ダボス会議で知られる「世界経済フォーラム」が、恒例のグローバル・ジェンダー・ギャップを公開した。

トップ5は、1位アイスランド、2位ノルウェー、3位フィンランド、4位ルワンダ、5位スウェーデン。ルワンダを除きいずれも北欧諸国だ。

日本の各紙は、日本のランキングの驚くべき低さを報道。「日本114位」という見出しが躍った。

朝日新聞の見出しは、「日本の男女格差114位 政治分野 進まぬ平等」「144カ国比較 世界経済フォーラム」。とくに日本が他国に比べて格差が際立つのは政治分野だと強調されている。

朝日は、女性議員が増えない理由に「選挙制度や政党の姿勢」を真っ先にあげる。それを補強するように、小林良彰慶応大学教授にこう語らせる。

「女性議員比率の上位15カ国のうち、14カ国は選挙が比例代表制だ」
「女性が家事・育児と選挙運動を両立させながら、定数1の小選挙区で当選することは難しい」

要するに、女性議員を増やすには、日本の小選挙区中心の選挙をやめて、比例代表制に変えたらいいのだ。選挙制度を変えることが女性の政界進出に不可欠であると明快に指摘したのは初めてではないだろうか。高く評価したい。


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Moreクリックで、2017年11月2日朝日新聞の同記事全文へ。

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# by bekokuma321 | 2017-11-03 14:18 | 北欧

c0166264_15512581.jpg「女性がタダ働きを始める日 The Date Women Stop Being Paid」が発表になった。

日本の家事専従者のように年から年中タダ働きしている人は、「ウン?」と思うかもしれないが、ちょっと話が違う。

こちらは、男女賃金格差を際立たせるための戦術で、男女同一賃金だとしたら女性は1年のうち何月何日からタダ働きすることになるか、を示したもの。

ロンドンが拠点のビジネス・コンサルティング組織「エキスパート・マーケット」がヨーロッパ諸国の男女賃金格差をもとにはじき出した。

例えば、男性の賃金に比較して女性の賃金は、デンマーク15.1%、ノルウェー14.9%の差があった。これを1年間の賃金に計算すると、デンマークとノルウェーの女性は11月6日から約2か月近くタダ働きをすることになる。

イタリアとルクセンブルグは男女賃金格差が最も少なく5%前後だ。この両国の女性たちでも、12月13日から約2週間はタダ働きとなる。

統計をとったヨーロッパ諸国のなかで最も男女格差が大きかったのはエストニアで、30%。エストニア女性は9月23日から12月末までおよそ3か月間タダ働きをすることになる。つまり1年の4分の1は無報酬労働だ。

日本はどうか。

男女賃金格差は正社員で男性の約70%に過ぎず、約30%とエストニアとほぼ同じだが、女性雇用者の6割近くが非正規であることを考えると、この数字は差を正しく表しているとはいえない。現に「世界経済フォーラム」が調べた経済分野の順位では、エストニアは38位、日本は114位だ。

仮に30%だとして、エストニアの女性と同様、日本女性は1年の4分の1を無報酬で働いていることになる。なんという事だろう。

日本のシングル・マザーの貧困、子どもの貧困、高齢女性の最貧困、性産業に走る若い女性の多さ、DV夫と別れられない妻たち……などの根っこはここにつまっている。これを政治問題にせずして誰のための政治か。

The Date Women Start Working for Free in Europe
日本の男女格差114位に下落 「政治」123位に後退
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# by bekokuma321 | 2017-11-02 16:10 | ヨーロッパ

c0166264_12341167.jpg昨日、武井多佳子前松山市議の愛媛県議当選を紹介した。

そのなかで彼女の県議当選は「紅一点」だった県議会を女性2人にした歴史的意義があると書いた。

都道府県の女性議員率2017年1月最新版によると、全国の2,675人中、女性は261人で9.8%しかいない。「紅一点議会」は、佐賀県議会、山梨県議会、愛媛県議会と3県あった。その3県のうち、割合にして日本でもっとも低かったのは愛媛県だった。

参考までに、上の日本地図で白抜きされている都道府県は、県議会に女性議員が5%に満たないところだ。佐賀、山梨、愛媛に加え、香川、石川、大分、大阪、山形、静岡の9つの県議会。個人的には、日本第2(いや第3か)の都市と言われる大阪の府議会に、女性議員が5%しかいないことに驚いた。

