c0166264_22182370.jpgノルウェーの報道によると、アメリカが軍事介入して破壊しつくされたイラクにおいて、女たちや少数民族の救済を続ける女性解放運動家が、ラフト賞に決まった。

女性の名はヤナー・モハメド(Yanar Mohammed、写真)。民主主義と人権のために闘う女性運動家であり、ジャーナリストでもある。イラクで、暴力被害女性を保護するシェルターの運営やニュースを発行し続ける「女性の自由ための組織」の代表。

ラフト賞審査員は、イラクの現状をこう説明する。

「性暴力は、戦略の一部であることが多い。イラクは、政治・軍事の名の下で、女性の人権がふみにじられている数多くの戦場のひとつである。女性に対する虐待や暴力は、イラクで増大の一途をたどる。強姦されたり、誘拐されて売買春宿に投げ込まれたり、名誉殺人の犠牲になったり・・・」

「女性の自由のための組織」ホームページによると、ヤナー・モハメドは、ISISの陣地近くにまで直接でかけて行って少女たちの救済交渉をしている。また、国連やアメリカの大学でイラク女性の実情を講演したり、と国内にとどまらず、世界に向かってイラク女性への理解を深める活動を続ける。

ヤナー・モハメドは、「行き場のない人たちは100万人とも200万人ともいわれている。そのうち約150万人が女性で、その半数が16歳から30歳の若い女性である。要するに10万人ほどが、今、この時点でも人身売買の犠牲になっているだろう」と語る。

ラフト賞を知らない人が多いと思われるので、ホームページから紹介すると、1986年、ノルウェーの学者で人権活動家ト-ロフ・ラフト(Thorolf Rafto) の努力に感謝する学生らの手で創設された。1979年、ラフトは、大学から排除された”政治的に偏向した学生たち“に講義をするためチェコを訪問。プラハで、ラフトは保安警察の手で殴打され重傷を負い、それがもとで1986年死亡した。

政治的表現の自由を守り発展させることにもっともふさわしい人が選ばれるのだという。また、世界ではあまり知られていない人権活動家が選ばれることによって、その業績を広く知らせる役目を果たしている。

受賞者から何人もノーベル平和賞受賞者が輩出している栄えある賞だという。

ヤナー・モハメドの気の遠くなるような闘いは、ノーベル賞に値する。ぜひ、と思う。

Organization of Women’s Freedom
Organization of Women’s Freedom in Iraq OWFI_facebook(ヤナー・モハメド写真は本facebookより)
The Rafto Foundation
「民族浄化」を乗り越える女たち
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by bekokuma321 | 2016-09-30 22:42 | ノルウェー

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「『精神病院がなくなったら、私たちのほうが狂ってしまう』と、私に言った女性がいました」

こう言うのは、マリア・グラツィア・ジャンニケッダだ。

マリア・グラツィア・ジャンニケッダは、イタリア精神保健改革運動の生き証人。精神科医フランコ・バザーリア(1924-1980)が働いていたトリエステで、精神病院廃絶運動の渦中にいた一人である。昨年までサッサリ―大学社会学教授で、フェミニスト。先日、彼女の来日講演があった。

イタリアで、精神病院廃絶が始まったころ、「精神病院が閉鎖されます。○月○日、あなたの娘さんを迎えにきてください」というような手紙が当局から家族たちに届いた。多くの家族は、精神病院から自宅に戻されると知って驚き、精神病院閉鎖に猛反対をした。

マリア・グラツィア・ジャンニケッダは、そうした家族たちの集会に呼ばれた。そのとき、冒頭の発言が彼女に向かって投げつけられた。

女性解放を唱えてきたフェミニスト・ジャンニケッダにとって、精神病院廃止によって、母親、娘、妹、などが家族介護に縛られることは、あってはならないことだった。

「家族が家で世話をするのではなく、あちこちに地域精神保健センターをつくって、そこが責任をもって世話をする。この精神保健改革は、患者だけの解放ではありません。患者と患者の家族をともに解放するのです」と訴えた。

このとき、ジャンニケッダに強い反発をした、この女性は、その後、家族会運動にまい進していき、多くの家族をこの運動に引き込むリーダー的存在となっているという。引き込まれた女性の一人が、2010年来日したジゼッラ・トリンカスだ、とジャンニケッダは言った。トリンカスは、イタリア家族会連合会長、サルデーニャで精神障がい者のグループホーム経営に頑張っている。

