c0166264_22232562.jpg今から92年前の今日、1924年(大正13年)12月13日は、日本女性にとって記念すべき日だ。

それまでいくつかあった女性運動が、女性参政権獲得をめざそうという一点で大同団結したのだ。

会の名は「婦人参政権獲得期成同盟」。その立役者は、日本キリスト教婦人矯風会の久布白落実(1882-1972)だった。

久布白落実は、廃娼運動(公娼制廃止の運動)の挫折から、日本の女性に参政権がない理不尽さを痛いほど感じて、「法治国家において参政権は唯一の弾丸であり、武器である」と考えていた。欧米諸国に旅して、参政権運動を実際に見てもきた(注)。とはいえ、矯風会の重責や、家庭の事情もあり(幼い息子、夫、幼い娘が次々に死亡)、組織を創設して代表となって運動を牽引することになかなか踏み切れないでいた。

しかし、機は熟した。久布白落実は、同志ガントレット恒子と話し合って、女性参政権をとなえてきた女性たち全員に、新しい会を設立する集会を呼びかける手紙を出すことにした。準備に次ぐ準備を経て、1ヵ月後の12月13日、丸の内保険協会で、その集会は開かれた。

「婦人参政権獲得期成同盟会」の誕生である。久布白落実は総務理事に就任。そのとき生まれた宣言文が以下である。

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いわく「我等は2600年来の因習を破り、男女ともに天賦の義務権利に即して新日本建設の責務を負うべきことを信ず」。いわく「普通選挙の実施にあたり女子を除外するは不当のことと言わざるを得ず、我等はこれを要求す」。いわく「我が国の職業婦人はすでに400万に達せリ、その利益擁護のために参政権を要求するは当然のことと信ず」。

東京の3分の2を破壊しつくした関東大震災から1年しか過ぎていなかった。『廃娼ひとすじ』(久布白落実著、1973年)には、焼け跡で準備を続けた様子が生き生きと描かれている。

「日本婦人参政権協会の代表としてのガントレット夫人と私が呼びかけ人として、案内状を都下有力の婦人、新聞記者など約350名に出し、11月13日、大隈会館に集まった60名ほどのひとびとと協議した。結局『婦人参政権獲得という唯一の共通目的の貫徹のために連合委員会を組織すること』が満場一致で可決された、日ならずして準備会がたびたびもたれた。

従来あるところの既成団体の存在及びその仕事にはいっさい触れず、それらの団体に属している人々も個人として新たに組織される団体に加入することができる、ただ婦人参政権獲得を唯一の共通目的として一般婦人の個人としての自由な参加を求めることができることに話がまとまり、大隈会館の集合に参加した人から賛否をとって発起人とした。

c0166264_2291381.jpg準備会は前後十数回ひらいたが、若い人たちが多く、しかも昼間は働いているので、夜の6時から大久保の婦人ホームに集まった。そこが遠いというので、しまいには赤坂の矯風会本部の寒いバラックに火鉢で暖をとりながら、遅くまで準備に、今後の運動方針に、はげんだものである。厩ではないが、日本の婦選も、焼け跡のバラックから呱々の声をあげたといってもよい。

12月13日、丸の内保険協会で、婦人参政権獲得期成同盟会設立総会を開いた。矯風会からは小崎千代会頭をはじめ大勢出席し、大阪から林歌子女史もかけつけ、またガントレット、守屋、私などそれぞれ集会の中の役目を果たした。(後略)」

女性参政権は敗戦後、ポツダム宣言によって得られたが、先人たちの運動を決して忘れてはならない、と今日、あらためて思った。

【写真上:『廃娼ひとすじ』を手に久布白落実の思い出を筆者に語る高橋喜久江さん。久布白を師とあおぎキリスト教婦人矯風会で仕事を続けた。現在は矯風会が設立した慈愛寮の理事長。性的搾取根絶運動に今も熱心にとりくむ】
【写真中:高橋喜久江さんを通じて借用した『日本キリスト教婦人矯風会百年史』より接写】
【写真下:久布白落実の書。日本キリスト教婦人矯風会の慈愛寮に掲げられている】

【注】久布白落実は、イギリスに渡りSuffragette(女性参政権運動家)を見聞きした。彼女はその激しい闘いぶりには否定的だったようだ。その逮捕・投獄をもいとわなかったイギリスの女性参政権運動をもとにした映画が新年早々日本でも上映される。原語タイトルは「サフラジェット」。女性参政権運動家、女性参政権論者という意味だが、日本に上陸したとたん、タイトルは「未来を花束にして」。陳腐なタイトルだ。予告映画は、子どもの将来のために母親が闘ったという流れにしたてあげられている。ま、こうすると多くの観客を動員できると思ったのだろう。本家イギリスでは、映画のプレミアの場が「まだ女たちの闘いは終わっていない」と叫ぶ女性運動の場となったという。