ともかく今回、愛媛県は武井多佳子県議の誕生によって最下位から2つランクがあがった(他県に変化がないとして)。


都道府県の女性議員率2017年1月版(政府発表)
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# by bekokuma321 | 2017-11-02 12:55 | 秋田

愛媛県議会の補欠選挙があり、武井多佳子前松山市議が当選した。脱原発や「女性ゼロ議会」
をなくす運動に熱心に取り組んできた無所属の地方議員だ。

これまで愛媛県会議員47人のなかで女性議員はたった1人だった。いわゆる「紅一点議会」を打ち砕いたことに、歴史的意義がある。

とはいうものの、この21世紀に女性議員はわずか2人で、全議員に占める割合は4%にすぎないとは。

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 ▲愛媛新聞 2017年10月24日

武井多佳子候補が胸元につけているのは「ファイトバックの会」のバンダナ。2011年、大阪府豊中市を相手に人格権侵害訴訟をして最高裁で勝利した三井館長雇止め裁判に使われた。

武井さんは、豊中市の男女共同参画推進センター「すてっぷ」に事業活動を視察に来た。初代館長だった三井は数年後、日本会議系議員らからの圧力に屈した豊中市によって首にされた。武井さんは、三井提訴後、最高裁勝利までの長い道を伴走してくれた。「三井裁判に心強められて、今ここにあります。(新聞は)カラー写真なので赤が決まっています」と武井さん。

今治市に女性議員誕生
議会に女性をおくる会
日本会議的政治と闘った裁判の記録:『バックラッシュの生贄』
読者は二つの怒りを体験する:『バックラッシュの生贄』を読んで
勝訴から、さらなる民主主義の闘いへ

【2017年11月1日更新】
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# by bekokuma321 | 2017-10-31 12:58 | その他

c0166264_18344387.jpg10月17日、高橋みどりさん(左)は「秋田県大曲市人権擁護委員研修会」で講演をした。題して「私の曽おばあちゃん」。

高橋みどりさんは、和崎ハルのひ孫にあたる。和崎ハルは、女性が初めて参政権を行使した1946年衆院選で、秋田選挙区から立候補して、41人中トップ当選した女性解放運動家である。

先日、高橋みどりさんに会った。大曲講演にあたって準備したメモをもとにしながら、「和崎ハル伝」を語って下さった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 私の曽おばあちゃん ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

和崎ハルさんのひ孫にあたる私から見た、ハルさんについてお話しします。

ハルさんの娘である私の祖母「高橋みさを」は、ハルさんの業績をそんなに多く私に話すことはありませんでした。でも、折にふれて話題に上ることもありました。

とくに思い出深いのは、秋田市金照寺山に建てられた和崎ハルの記念碑の除幕式です。1951年(昭和26)11月でした。記念の石碑には市川房枝さんの手になる「秋田女性の母 和崎ハルさん」が、刻まれています。

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家の奥から見つかったアルバムがあります。そのなかに記念碑の除幕式に参加した和崎ハルさんと私が写っている写真がありました(上)。

前列に4人が座っていて、右から2人目が和崎ハルさんです。黒い紋付の和服を着ています。当時は最高の盛装だったと思われます。私の祖母「高橋みさを」(ハルさんの娘)は後列の右から2人目に立っています。右端の女性が私の母です。その母親に抱かれるように長椅子の上に立っているのが私です。3歳か4歳だったと思います。祖母・高橋みさをから聞いた話もまじりあって、私の記憶にこの時の様子がうっすらと残っています。

高橋みさをは 女性運動に熱心な人でした。 地域婦人会、農協婦人部のリーダーを経て、1965年(昭和40)、稲川町議会議員に選出されました。「紅一点」でした。亡くなる1970年(昭和45)まで議員を務めました。その娘である私の母は、農業の傍ら民生委員を長く勤め、地域の福祉活動にかかわっていました。

私も、社協事務局長、民生委員、介護施設長役員などを長く務めてきました。曽祖母、祖母、母から何か大事なものを、私も受け継いできたように思うことがあります。その大事なものとは、いかなる人間も持っている人としての権利を尊重しなければならないという「人権思想」です。私はそれを私なりに後世に伝えていきたいと考えています。

和崎ハルさんが歩んだ道を私なりに紹介します。彼女は1885年(明治18)秋田市に生まれました。近くのキリスト教の教会系の学校に入学し、そこでいわゆるキリスト教に基づく博愛の精神を学んだそうです。