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上のエピソードは、9月22日、東京大学駒場キャンパス講演会(イタリア語、日本語通訳付き)で披露された。ただ、裏方の仕事があった私はメモをとれていない。他の内容は後日、共催団体から広報される正確な報告を待ちたい。

さて、9月28日(水)、同大学石原孝二研究室で、マリア・グラツィア・ジャンニケッダの英語講演があった。簡単に報告する。

こちらのテーマは、イタリアの司法精神病院についてだった。日本では精神病院廃絶すら達成していないので、司法精神病院廃絶ははるかかなたの話だと思いながら聞いた。

イタリアの司法精神病院はOPGと略される。2011年から「なくせOPG」(STOPOPG)と呼ばれる市民運動の連合体ができ、廃絶に向けてネットワークを組んでいる。

c0166264_15574279.jpgイタリアでは長年の精神保健改革によって、1960年代末から精神病院の10万ベッドが少しずつ減らされ、1978年バザーリア法によって精神病院廃絶が強化された。このあたりは「大熊一夫著『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)をみなさんが読んでいることを前提にします」と、ジャンケッダより発言があった。

精神病院がなくなったイタリアだが、刑法によって規定される司法精神病院OPGは残っている。法務省の管轄だ。6つ司法精神病院があり、そこの何千ものベッドは、常に満員状態(前著『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』p165~p175に詳しい)。

2006年から、EU加盟国以外からやってくる移民、難民の増加とともにOPGに入れられる人の数は増えてきた。「犯罪は、極貧状態、近くに頼れる仲間がいない、社会からつまはじきにされる、などによって引き起こされるのだから、当然でしょう」とジャンケッダは言った。

OPGは一部改革されたり、現存するOPGが閉鎖されたり・・・それに代わるレムズREMSと呼ばれる「安全策をほどこす住居施設」に移っている。とはいえ、法的根拠となる刑法の改正はない。つまり、世話と保護監督されなければならないと専門家によって認定された人は拘束される、とされている。ジャンニケッダは、REMSの快適そうな門構えと、その中で見た牢獄のような高いフェンスを見せた。

現在、司法精神病院6つのうち、3つが実態としてなくなった。最新統計では、司法精神病院に入院している人は269人。REMSには573人である。

新しく生まれたREMSは、司法精神病院と本当に違うのか。司法精神病院が減って、本当に拘留が減ったのか。もし拘留をしないとすると、精神を病む人で罪を犯した人はどう対処されるべきなのか――今、イタリアでは活発な議論がある。

この議論の根底を知るには、1978年のバザーリア法にもとづいた、イタリア精神保健改革に立ち戻る必要がある。と、ジャンニケッダは、そもそものバザーリア法をまとめた。

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イタリアの精神保健改革の第一は、精神病院の新設を禁じたこと。第二は、患者(と呼ばず「客」と呼ぶ)を地域精神保健センターで、支援しケアをするとしたこと。第三は、一般病院に最大15ベッドの精神科サービスステーションが新設されたこと。第四は、強制保健治療Involuntary Health Treatmentというものが生まれたこと。

この第四の強制保健治療は、他の病気と同様に法に規定されている。すなわち、治療は「人間としての尊厳、市民的、政治的権利を尊重して」「強制的保健治療をほどこされる人の同意と参加が確実とされたうえで」行われる。

強制保健治療は、公務員である精神科医を含む2人の医師によって要請される。命令を下すのは市長または市長代理である。さらに判事による認可が必要とされる。

強制保健治療は、利益優先をさけるため、私立の精神科で行うことは許されていない。公立一般病院の精神科サービスステーション、または地域精神保健センターでなされる。

しかも、強制保健治療は長くて7日間と決められている。延期される場合は、最初と同じように市長や判事による手続きを経なければならない。

「大事なことは、強制保健治療は、患者が社会に危険だから施すのではなく、患者が特別な支援(緊急対応:投薬管理、個室監督など)を必要としているから施される、ということなのです」

「精神科医には、その患者が危険であるかいなかを診断する義務はもうないのです」

イタリアの精神病院廃絶は、精神病を患う人たちを、自由と権利が付与された人間に復権し、法的位置に絶大な変化をもたらした。変わったのは患者だけではなく、患者の家族も変わった。さらに、精神科医の法的規定が変わった――バザーリアの娘と称されるマリア・グラツィア・ジャンニケッダは、こう結んだ。

最後に、FEM-NEWSとしてつけ加えたいのは、バザーリアの妻フランカ・ウンガロについてだ。彼女もフェミニストだ。カリスマ医師バザーリアゆえ、妻の業績は見えにくいが、彼女は作家であり、バザーリアの著作のほとんどすべてが妻との共著である。

