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反逆する聖なる女性器

c0166264_20284849.jpgスペインからのニュース。

スペインで、3人の女性が、女性器を形どったオブジェを担いでデモ行進したとして告訴された。

報道によると、昨年5月1日のメーデーのときと、4月に女性労働者の解雇に反対するデモで、主催した労働組合の承諾を得て、女性たちがデモ行進をしたとされる。

3人は、セルビアの女性団体所属で、「反逆する聖なる女性器」(FEM-NEWS訳)と呼ばれるデモ行進をして、宗教的感情を侮辱したというもの。

訴えたのは、キリスト教法律家協会だという。来年2月、女性たちはセルビアの法廷で陳述する予定だとか。

Youtubeによると、女たちのデモは、セマナ・サンタと呼ばれるスペインのイースターでの祭りに似せたもの。セマナ・サンタは、キリスト像とマリア像が、日本の山車のような大きな台に飾られ、信者が担いで、大聖堂まで街を練り歩く宗教的なお祭りだ。

女性器のオブジェは、そのマリア像に似せた形につくられた巨大なもの。「聖マリア」ならぬ「聖ヴァギナ」だ。デモ隊には、プッシー・ライオッツのような目だけを出したフードをかぶっている女性もいる。これも、ヤマナ・サンタの際、アメリカの人種主義団体KKKがかぶるような、目だけあいたフードをかぶって行進する人たちとそっくりだから愉快だ。

この「反逆する聖なる女性器」のデモ行進は、セルビアだけではない。ネットを検索すると、2013年3月8日の国際女性デーに、やはりスペインのマラガで、女たちは、「反逆する聖なる女性器」をかついで、デモ行進をしていた。目的は、妊娠中絶の権利の保障、女性への暴力根絶や学校の中の性による分離への反対。ごくごくまっとうな主張だ。

Youtubeで、いくつものバージョンが見られるが、通行人の多くは、ほほ笑んでいる。

スペインの女たちのアイデアは、なんとも並外れている。日本の女たちも、このくらい“度をこしたアイデア”で大空に向かって訴えないとダメではないか。

La juez ordena identificar a las feministas que sacaron en procesión el ‘Santísimo Coño Insumiso’
Imputadas las tres feministas que procesionaron el ‘Santísimo Coño Insumiso’ en Sevilla
Imputan a tres mujeres por sacar una gran vagina en procesión
Hermandad del Santo Coño Insumiso(Youtube)
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『週刊金曜日』、ろくでなし子さんと北原みのりさんの逮捕に抗議
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by bekokuma321 | 2015-12-04 20:29 | ヨーロッパ

11月7日、イタリア映画「むかしMattoの町があった」(*)を観ました。

「Mattoの町」とは精神病院の事。そこは、「自由はく奪、管理、隷属、抑圧」の集合で、治療の場では全くありませんでした。

1978年イタリア中の精神病院を廃止する新しい精神保健法(180号法)が、国会でほぼ全会一致で成立。精神保健改革の父、バザーリア医師の名で、バザーリア法とも呼ばれています。比べて日本の精神病院主義の構造は変わっていません。しかし、この映画の見事な表現力は、日本人をも変える力があると思いました。

精神医学界の第一人者金子準二精神科医(1890-1979)の言葉が、映画の後のトークで講師三井マリ子さんより紹介されました。三井さんは国会図書館で、「日本精神病院協会」創設者の1人、「東京精神病院協会」2代理事長である、金子準二の本を読んで見つけたそうです。彼は、著書でこう書いています。

「この種解放的婦人の精神状態については、幾多の意見もあるが、そのうちに幾割かの精神病的素質濃厚の婦人が混在していることには、精神病学者間に異論のないところである。ある学者は『解放的婦人は時代の産物であって、精神病的変質徴候である。』と評価しているのである。」(『現代犯罪の精神病学的研究』)

「現代の女権拡張論にも性欲異常と共存する精神病的素質に発した病的症状があり、犯罪精神病学的に、一種の偏執病と診断せざるを得ないものがあろう。」(同上)

「ヒステリーは男には女より少なくて、男1人に対して女5人の割合であるとの統計があるのであります。何れに致しましても、ヒステリーも精神異常でありますから犯罪とは常に深い関係があります。」(『女性と犯罪』)

これでは、フェミニストは異常で犯罪者になり得る素質があるかのようです。精神科医は、自分の理解を超える者に異常のレッテルを貼り格子付きの病室に閉じ込め本物の心の病人にすることが可能です。金子医師の論理でいくと、フェミニストである三井さんも私も精神病院に閉じ込められそうです。

フェミニズムを生きた女たちは、今も各界で活躍しているのは誰もがよく知ることです。男権拡張論者は、英雄色を好むと称賛されます。一方、金子医師によると、女権拡張論者は、精神病質者で偏執病とされてしまうのでしょうか。これこそ女性差別そのものです。しかも恐ろしいことに金子準二医師は、今も日本の精神医学界に強い影響を与えているらしいことです。