日本の女性解放運動とノルウェー
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オスロの絵と日本の廃娼運動
ロンドンのレッド・カーペットに女たち横たわる
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by bekokuma321 | 2016-12-13 23:01 | その他

c0166264_13381888.jpg10月14日(金)、オスロの国立博物館の「警察医務室前のアルバーティン」前には、高校生が大勢いた。解説者の話を聞きながら絵を見つめていた。

「警察医務室前のアルバーティン」は、1880年代、ノルウェー政府を公娼制廃止に導いたとされる絵画である。

2016年のノルウェーは、法で、買春する側(男性がほとんど)とあっせんする側を禁じている。金でセックスを買う人を罰することでプロステチュートを減らそうというものだ。しかし、オスロのある地区では、夜になると売買春婦らしき姿をよく見かけると友人たちは言う。移民難民の増大も要因のひとつだともいわれている。さらに、ネットによるポルノ写真の拡散は深刻な社会問題だ。

ノルウェーの性の商品化は、日本など多くの国々と同じように、加熱するばかりだ。そんな21世紀のノルウェーの高校生たちは、19世紀の歴史的絵画をどんな思いで見たのだろう。

さて、今から88年も前に、この絵画を見て感動した日本女性がいた。海を渡ってノルウェーを訪問したクリスチャン久布白落実である。

前回も報告したが、さらに今日は、帰国後に久布白落実が著した『女は歩く』(1928年11月)をもとに紹介する。その本のノルウェーの章は、こう始まる。

「諾威は、スカンディネビアの北端だ、彼等の先祖はデーンス・ノルマンスと云われて多く海賊を業とし欧州の西部の恐れとなって居た」

諾威とはノルウェーのことだ。久布白落実は、訪問の目的をこう書く。できるだけ本文のまま引用する。

「北欧の訪問に特に一つの使命を感じて居た、それは、この地方に於ける、廃娼後の情況を視察することであった、此地に来て以来、真向にこれをかざして、案内を乞ふた。」

久布白の使命感にただちに答えたのは、「船中の友、G宣教師と其家族」だった(注1)。オスロのG宣教師夫人は「では先ず第一に、国立美術館に御案内しませう」。彼女の不審顔に笑いながら「私についていらっしゃい。いいものを見せて上げますから」。

クリスチャン・クローグによる大きな絵画で四方を囲まれた国立博物館の大部屋は、2016年10月現在もそのままのかたちに残されているのだそうだ。

ということは、久布白は、今と同じ青の壁紙の部屋に連れて行かれたのだろう。G宣教師夫人は、久布白を「警察医務室前のアルバーティン」の前に誘った。そしてG宣教師夫人は、こう断じた。

「サア、此処に御座りなさい、そしてあの画を御覧なさい。あの画がこの諾威の国から、公娼制度を取払わせたのです」

目の前の絵が、ノルウェーにも存在していた公娼制を政府に廃止させることになったというのだ(注2)。久布白の衝撃はいかばかりだったか。

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「アベルテイナ クリスチャンクロッグの画きしもの・これにて諾威の廃娼成る」

本物の絵画は211 x 326 cmの大作だ。久布白は、その白黒写真(上)を本『女は歩く』に載せている。そして、G宣教師夫人から聞いたと思われる絵画の意味を解説する。

「この画の中心人物は、警官に連れられて、今や検査場に入ろうとして居る田舎女アベルティナである、彼女は純な田園の家庭から、都会へ出た、何処でもある通り、都会の生活の浪にもまれて、終に誘惑に陥った、彼女は売春の行為に陥ったのだ、当時諾威にはまだ数十軒のそうした家があった、然し町での売淫はゆるされなかった、見咎められた彼女は、警官の手から、今や検査場に連れてこられたのである。」

私の調査では、中心にいる少女は田舎女でもなければ、純な田園家庭にいたのでもなく、オスロに住むお針子だった。それはともかく、絵についての記述のあと、画家クリスチャン・クローグについて短文が書かれ、それは、こう終わる。

「彼はただ画だけに安んぜず、更に小冊子を発行した、然し小冊子は、其過激な説の為めに没収されて、然し画は其目的を達し、諾威の人心を揺り動かして遂に、制度の撤廃を見るに至った、時に一八八七年、英国の廃娼完成の翌年であった。」