また、夫の亡き後、フランカ・ウンガロは、国会議員に当選して、180号法(バザリア法とも呼ばれる)に対するバックラッシュ勢力と闘いつつ、精神病院を出た人たちをケアする地域精神保健センターをつくりあげる運動や、家族会運動の発展に寄与した。この妻と、マリア・グラツィア・ジャンニケッダは、制定されたバザーリア法がちゃんと施行されるよう運動を続けてきた(法ができることと、法が施行されることは別)。現在、マリア・グラツィア・ジャンニケッダは、「フランコ&フランカ・バザーリア財団」理事長。

【写真上:2016年9月22日、東大駒場キャンパスのホールにて。中央がマリア・グラツィア・ジャンニケッダ】
【写真中1:2016年9月22日、東大駒場キャンパスのホールにて。バックの写真がイタリアから精神病院をなくしたフランコ・バザーリア】
【写真中2:なくせ司法精神病院STOPOPG 運動のシンボルマーク】
【写真下:2016年9月28日、東大駒場キャンパスの18号館にて。左がマリア・グラツィア・ジャンニケッダ。「日本の精神病院における"任意入院"と、"措置入院"は想像できますが、"医療保護入院"というのは何ですか。想像できません」と強い語調で質問している】

映画 むかしMattoの町があった:全国各地にて自主上映会展開中!
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by bekokuma321 | 2016-09-29 15:40 | ヨーロッパ

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1992年、旧ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナをめぐって、国土と民心を破壊しつくす民族紛争が起きた。

独立派のボシュニャク人とクロアチア人に対して反独立派のセルビア人が反発。このセルビアをNATOとアメリカが空爆して、今日のシリアのような殺戮戦が繰り広げられた。

この戦争は、自分たちの勢力圏を単一民族にするために異民族を排斥・抹殺する「民族浄化」という言葉を世界に広めた。英語のEthnic cleansingである。

浄化には非道の限りが尽くされた。その一つが組織的強姦だった。〝強姦キャンプ〞と呼ばれる女性収容所がつくられた。そこに集められた女性たちは、兵士に繰り返し長期間にわたって強姦された。お腹が大きくなって中絶ができなくなってから解き放たれた。

c0166264_904464.jpg上のポスターは、〝強姦キャンプ〞体験者などの独白を題材にした芝居『ヴァギナ・モノローグス』の宣伝に使われた。先月、クロアチアから来日したラダ・ボリッチ(写真)から贈られた。

ラダ・ボリッチは、クロアチア女性学センターの代表。強姦キャンプの被害者の救済とエンパワーメントにあたってきた。

ポスターの背景をもっと知りたい方は、叫ぶ芸術:「民族浄化」を乗り越えて(クロアチア)をどうぞ。

ラダ・ボリッチ「クロアチアの女性運動」を語る
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by bekokuma321 | 2016-09-28 10:50 | ヨーロッパ

c0166264_8481385.jpg 女性が参政権を行使して70年。

その1946年の選挙で日本初の女性衆議院議員になった1人は秋田の和崎ハル(1885~1952)。美容師だった。髪を結いに来る芸者さんたちの身の上話は悲惨だった。憤りを覚えた彼女は、公娼制廃止、一夫多妻廃止運動にのめりこんでいく。当然の帰結だが、参政権のなかった女性の選挙権を求めて運動に走る。

あきた文学資料館の北条常久博士の話や資料によると、秋田県において、公娼制や一夫多妻制に反対する活動の先陣をきったのは、早川カイ(1884~1969 写真)だった。早川カイは秋田市の早川眼科医の妻で、夫婦とも熱心なクリスチャンだった。1922年、矯風会秋田支部を創設し初代支部長に就任した。

翌1923年、関東大震災が起こった。

早川カイは、矯風会秋田支部や他の組織をフル動員して、布団づくりにとりかった。「ゆかたをほどいて布団皮を縫い」、それに寄付された藁をいれ、「1080枚」の布団を完成した(『火の柱――秋田婦人ホーム四十年のあゆみ』1993)。

その1080枚の布団を、早川は2人の同志とともに、蒸気機関車に乗って、秋田から上京して届けたというから、その爆発的エネルギーに圧倒される。東京で早川が見た惨状のなかの惨状は「吉原のお玉ケ池に折り重なって死んでいる娼妓の姿」だった。娼妓の出身は、山形や秋田など東北が一番多い事を知って、胸つぶれる思いだったろう。

