c0166264_1174149.jpg憲法に「男女平等」を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんを、富山に招いて講演会を開催した。1999年のことだ。

ベアテさんは、女性の人権を確立するためには、政治家になって議会で発言すること、差別には泣き寝入りせず原告として裁判で闘うこと、その2つを強調した。

その後、私たちは、「ベアテさんの会」を立ち上げて活動をしている。

三井マリ子さんは、都立高校教員をなげうって議員に挑戦したり、行政の不法を法廷に訴えたり、とベアテさんの言ったことばを体現してきた。

議員を辞した後は、全国フェミニスト議員連盟のなかで、女性議員を増やす活動を続けてきた。私もその活動に参加してきたが、骨の折れる大変な仕事だ。

2012年の秋ごろ、松浦大悟被告は、民主党秋田県の代表として三井さんに故郷秋田から立候補してほしいと懇願したという。当時、民主党の支持率は史上最低を更新し続けていて、離党する議員が多く、ましてや新人の当選などありえなかった。三井さんも固辞していたという。それでも、盤石の態勢で迎えるからと勧誘が続いた。

当時、私が三井さんからもらったメールには、「落選を恐れて立候補しないのは、おかしいのでは」と秋田への移住を決意したいきさつが綴られていた。そのメールで、私は女性議員増の運動をしてきた三井さんが、ついに立候補に踏み切ったことを知った。

ところが三井さんが落選した途端、松浦被告は、「あなたがいると票が減る、今後いっさい連絡してこないように」と言って、三井さんを秋田から追い出した。信じられないことである。

三井さんの選挙だったのだから、何かあったら責任はすべて三井さんに来る。そこで三井さんは、秋田を去る前に選挙会計はどうなっているかを松浦被告に申し入れた。しかし、無視されたという。

秋田を追い出されてから、しばらく寝込んでしまった三井さんだが、その後、手紙で、「会議の開催」「会計を明らかにすること」を再び要望した。なしのつぶてだった。

そこで、やむなく三井さんは、秋田まで何度も通って、選管や銀行に行って1人で調査を続けた。そうした努力で、犯罪の疑いのある事件が見つかった。三井さんは警察に告発し、受理された

さらに、三井さんの政治活動のための「政党交付金」を、三井さんを追い出して自分たちが勝手に使えるようにした松浦被告の行為は、三井さんへの背信行為というだけでなく、応援してくれた知人友人への背信行為でもあるーーこう考えた三井さんは、民事裁判に訴えた。

「政党交付金」(政党助成金ともいう)は、この裁判の重要なテーマだ。政党交付金は、私たちの税金から一人250円を積んでできたものだ。お金がかかりすぎる選挙を見直して、政党の健全な活動を進めるためにつくられたものだという。その公費が、選挙に手慣れた政治屋たちに都合のいいように使われているとしたら…。

c0166264_15464853.jpg今回(1月16日)は、公開の裁判だというので富山から秋田まで傍聴に行った。秋田駅前で裁判のことを多くの人に知ってもらうためにビラ配りをした。

受け取る人は男性が多かった。残念なことに女性は避ける人が多く、若い人たちは興味が無さそうに見えた。悲しかったが、ベアテさんが私を応援してくれていると思って、声をかけ続けた。

日本には、議員を経験する女性も、立候補する女性も、極端に少ない。だから、「選挙違反」や「政治とカネ」という言葉を聞いても、女性の多くはまるで他人事だ。むしろ、そういう言葉を聞いただけで敬遠する傾向がある。その結果、政治はますます多くの女性たちとかけ離れてしまう。

この裁判は、あまり例の無いものなので関心を持つ人は少ないと思うが、政党交付金など裁判のテーマや意義を、政治に無関心な人たちに、わかりやすく知らせてほしい。そして、女性史に残してほしいと願っている。                 