次に『女は歩く』には、売春からはいあがった女性たちの駆け込める施設が、ルポされている。

「各々学科の外に、裁縫、料理、家事、織物等、種々手芸を教えられる、彼らは其仕事を選ぶ事を許される、そして好き好きによって其処に長く止まり熟練する事を許される」

「宿舎は、悉く独居の式にしてある、三畳位の小部屋に寝台一個、これには皆鍵があり、内外からかけられる」

久布白は、公娼制をただ廃止するだけでなく、廃娼後の女性たちの将来まで視野に入れて運動をしていたことがよくわかる。モデル国として訪問したノルウェーは、国や地方の公的政策として、「女性のホーム」を運営していた。彼女の視点は、ノルウェーの福祉制度に及ぶ。

「ここの職員は教師助教師、外回りの作男まで十七前意を数えて居る、皆政府よりの俸給を受け、年過ぎしものは、恩給もつく、凡てが至れり尽くせりだ、一人の娘の費用は、月々六十円に上ると云う、然し国庫と、州とは、惜しみなくこれを支出して国家の禍を未然に防ぐことにつとめて居る。丁抹(デンマーク)はこれを学び、直ちに採用し更に多くのホームを持って居るそうだ」

帰国後、久布白落実は、矯風会を拠点にして、公娼制廃止運動と女性参政権運動にまい進する。

敗戦後、参政権が認められると、久布白落実は初の選挙に立候補した。久布白の講演に刺激された和崎ハルら女性代議士39人が誕生した、あの1946年衆院選である。久布白は落選したが、めげずに2回立候補する。結局、計3回立候補して全て落選した。

2012年のことだが、私も落選して選挙にまつわる裁判までせざるをえなかった。奈落の底に突き落とされるような体験だった。が、久布白ら敗戦直後の女性運動家たちからは、「あら、そんなのたいしたことないわ」と笑われそうだ。

なお『女は歩く』は絶版。矯風会が設立した慈愛寮の熊谷真弓施設長のご好意で慈愛寮所蔵書から読ませていただいたことに深く感謝する。

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【白黒写真は、久布白落実著『女は歩く』より接写したもの】
【注1】『女は歩く』には、G宣教師について興味深い描写がある。船旅はエルサレムで開かれる宣教師の会議参加のためで、久布白は神戸から乗った。Gは上海から乗船した中国代表のノルウェー人だった。白人としては小柄なうえ、いつも前かがみで、風姿至って引き立たない、などと描写している。ところが、恒例の船中会議の最後に、中華民国にいる宣教師の保護についての議論がやまなかったとき、Gはいつになく「議長」と呼んで立ち上がった。そして「中国伝道に捧げたこの体を、われわれ宣教団は、各々自分として分はつくす」と言い放ったという。久布白は「Gのうちに犯しがたい権威の光がひらめいた」と評している(p30)。
【注2】クリスチャン・クローグ作「警察医務室前のアルバーティン」が公娼制廃止の起爆剤となったことは、ノルウェーの芸術から思う日本の女性運動を参照。
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by bekokuma321 | 2016-10-18 14:33 | ノルウェー

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今、私は、オスロの国立美術館で、絵画「警察医務室前のアルバーティン」を見ている。1886年~1887年、社会派画家クリスチャン・クロ―グChristian Krohgが描いた絵だ

今から88年前の1928年の春、同じ場所に立って、同じ絵を鑑賞した1人の日本女性がいた。

彼女は、絵を鑑賞しながら、この絵がノルウェーの公娼制度廃止へと導いたことを知らされた。

その女性は、キリスト教徒の久布白落実(1882-1972)。矯風会(注1)で、公娼制をやめさせる運動(廃娼運動)をしていた。当時の日本では、公娼制は野放しのうえ、女性には選挙権がなかった。その上、治安維持法によって政治的集会は厳しい弾圧を受けていた。

一方、久布白が降り立ったノルウェーはどうか。公娼制は19世紀に廃止され、女性の参政権は、1913年に確立していた。その公娼制反対への道を拓くきっかけとなったひとつが、絵画「警察医務室前のアルバーティン」だった。

アルバーティンという貧しいがお針子が、医務室のドアを開けて性病検査を受けようとしている瞬間が表されている。ドアの前で、警察官に促されて中に入ろうとする少女アルバーティン。最左の白い服の女性は看護婦だろうか。右奥にはアルバーティンと同年齢らしき少女が見える。絵のほぼ全てを占めているのは、派手な服、帽子、手袋を身につけた8人の売春婦たちだ。

c0166264_2211325.jpgこの絵は当時のノルウェー社会に一大センセーションを巻き起こした。

作家でもあったクリスチャン・クロ―グは、同じテーマで1886年、「アルバーティン」という小説を表し、女性が貧しさゆえに売春婦とならざるえない社会を告発した(注2)。