1928年8月、今度は、秋田が大火に見舞われた。

秋田市内の遊郭地にあった家屋が180戸以上、焼失した。早川は、翌朝には現場に急行した。その惨状を目の当たりにし、遊郭で働かせられていた多くの女性・少女たちに救援の手をさしのべた。

早川のすごさは、業者とわたりあって娼妓の前借金免除の交渉に体をはったことだ。啖呵をきることもあったという。

彼女の、この勇敢さは、遊郭の復興反対活動につながっていく。1928年9月には(大火の1月後)、矯風会本部の久布白落実(くぶしろおちみ、1882-1972)を秋田に招いて、第1回公娼廃止大記念会を開催した。

久布白落実の自伝によると、公娼制をすでに廃止したノルウェーを視察したのは1928年2月から5月にかけてのある期間だ。その秋、秋田に招かれた彼女は、オスロで見てきたばかりのクリスチャン・クローグ作「警察医務室前のアルバーティン」と、ノルウェーの廃娼運動や、廃娼後の女性たちの保護施設などを熱っぽく語ったに違いない。

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早川カイは、公娼制を廃止したいという情熱を、政治問題へと発展させる。それは、秋田県会議長名で、知事あてに「公娼制廃止を求める意見書」提出となって結実した。

廃娼が決議されると、遊郭に閉じ込められていた娼妓たちは自由を求めて逃げ出した。早川は自宅を開放して、保護した。中にはこんな話もある。早川の息子の配偶者の弁だ。

「ある娘はいつも見張りされていて、自由になりたくてもなれないので、或る時こっそりと投書をした。母からの返事は本の中に旅費とともにはさんで送ってきたそうである。それには読んだら破くこと、隣の駅まで逃げてくれば東京に逃がしてやること、目印に眼帯をして、人に話しかけられても決して口をきいてはならないこと、どうしても危なくなったら、秋田市の早川眼科に逃げ込むことなど、そんな注意が書き添えてあったという」(同著)

続々と逃げてくる女性たち、彼女たちを追ってくる楼主たち。自宅におくだけでは危険になってきたため、近くの楢山教会の牧師館(写真上)に身を隠させたりもした。

早川が、苦界に身を沈めた女性たちが駆け込める「婦人ホーム」創設に着手するのは時間の問題だった。彼女は土地を買って建物を建設するための募金活動をスタートさせる。

1932年9月1日付け「秋田婦人ホーム建設趣意書」には、次のように書かれている。代表者は早川カイと和崎ハルだ。

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「(前略)不幸な婦人収容のほか、授産、人事相談、職業の紹介、託児も致したいと存じます。それに要する経費は五千円でございますので、皆さまのご同情におすがりするわけです。秋田婦人ホーム建設発起人 代表者 早川カイ、和崎ハル」(同著)

秋田の女性解放運動は、早川カイの公娼制廃止運動から火がついた。和崎ハルが衆院選に立候補する10年以上も前のことだった。

【写真上:早川カイの写真。秋田婦人ホーム佐々木ケイ子施設長提供】
【写真中:秋田市にある秋田楢山教会。ここで矯風会の活動が行われた。現在も続けられている】
【写真下:「婦人解放運動発祥の地」の石碑。秋田婦人ホームが建てられた地(秋田市楢山地区)に、後年、設置されたもの】

【注:オスロの美術館に展示されている絵画。売春婦になる前の性病検査を待つ貧しい少女が描かれている。ノルウェー売春反対運動のきっかけとなったとされる】
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by bekokuma321 | 2016-09-26 09:04 | 秋田

c0166264_9265257.jpg東京都の八王子市議会、文京区議会、小金井市議会が、女性議員増のための法制度を求める意見書を可決した。こうした意見書が、全国フェミニスト議員連盟など女性団体から出たことはあっても、地方議会から次々に出ることはきわめて珍しいと思われる。

以下、2016年9月、文京区議会に提案・可決された文案。

===政治分野への男女共同参画推進のための法律制定を求める意見書(案)===

今年は女性参政権行使から70年の節目の年を迎えました。しかし、我が国の女性議員の割合は、衆議院で9.5%(2016年)、参議院では20.7%(2016年8月)です。

参議院の20.7%は世界平均の22.0%に近づきつつあるとはいえ、衆議院の9.5%は、列国議会同盟(IPU)の調査によれば、二院制の国での下院あるいは一院制をとる191か国中155位(2016年6月現在)と世界の最低水準です。