山下 清子 ベアテさんの会 

【写真上:ベアテ・シロタ・ゴードンの自伝『1945年のクリスマス』(柏書房)、写真下:秋田でビラまきをする山下清子(左)、さみどりの会(*)】

(*)2012年の衆院選で落選した三井候補は、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴した。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。「産むならば 世界を産めよ ものの芽の 燃え立つ森の さみどりのなか」という阿木津英の歌がある。女性は子どもだけでなく、世界を産み出すのだという意味だ。三井さんは、選挙演説に引用しては「私は新しい秋田を産み出したいのです」と結んでいた。「さみどりの会」の由来だ。過去の報道・報告は左下Moreをクリックしてどうぞ。
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憲法記念日に思う、足元にある戦場
ベアテ・シロタ・ゴードンさんと私
日本国憲法第9条にかける私の想いー―ベアテ・シロタ・ゴードンさんロングインタビュー

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by bekokuma321 | 2015-02-06 11:32 | 秋田

c0166264_1832269.jpg敬愛するベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。心からお悔やみ申し上げる。

昨年、元最高裁判事泉徳治さんの講演を聞きに行った。彼は、憲法に言及した。私は、主催した「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」機関誌に、その講演の感想を寄稿し、ベアテ・シロタ・ゴードンさんについて触れた。

いま、ベアテ・シロタ・ゴードンさんに出会った20年ほど前を思い出しながら、彼女の信念だった女性の権利獲得のため、これから私に何ができるだろうか、と考えている。「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」機関誌から、ベアテさんについての拙文を抜粋・引用する。


■(泉徳治さんの講演は)期待にたがわず充実した内容だった。時にはホワイトボードに図を描きながら、時には親しみやすい個人名をあげて、わかりやすく説いた。

まず明治民法に「婚外子は、婚内子の半分しか相続分がない」と書かれていると言った。つまり、相続差別の撤廃を求める運動は、114年間にわたる積年の差別に対して異議をとなえてきたことになる、というのだ。

第二次大戦後、新しい憲法ができた。その14条には、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」によって差別してはならないとある。24条には、婚姻における両性の平等を保障すると書かれている。この平等条項を書いた人は、当時22歳のベアテ・シロタ・ゴードンであると泉さんは言った。GHQ憲法草案制定会議のただ一人の女性だ。

ベアテさんは、1993年以来、全国各地で講演をしている。著著や映画も数多く、泉さんも言うように、憲法に関心のある人なら知らない人はいない。それがあってか、泉さんはあまり詳しく話さなかったので、少しつけ加えたい。

実は、憲法草案を書いたのは自分であることを彼女が初めて公に話したのは、1993年5月4日のこと。

その数カ月前、アメリカの大学にいた友人の横田啓子さんからのファックスで、ベアテさんと私の交流が始まった。

ベアテさんの来日を知った私は周囲に話を持ちかけ、講演会を企画した。主催はベアテ・シロタ来日記念講演実行委員会、連絡先は私の事務所にした。当時、ベアテさんのことを知る人はほとんどおらず、協力者を募るのは大変だった。

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講演会は大成功。小さな会場は満員だった。彼女は、流暢な日本語で、「24条は一般的な規定ですが、私は、もっと具体的な社会福祉的条文を書いたのです」と、驚くべき事実を話してくれた。彼女が書いた草案の一つは、こうだった。

「国家は、妊婦および育児にかかわる母親を、既婚、未婚を問わず保護し、必要な公的補助を与える義務を負う。非嫡出子は法的な差別を受けず、身体的、知的、社会的環境において、嫡出子と同じ権利と機会を与えられる」

ベアテ草案は、GHQから、「具体的なことは民法で。憲法は一般的なものに」と削除されてしまう。ベアテさんは、「民法を書くのは日本の男性ですから、もうダメ」と、泣きくずれたという。

一般的な平等条項は残ったものの、それすら日本側は削除してきた。

最終的に開かれた日米会議で、米側代表は、通訳をしていたベアテさんを起草者であると紹介した。そして「女性の権利に命をかけている、この女性を悲しませるつもりですか」と懇願した。日本側は譲歩し、14条と24条は復活した。

(以上、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」機関誌192号より抜粋。同会についてはhttp://www.grn.janis.or.jp/~shogokun/

写真は、日本で初めて講演をするベアテ・シロタ・ゴードン(左)。司会は三井マリ子(右)。1993年5月4日、東京・飯田橋にて。
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by bekokuma321 | 2013-01-11 18:51 | その他