小説の主人公アルバーティンは、貧しいお針子である母と、朝から晩まで一心不乱に働いた。しかし雀の涙程度のお金はすべて病気の弟の薬代に消えていった。ある日、アルバーティンは、警察官に騙されて酒を飲まされた末に強姦される。自暴自棄となった彼女は、売春婦の道に入っていくというストーリーだ。

本は出版と同時に発禁処分を受けた。人々の道徳心を損なう恐れがある、という理由だった。それに怒ったジャーナリストの1人は、その内容を大勢の人の前で伝えた。また新聞紙上では、売春問題について大論争が展開された。それが絵画の人気を高め、公娼制廃止を求める運動に勢いを与えることになった。そして首相は、ほどなく公娼制廃止に踏み切ったという(注3)。

この絵の前に立って、その社会的背景を聞いた46歳の久布白落実は、どんな思いを抱いただろう。

絵が訴える意味、発禁された小説、そしてノルウェーの廃娼運動。久布白落実に、日本での公娼制反対への力を与えたことは間違いない。さらに制度変革には女性の参政権が不可欠との確信を持たせただろう。

その証に、1928年9月秋田市で行われた「第1回 公娼廃止大演説会」で、久布白は、参加者1000名を前にして「昭和維新」と題する講演を行った。

翌1929年8月に、久布白は再び秋田入りして、秋田婦人連盟・矯風会秋田支部が共催する集会で講演。「公娼問題よりとき伏して、婦人参政権の必要なることを力説」した。これこそ、秋田県初の女性参政権要求講演会だった。

久布白落実は、日本列島津々浦々を回って熱弁をふるったのだろう。そのひとつが秋田だった。その演説に影響を受けた1人が、秋田初の女性衆議院議員和崎ハルである。

ノルウェーの誇る芸術を鑑賞しながら、日本女性史のエポックメーキングとなった公娼制反対運動と女性参政権運動を思うーー2016年の秋。


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【注1】1886年 世界キリスト教婦人矯風会の日本版として東京婦人矯風会発会(初代会頭矢島楫子)。1893年 日本婦人矯風会と改称(会頭矢島楫子)。1916年 公娼廃止を優先課題に。1917年 公娼廃止運動の挫折から婦人参政権運動を宣言。1920年 世界婦人参政権協会に出席(久布白落実)。1921年 全国常置員会にて日本婦人参政権協会設立。1930年 第1回全日本婦選大会。--出典「日本キリスト教婦人矯風会年表」
【注2】オスロの国会議事堂横のメイン通りに、クリスチャン・クローグの銅像がある。過去に何度も見ていたが、久布白落実を知ってから見たら新たな発見があった。彼の足元には右に「書類の入った鞄」、左に「絵筆が何本もはいった筆立て」が添えられているのだ。またクローグの妻オーダ・クローグも画家で、日本に影響を受けたらしき絵を描いている
【注3】小説『アルバーティン』の出版は1886年12月20日。翌日警察が没収。これに対してVG紙を中心とする論壇、労働組合、女性団体などの抗議がさかんとなり、1887年1月の市民や学生5000人による首相官邸前デモにつながった。ーー出典Albertine
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by bekokuma321 | 2016-10-16 07:27 | ノルウェー

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『福祉に生きる 39 久布白落実』(高橋喜久江著、大空社)を読んだ(注1)。

久布白落実(くぶしろおちみ、1882-1972)は、公娼廃止運動を先導した矯風会の代表的運動家である。現役でがんばる売買春禁止運動のリーダー高橋喜久江さんの師でもある。

戦前、戦中、市川房枝とともに日本の女性参政権運動を牽引した指導者だが、市川房枝ほどは知られていない。

この本を読むと、久布白落実は、1882年、熊本県に生まれた(注2)。女子学院卒業後、アメリカで伝道師をしていた父のもとに行き、バークレイの神学校予科に進学した。滞米中、売春をしている移民の日本女性を見て、廃娼意識が芽生える。帰国後、廃娼運動に没頭すると同時に、国際会議や海外視察に出て国際連帯に尽力した。

たとえば、1920年、世界婦人参政権協会に矯風会代表として加入。1928年、第2回世界宣教会議に日本代表8人のうちただ1人の女性として出席。1935年には、廃娼後の女性問題やその解決の先行事例を調査するため、寄付金で渡航費を工面し、北米にわたっている。

1928年の船旅の記述には、私の大好きなノルウェーが登場する。会議はエルサレムだったが、久布白落実は日本にすぐ帰らずヨーロッパに向かう。イタリア、ジュネーブ、ロンドン、デンマーク、ノルウェー・・・。