一方、地方議会においても、女性議員の割合は12.1%と一割強に過ぎず、女性議員が一人もいない「女性ゼロ議会」は、全自治体の20.1%にも上ります。

政治は私たちの暮らしに直結し、社会の意思決定を行い、これを実現する重要な役割を担っています。少子化、高齢社会の問題など、暮らしに関わる事柄が重要な政治課題となっている今日、社会のあらゆる場で女性の活躍推進を掲げている政権下において、政策を議論し決定する政治の場への女性の参画は不可欠です。

そのために、法制度に女性議員の増加を定めることは、国、自治体のいずれの議会においても女性議員増加の実現に向けての確かな方策となり得ます。

よって、文京区議会は、国に対し、女性議員の増加を促し、政治分野への男女共同参画を推進するための法律制定を女性参政権行使70年のこの年にこそ実現されることを強く求めます。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

2016年9月  日                   文京区議会議長名

内閣総理大臣 
内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画)   
内閣府特命担当大臣(地方創生・規制改革)
法務大臣 
衆議院議長
参議院議長

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▲日本の議会はほとんど一方の性によって占められている。衆議院は作成時より女性がさらに減り9.5%でしかない。2011年3月、全国フェミニスト議員連盟作成の「女性議員率円グラフ」
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by bekokuma321 | 2016-09-22 09:33 | その他

秋田魁新聞電子版の2016年9月20日付けニュースです。

民進党県連・松浦代表が辞任、政界引退を表明:7月の参院選に出馬し落選した民進党県連の松浦大悟代表(46)は20日、秋田県連代表を辞任し政界から引退することを表明した。後任は決まっておらず、当面は小原正晃幹事長が代表の職務を代行する」

県連とは民進党秋田県連で、代表は、松浦大悟さんです。松浦さんは参議院議員だった2012年当時、三井マリ子さんに衆議院議員に立候補するよう要請した人です。固辞していた三井さんですが、「盤石の体制で支援する」との2か月にわたる要請を受け、ついに落選覚悟で秋田移住・立候補しました。

12月の衆院選後、三井さんは、衆院選にかかわって、松浦大悟議員秘書と秋田県連幹部らの2つの「不法行為」、さらには秋田県連代表らの”不適切な言動”(秋田地裁)に向き合いました。

「不法行為」のほうは検察に送検されましたが、1つは不起訴、もう1つは起訴猶予でした。そして"不適切な言動”のほうは、昨年11月、松浦被告側が詫びたことにより和解となりました。詳しくは「和解が成立しました」に掲載されています。

c0166264_10381458.jpgさきの7月参院選では、東北6県で野党共闘が成立して、秋田(松浦大悟候補)を除く東北5県で、野党統一候補が勝利しました。それに関しては、拙文「民進党代表選と『参院選東北5県の野党勝利』」 をご覧ください。

以上、ご報告でした。

岡田 ふさこ(さみどりの会* 事務局)

参院選2016 みちのくの民意 
党として説明責任がある「秋田政党交付金裁判」
連載「衆院秋田3区の政党交付金」_さみどりの会
和解調書と裁判長の真意
女であったゆえに踏みつけられた名誉と尊厳
基金に移されていた政党交付金の国庫返還
三井マリ子VS松浦大悟裁判 傍聴記

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-09-21 14:39 | 秋田

富山市議会で、自民と民進の議員7人が領収書を偽造して、公費を横領着服していたという。

よくある手口らしいと知ったのは2012年衆院選の後。私の選対の幹部になっていた人が、ポスター張り作業を依頼していないにもかかわらず、依頼したことにして、偽の領収書を作ってはその分の政党交付金を自分のポケットに入れていた。わかっただけで25枚あった。悪質な犯罪だったが、書類送検されたものの起訴猶予だった。

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「政治とカネ」のスキャンダルは底なしだ。兵庫の野々村県議事件、猪瀬都知事事件、甘利大臣事件、小渕優子事件、日歯連事件、舛添都知事事件・・・。

その昔、後藤新平という政治家がいた。政治腐敗をなくさなくては、と日本で初めて運動したのは、彼だという。政治腐敗をなくすことを「政治の倫理化」と名づけて、こんなふうにいっている。

「政治の根本精神は“社会民衆の福祉のために奉仕することである”という観念が、満天下の信念とならなければ、真実なる政治は興らない。”政治は力にあらず、奉仕なり”との観念に基づいて行動せよ、ということが、政治の倫理化の根本精神である」(阪上順夫『現代選挙制度論』1990)

