練っている。

ノルウェー女性参政権100年から考える
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by bekokuma321 | 2016-07-17 01:13 | 秋田

c0166264_16371927.jpgノルウェーは、1913年、女性に参政権を与えた。世界で最も早く女性が参政権を得た国のひとつだ。

2013年の今年は、ノルウェー女性参政権100年だ。国をあげて「女性と政治参加」の催しが行われる。まず首相が、年頭、こう口火を切った。

「100年前の1913年、我が国の新しい1章が始まった」「今は当たり前だと思っている、参政権。それを要求して闘った女性たちを皆で祝おうではないか」。

フェルナンダ・ニッセン。首相が紹介した闘った女性のひとりだ。ニッセンは、1889年、マッチ工場で働く女工たちのストライキを先導した。女工たちは、賃上げ、労働条件改善、勤務時間の短縮を求めて蜂起した。

c0166264_1249275.jpgさらに、ニッセンは、労働党に入党し、党の婦人部のなかで、女性参政権獲得に尽力した。女性は政治に向かないという当時の考えに、「まったくのナンセンス」と反論した。

ニッセンが反論した男性国会議員の意見はこういうものだった。「女性には男性にはない別の使命がある」「女性が投票するようになると家庭崩壊を招く」など、など(明石書店『ノルウェーを変えた髭のノラ』 p55-64)。

こんな馬鹿げた発言を、国会の憲法委員会委員がくそまじめな顔でしていたと思うと、本当にこっけいだ。世界有数の男女平等国ノルウェーも、100年前はこうだったのだ。

しかし、今のノルウェーは違う。ノルウェー国会に座る議員の4割近くが女性だ。その国会に、女性参政権100年を祝う特別委員会が創設された。4年前の2009年だ。4500万円の特別予算も組まれた。そこが、2012年11月まで女性参政権100周年記念企画を全国公募。今年、受賞者・団体たちのアイデアが、国家予算を得て、ノルウェー全土に展開される。「女性参政権100年」のホームページで、どこでいつどんなイベントがあるか、すぐわかる。

c0166264_16274227.jpgさて、我が国はどうか? 女性が参政権を得たのは、第二次世界大戦後の1945年だ。翌1946年、衆議院選挙に初めて89人の女性が立候補し、39人が当選した。

その一人、和崎ハルは秋田県から当選した。市川房枝とともに、戦前から女性参政権を求めて闘った女性運動家だ。

昨年12月の衆院選に挑戦した私は、秋田県内の演説会で、この和崎ハルの選挙運動や政策を紹介した。

和崎ハルについて、私は、20年以上も前から、女性の政治参加を進める講演などで紹介してきた。でも、秋田の有権者を前にした今回ほど力がはいったことはない。

当時、秋田の女性には字を読めない書けない人が多かった。そうした有権者に向かって和崎ハルは驚くべき戦術を考えた。「ハルのハは、おじぎするときの手の格好です。その右手をちょんと跳ねるとルになります――こう、和崎ハルは、ジェスチャーをして訴えたのです」(写真)。

当選して、彼女は、「腰巻き議員」とやゆされた。秋田の農家の貧しい女性たちが、もっとも欲しがっていた「腰巻き」用の布の予算を国会で訴えたからだ。和崎は、男性議員には決して見えないモノを見る目、それを持っていた。

日本中に、和崎ハルのような“武勇伝”が転がっているに違いない。日本の女性参政権100周年は2045年だ。おおいに祝い、当時の女性たちの闘いぶりを顕彰してほしい。その原典は、私の愛読書、岩尾光代の手になる力作『新しき明日の来るを信ず』(NHK出版)にすでにある。

あ、私は草葉のかげだなぁ。

◆Prime Minister Jens Stoltenberg’s New Year Address 2013
http://www.regjeringen.no/en/dep/smk/Whats-new/Speeches-and-articles/statsministeren/statsminister_jens_stoltenberg/2013/prime-minister-jens-stoltenbergs-new-yea.html?id=710868
◆Stemmerettsjubileet
http://www.stemmerettsjubileet.no/

【写真上は、日本初の女性参政権の啓発ポスター。中央は、オスロの公園にあるフェルナンド・ニッセンの胸像。下は、1999年、京都で和崎ハルの講演する三井マリ子。「ハルのハ」のジェスチャーをしている。講演中をふじみつこが撮影したもの】
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by bekokuma321 | 2013-02-04 16:40 | ノルウェー