北欧訪問の目的は、もし廃娼となったら女性たちの生活はどうしたらいいのか、福祉の充実している国々の実情を見て対策を練るためだったという。長い船旅でいっしょになった「ノルウェー人宣教師が当時の中国内乱で苦悩の心境と宣教の使命を吐露する姿にうたれ」たとある。この宣教師の妻がノルウェー滞在の案内役だったらしい。

オスロを訪問したときの記述は、

「ノルウェーでは船中の宣教師夫人の世話で国立美術館の見学のとき売春女性が描かれた画をよく見せられた。この画が人々の心を動かして1887年、ノルウェーは公娼制度の撤廃にふみきったのだと。これは帰国後、『女は歩く』を自費出版するとき口絵につかっている。」

この「売春女性が描かれた画」は、クリスチャン・クローグ作「警察医務室前のアルバーティン」に違いない(上)。

私が初めてこの絵画を見たのは1989年だ。その後、他のクローグ作品も見たが、どれも、底辺の労働者たち、働き疲れた女たちの暮らしがリアルに表現されていた。

なかでも、女性史に影響を与えたといわれるのが、この絵。どんな絵かを、拙著『ノルウェーを変えた髭のノラ』(明石書店)から引用する。

c0166264_14424498.jpg「(国立女性博物館の)館内には妊娠中絶に使われた昔の黒い手術台や手術器具が置かれた部屋もある。こんな手術台が1960年代まで使われていたのだという。手術台の横の壁には、私も見たことのある有名な絵画『警察医務室前のアルバーティン』が飾られていた。ムンクに影響を与えたといわれる画家クリスチャン・クローグの作品だ。売春を決意した極貧の少女アルバーティンが、性病検査のため警察医務室に入室しようとしている絵で、本物はオスロのナショナル・ギャラリーにある。社会派作家でもあったクローグは、この絵と同時に『アルバーティン』という小説を発表し、売春婦の悲惨な暮らしを初めて世に知らしめた。しかし、小説のほうは、発表後ただちに没収されてしまった」

久布白落実は、私より60年以上も前に同じオスロで同じ絵を見たらしいーークリスチャン・クローグの絵はノルウェー人にだけでなく、日本女性にも影響を与えたのだ。

ついで、久布白落実は、ノルウェーでは、女性駆け込み施設に公費が使われていることを見抜き、寄付金だのみの日本と比べている(今の日本もあまり変わらない)。

「ある施設で同規模の東京婦人ホームの運営と比べると、ノルウェーでは1年3万6000円、国庫と地方自治体の折半で費用が分担されるのに、東京婦人ホームでは年間予算3~4000円。公金支出はなく寄付による財政である。」

さらに、久布白落実は、女性の窮状解決に対する無策を知らせるため、軍事費と比較する。

「軍艦1隻2000万円の建造費は各県に2ヶ所ずつ100ヶ所の婦人ホームが建てられ運営できるのに、と日本の現状を批判した」

治安維持法が改悪され、特高が全国に設置された時代だ。それ考えると、彼女の急進性に胸を打たれる。

ノルウェー女性の参政権獲得は1913年だ。久布白落実が訪問した1928年、すでに国にも地方にも女性議員が誕生していた。久布白落実は、充実した福祉政策をこの目で見て、女性参政権が必須だとの意を強くしたに違いない。

国際的視野から、女性の貧困や苦境をなくすには政治を女性の手で変えなければと、戦後は、国会議員に挑戦した久布白落実・・・。しかし日本の選挙は、彼女を当選させなかった。3度挑戦し、3度落選している。

彼女の固い意志は、同じ時代、秋田女性の貧困と苦境の実態を日々目にした矯風会秋田支部長の早川かい、その同志和崎ハルにも宿っていただろう。和崎ハルは、戦後初の選挙に立候補して見事当選。しかし、その後、2度挑戦し、2度落選している。

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【写真上:オスロのナショナル・ギャラリーで何年も前に買い求めたクリスチャン・クローグ作「警察医務室前のアルバーティン」の絵はがき。中:オスロ中心街にあるクリスチャン・クローグ像。下:新宿の大久保にある矯風会館】

【注1: この本は入手が不可能。貸してくださった著者の高橋喜久江さんに心から感謝申し上げます】
【注2: 久布白落実の結婚前の姓名は大久保落実。「熊本県鹿本郡米之嶽村郷原」に生まれたとある。調べたところ現在の山鹿市らしい】
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by bekokuma321 | 2016-09-09 14:53 | ノルウェー