そして、「永く同一職業に携わる者は、因襲の捕虜となる」から、「天下無名の青年よ起て」「諸君の奮起によりてのみ、新日本の再生は期待せられるるのである」と言った(同上)。

後藤新平が政治浄化を若い無名男性に賭けたのは、女性参政権のなかった戦前だから、当然だろう。そのころ女性先覚者たちは、新婦人協会、無産婦人同盟、矯風会、婦人参政権獲得同盟などを組織化して、女性参政権を求めて、東西奔走していた。

市川房枝らとともに女性参政権運動をひっぱったのは、矯風会の久布白落実である。彼女は、大阪の遊郭設置反対運動に破れた後、「法治国家において参政権は、唯一の弾丸であり、武器である」と女性参政権獲得を高々と掲げるようになった(久布白落実『廃娼ひとすじ』1973)。
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女性解放をめざす久布白落実は、ある年は世界をかけめぐり、またある年は日本全国を講演して回った。彼女の講演に衝撃を受けたひとりが秋田の和崎ハルだった(グレゴリー・M・フルーグフェルター著『政治と台所』1986)。

和崎ハルは、1920年代から、秋田の政治腐敗に怒り、たびたび新聞雑誌に投稿した。1929年「秋田婦人連盟」を創設して、政治教育講演会のみならず、選挙の買収防止運動を展開。翌1930年「婦選獲得同盟秋田支部」を創設して代表。八面六臂の活躍だった。戦後(70年前)、初の衆議院議員に立候補・当選した

前述の『政治と台所』には、次のような和崎ハルの投稿が紹介されている。

「(女子公民権の付与は)選挙の浄化に取って最も力あるものと信じて疑わない」

「(選挙応援をして、1票3円の買収のならわしを聞いたり、対立候補側の警察署長から不当監禁されて自殺をはかった知人が出た)その時実に選挙界の腐敗いろいろな不浄なことを知った私は、一大決心をなし一国の政治は決して男子のみが専任すべきものではない断然女も参与しなくてはならない。政界の廓清には我々女性が起つべきだと深く胸を刺した」

「我々女性が権利を要求するのは実に誤った基礎の上に樹てられて居る今日の政治を、根本的建直し一部特権階級の手にのみ委ねられて居る政治の改善を図りたいからである」

約100年たった今でも、説得力をもっている。

女性だから皆「政治とカネ」にきれいだとはいえないのは、男性にも後藤新平のような政治家がいるのと同じだ。とはいえ、女性は概して、男性同士でつくりあげてきた村社会の掟になじんでないだけ、その掟に染まりにくい。現議員や元議員の女友だちの体験話から、おおかた間違ってないと思われる。

富山市議会は、40人のうち女性議員は2人(共産と公明)、わずか5%しかいない。富山市民の怒りが女性議員増につながってほしい。

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【写真上:2012年三井選挙に使われた偽造領収書(出典「衆院秋田の政党交付金~25枚の領収書」)。 中:秋田市内にある和崎ハル石碑(亀田純子撮影)、下:女性参政権行使70周年の記念はがき。画像は女性参政権を求めて1932年秋田市で開かれた「東北婦選大会」】
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by bekokuma321 | 2016-09-16 16:56 | 秋田

「和崎女史が最高点」

戦後初の衆院選は、ちょうど70年前、1946年に行われた。秋田県は、和崎ハルがぶっちぎりのトップ当選だった。

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上は、友人が送ってくれた当時の新聞記事だ。まじまじと見て、あらためて、その歴史的快挙に感動した。41人の立候補者がいて、うち当選者は8人。すごい競争率だ。その先頭に「100247 和崎ハル(中立新)」とある。彼女の後に7人の当選者が並び、落選者がズラーッと続く。和崎ハル以外は全て男性だ。

「連記制」だったから、といわれている。阪上順夫『現代選挙制度論』(政治広報センター、1990)にはこうある。

「1946年4月10日総選挙では、85%の新人議員と39人の婦人議員を生み出したが、これには連記制が有利に働いた。特に初めて選挙権を行使した女性が、1票はとにかく、同性へと必然的に意識して投票したと考えられ(アベック投票と呼ばれた)、候補者や政党が乱立したことから、保守と革新に振り分けた分裂異党派投票も多かった」

70年前の日本の選挙は、大選挙区制。しかも投票者は、何人かの候補者名を書くことができた。そのため、投票用紙に男女の名前を書く人が多く、「アベック投票」と呼ばれた。これって、2015年3月、世界をあっといわせたフランスの「ペア候補」とそっくり。