当時の時代状況からして、いろんな社会的圧力や社会通念があったはずですが、それにもめげず、ハルさんは平等思想を貫きとおした人のように思われます。その原点は、幼いころに出会ったキリスト教の博愛精神にあるのではないかと私は考えます。

ハルさんは、結婚後、愛知県豊橋市で5人の子ども(その1人が私の祖母)を産み育てますが、夫が亡くなり、子どもと義母を連れて故郷の秋田に戻ってきました。秋田でやったことは文献などに多く書かれていてご存知の方も多いでしょう。

簡単にまとめると、まず日本キリスト教婦人矯風会秋田支部に参加して、廃娼運動(公娼制廃止を求めて議会に運動する)に熱心にかかわります。生活のために、上京して洋髪技術を学び、秋田市内で美容院を開きます。洋髪の美容師秋田県第1号だそうです。美容院に来る芸妓の女性たちの悲惨な身の上話を聞くようになります。当時、貧農に生まれた女性たちは、借金のかたに娼妓に売られていました。社会の底辺で苦しむ彼女たちの人生を何とかしなくてはと、ハルさんは、裁縫、識字、作法などを教える芸妓学校「のぞみの会」を開校します。日本でもまれなこの学校は12年間も続いたそうです。

廃娼運動に拍車がかかったことは想像にかたくありません。さらに廃娼運動から、女性参政権を求める運動にのめりこむには時間はかかりませんでした。和崎ハルさんは、日本キリスト教婦人矯風会秋田支部長の早川カイさんらとともに、「秋田婦人同盟」、「婦選獲得同盟秋田支部」を創設します。
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同じころ、ハルさんは、秋田魁新報の「女性相談瀾」を担当するようになります。そして1932年(昭和7)、市川房枝さんらを招いて秋田市で東北婦選大会を開催します(上:注1)。和崎ハルさんは「婦選獲得同盟秋田支部長」でした。

ハルさんは、大阪にいる息子と同居するため秋田を離れますが、戦況が悪化し、横手に疎開します。ハルさんの娘が「伊藤永之介」(作家)と結婚して横手に住んでいたためです(注2)。

1945年、敗戦をハルさんは横手で迎えます。その翌1946年、日本女性は初めて参政権を行使します。その衆院選にハルさんは立候補します(注3)。秋田県内をもんぺ姿で演説して回ったと言われています。そして10万票以上の得票で、秋田県初の女性代議士となります。

翌1947年の4月の総選挙にも再び立候補しますが、再選はなりませんでした(注4)。

1952年(昭和27)、ハルさんは、息子の住む大阪で亡くなりました。秋田市に記念碑が建てられてからわずか1年後のことでした。

(構成、文責:FEM-NEWS)

【注1】2016年女性参政権行使70周年を記念する絵葉書を作成した。和崎ハルの功績や秋田の「婦選運動」(女性参政権獲得運動)を広める一助にという趣旨だった。
【注2】横手市内の伊藤永之介の住んでいた跡には立て看板が立てられて、伊藤の業績が説明されている。しかし同じところに住んでいた和崎ハルの名はない。
【注3】1946年の衆院選で秋田は全県1区だった。横手に住んでいた和崎ハルは横手から秋田県の衆議院議員に立候補した。しかし横手から立候補したことを知る人はおらず、筆者も数年前初めて横手在住だった事実を知った。
【注4】1946年の衆院選における選挙区の定数は複数だった。1人しか当選しない「小選挙区制」ではなく、いわゆる「大選挙区制」だった。そのうえ、投票用紙に複数の名前を書ける「連記制」だった。そのため「1人は女性を」と思う人が多かったらしく多くの女性が当選した。しかし、翌1947年、全県1区だった秋田選挙区は2つに分けられた(秋田は1区、横手は2区)。また連記制も廃止された。和崎は1947年秋田に移って挑戦するも落選だった。めげずに1949年3たび立候補。落選した。その挑戦魂! 女性立候補者と当選者は、1946年79人⇒39人、1947年85人⇒15人、1949年44人⇒ 12人。 女性当選者が激減した背景には連記制廃止など選挙制度の変化があると考えられる。

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普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
女性と選挙
2014衆院選 比例制に変えるしかない
参院選で女性躍進ならず



【2017年11月1日更新】
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# by bekokuma321 | 2017-10-30 19:35 | 秋田