1946年の日本の「アベック投票」は、こんなふうに決められていた:

「東京都や大阪など、定数11名以上の選挙区は、3名。
定数4名以上、10名以下の選挙区は、2名。
定数3名以下の選挙区は、1名のみ(現在の投票と同じ)。」

定数4名が最小で、3名以下の選挙区はひとつもなかったというから、すべての人が、投票用紙に、2名か3名を書くことができたのだ。

c0166264_16371927.jpgなにしろ日本女性にとって、歴史上初の晴れがましいできごとだった。それまで女に生まれたというだけで投票に行けなかった。女学校教師(女性)が、「用務員の男性は投票できるのに、教員の私は投票できない」と、その理不尽さを嘆いた文を読んだことがある(注1)。そんな女性たちに待ちに待った参政権が付与されたのだ。女性たちの多くは、2人のうち1人、3人のうち1人は女性の名前を書いたに違いない。男性だってそうしただろう。

これが、多くの女性候補当選につながった。

ところで、女性参政権行使70周年の今年、小池都知事の誕生により、女性の政治参加が少し前に進んだように見える。しかし、日本全体では、政治分野はまだ男の牙城だ。何度でも言うが、日本の国会における女性割合は9.5%で、世界193カ国中、ボツワナと並ぶ157位である(第1院、2016年8月現在)。

こんな日本に、国連も黙ってはいない。国連女性差別撤廃委員会は、日本政府に、「政策決定への女性の少なさを解消するため、クオータ制など暫定的特別措置を実行せよ」と繰り返し勧告してきた。ごく最近も、レポートを出した。2016年3月7日だ。その委員会報告、19条、31条に明記されている(注2)。

まずは女性や少数派に絶対的に不利な選挙制度「小選挙区制」は改めるべきだ。比例枠を減らそうなんて言語道断だ。国連が提唱する「クオータ制」は、比例代表制でこそ効果が出る。

はるか70年前、「アベック投票」で女性をどっと当選させたではないか。やれないことはない。

女性差別撤廃委員会 日本政府報告書審査の総括所見(英語)
「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
ハルらんらん♪
比例区、またまた削減
「身を切る改革」どころか「民意を切る改革」
小選挙区制は女性の声を捨て去る


【注1】折井 美耶子編『女ひとりわが道を行く―福田勝の生涯』だと思う。
【注2】日本政府はなぜか半年たってもまだ和訳を公表してない。わたしなりに原文から訳した→
19条は「クオータ制など暫定的特別措置など必要な制度によって、実質的に男女平等を速攻で進めること、なかでも、少数民族、先住民、障がい者などマイノリティ女性の権利を確保すること」と勧告する。31条は、3つの具体策を提示する。
(1) クオータ法などの暫定的特別法によって、選挙や任命によるポジッション(議員や委員など)に、完全なる男女平等参加を促進すること  
(2)第3回、4回国内行動計画にある、2020年までに、立法府、内閣府、首長を含む行政府、法曹界、外交、学界などすべての分野において女性を30%にする目標に向かって、実効性のある具体策で確保する
(3)アイヌ民族、部落、在日韓国人など、障害者や少数派の女性が代表となれるような暫定的特別措置を含む、特別の対策をとること 
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by bekokuma321 | 2016-09-14 22:14 | 秋田

c0166264_3274543.jpg「ナパーム弾を受けて泣き叫びながら逃げる少女」が、フェイスブックに帰ってきた。

さきほどはいってきたニュースによると、フェイスブック側は、ノルウェーのアフテンポステン紙らの抗議によって、削除した写真をもとに戻したという。

おめでとう!

問題となったのは、何も身に着けずに走っている少女の写真だ。あのベトナム戦争の・・・。

アメリカが支援した南ベトナム軍は、ナパーム弾を使って北ベトナムの村々を焼き尽くした。ナパーム弾は、アメリカ軍が開発したとされる爆弾で、1000度という高温のゼリー状のものが炸裂するのだという。少女は、そのナパーム弾のついた衣服を脱ぎ棄てて、走った。「ギャーッ、熱いよ~」という断末魔の叫び声が聞こえてきそうだ。

この写真は、世界中の人の心を動かし、反戦運動を加速させたといわれている。それを、フェイスブックは、ヌードを受け付けないというルールがある、と掲載を拒否した。杓子定規、とはこのことだ。

ことのはじまりは、ノルウェーの作家トム・エーガランが、彼自身のフェイスブックに少女の写真を戦争の記録として掲載したところ、その写真が削除されてしまったことだ。

ノルウェーのアフテンポステン紙は、9月8日、削除したフェイスブックの編集長マーク・ザッカバーグに「表現の自由の侵害であり、編集権の濫用だ」と激しい抗議をした。それを同紙のフェイスブックと新聞紙上に載せた。削除された写真のコピーも載せた。このフェイスブックの記事は、削除された。

このアフテンポステン紙のジャーナリスト魂に、多くのノルウェー人が反応したと思われるが、そのノルウェー人のなかに首相もいた。彼女は問題の写真を載せて、フェイスブックの検閲に対する批判を投稿した。それも削除された。

ノルウェーの政治家はフェイスブックなどソーシャルメディアを利用する政治家が多いが、エルナ・ソルベルグ首相(保守党)も、自身のフェイスブックに気軽に投稿する。彼女の投稿は、アフテンポステン紙が抗議した翌日だった。

つづいてノルウェー・ジャーナリズム協会も、協会の新聞Journalisten のフェイスブックに、その写真を載せた。また、それも削除された。同紙編集長は、他のメディアに向かって、写真のシェアを依頼した。「これはヌードではない。表現の自由、歴史、戦争なのだ」と。

さらに、ノルウェー紙 「ダグサヴィーセンDagsavisen」は、写真の本人キム・フックに直接取材を試みた。同紙によると、キム・フックは、戦争被害の子どもたちを救援する「キム財団」を通じて、こんなふうにコメントを寄せた。

「力強いメッセージを持つ歴史的写真です。
それを、ヌードであると見る人に悲しみを覚えます。
写真を見るのはつらいですが、歴史の重要な一瞬なのです。
写真家ニック・ウトによる、この報道写真は、無実の犠牲者
にあたえる戦争の恐ろしさを示す真実の瞬間をとらえており、
強く支持します」

当事者の少女キム・フックに直接、取材してくれたおかげで、彼女があの写真の持つ意義をしっかりとらえていると知った。53歳となった彼女が、カナダに移住し、反戦運動家として活躍していることもわかった。とてもうれしかった。

今回、フェイスブックを検閲撤回に動かしたのは、ノルウェー側の、官民あわせてのすばやい連帯の力にあった、と私は思う。

The girl in the picture saddened by Facebook's focus on nudity
Facebook backs down from 'napalm girl' censorship and reinstates photo
ポルノか歴史的報道写真か
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by bekokuma321 | 2016-09-11 03:46 | ノルウェー

c0166264_2203757.jpgノルウェーの主要紙「アフテンポステン」は、フェイスブックに対して、「そのような検閲に組することはできない。報道の自由の侵害である」と、公開書簡を送った。

ベトナム戦争で、ナパーム弾爆撃を受けて逃げまどう人たちにまじって、裸のまま泣き叫びながら逃げる少女。覚えている人も多いだろうが、その写真は、世界に流されて反戦運動のシンボルにもなった。

最近、その写真を載せた記事が「アフテンポステン」に掲載され、それが、同紙のフェイスブックにも掲載された。

フェイスブックは、全裸の少女や女性の画像は載せられないとして、アフテンポステンに削除を要求するメールを送ってきた。

アフテンポステンによると、そのメールの24時間後、アフテンポステンからフェイスブックに返事をする前に、当該フェイスブックは削除された。ノルウェー首相のフェイスブックに対する批判的投稿まで削除された。

アフテンポステン側は、「フェイスブックは、ポルノグラフィーと歴史的報道写真を区別できないのか」と激しく批判。「これは深刻である。フェイスブックは巨大なメディアであり、その編集権を持つあなたMark Zuckerbergは、権力の乱用をしている」とする警告文を英語とノルウェー語で送った。その抗議文を同紙が公開。それが大きな議論を呼んでいる。

さて、当時9歳だった少女の名はキム・フック。皮膚の移植手術を数え切れないほどしたという。現在、2人の子どもの母となったキム・フックは、カナダ在住。「キム財団」を創設。戦争被害となった子どもの救済を中心に、世界で反戦活動をしている。財団ホームページを見たら、あの有名な写真もクレデット代を支払うと使用できるようになっている。

さあ、フェイスブックは、どう応えてくるか。

Dear Mark. I am writing this to inform you that I shall not comply with your requirement to remove this picture.
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by bekokuma321 | 2016-09-09 22:01 | ノルウェー