一般社会に目を移してみると、女性解放運動家を精神病だと言わないまでも、毛嫌いする傾向は依然として存在しています。

日本の男女平等度は145カ国中101位です。先進国で最下位です。女性の能力を生かすことは平和にも通じます。物事の決定権者に女性の割合を増すクオータ制度を進めていくことが必要ですが、女性の解放を否定的にとらえる人が減らない限り道は遠いのではないでしょうか。

立花 トシ子(クオータ制度研究会)

c0166264_956957.jpg (*)イタリア語Mattoは狂気を持つ人、Mattoの町は精神病院。イタリアは精神病院を廃止した。革命とも称される精神病院解体。そこに至るまでをドラマにしたイタリア映画。NHKにあたる公共テレビRAIで放映され、21%の高視聴率をあげた。今、世界中で自主上映されている。

上記映画会は、11月7日、八王子勤労者福祉会館が「女たち、女親の視点から」見ようと企画した。主催者によると、「三井マリ子さんは、バザーリア法を日本に紹介した大熊一夫さんと2010年4月、英語版の本映画を見て、日本上映のきっかけをつくった。誰にも感動と勇気を与えるこの作品を、女性の視点から見て、当事者のかかえる問題と社会の課題を考える」(上映会チラシ)。


映画「むかしMattoの町があった」を女性の視点で見て
映画「むかしMattoの町があった」と女たち
バザーリア映画を上映する180人のMattoの会
映画「むかしMattoの町があった」
精神病棟を使わずにクライシスに対峙するには
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by bekokuma321 | 2015-12-04 13:46 | ヨーロッパ

「パリのすべての若い人たちに訴えます。
パリで生まれようとまたはパリ以外で生まれようと、
パリにずっと住んでいようと短期間であろうと、
何を信じていようと、どんな階級であろうと、
今、パリにいる若ものたちに訴えます。

すべてのみなさんを、私は支援したい
とりわけ、友人や同僚や近親者を失ってしまった人たちを支援したいのです。
あなたは1人ではありません。パリのひとたちはあなたと共にあります。
何にもまして、あなたがたを誇りに思っていると伝えたいのです。
心配でいっぱいのはずです、心配でないはずはありません。
それでも、断固たる態度で、何よりも立ち上がっています。

あなたがあなたであること、
あなたの愛するもの、
あなたの仕事をあきらめてはなりません。
自分の旅路を、自分の見つけたことを、
好奇心いっぱいに、人には寛容で、生意気に、反抗的に、断固続けてください。
これがあなたたちに送ることばです。

パリをおおっている恐怖は当然ながら安全策を必要とします。
でも、この安全策は、あなたを拘束したり制限したりするものではありません。
コミュニティに自由と生活をとりもどすためのものです。」

c0166264_0511070.jpg11月26日、パリ市長のアンヌ・イダルゴが若者たちに向けて訴えたビデオ・メッセージだ。

テロの手に落ちた130人の命を追悼しつつ、
「生意気に、反抗的に」自分自身の夢を追い続けてほしい、と訴えている。

彼女は、パリで初めての女性の市長。しかも移民だ。

フランコの弾圧から逃れる両親に連れられて、スペインのサン・フェルナンドからやってきた。2歳だった。最初の夫との間に娘と息子1人ずつ、2番目の夫との間に13歳の息子がいる。

在日韓国女性が東京都知事になったようなもの。日本にその日がいつか来ることを祈りながら、彼女の感動的スピーチを和訳してみた。

La Maire de Paris s'adresse à la jeunesse parisienne
パリのテロから考えたこと
21世紀のマリアンヌ
パリ市長に移民女性か
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by bekokuma321 | 2015-12-04 00:57 | ヨーロッパ

11月7日、私は、友人に誘われて、映画「むかしMattoの町があった」(*)を見ました。本当に良質の人間ドラマで、リアリティがあり、随所で号泣させられました。

おそらく誰にもmatto(狂気・狂人的)な部分はあるのです。時代や境遇によって“常識”は変化します。その常識から外れすぎたことが、精神病院への収容につながり、そこでは、人として当然の権利が奪われてしまうことも出てきます。

その不条理さを自分のこととしてとらえることができるか、そうでないかは、人によって分かれるところだと思います。できることなら精神病院という人権侵害システムを見て見ぬふりをしたいと思う、これもまた人間の正直な気持ちかもしれません。

しかし映画冒頭に伏線として描かれているように、己のmattoな部分を知っているフランコ・バザーリアとフランカ・バザーリアは、見て見ぬふりをしなかった。社会構造と闘った。精神病院に収容されている患者たちの人権のためでもあるけれど、自分たちのためだったかもしれません。

“誰か”を救うことは自分自身を救うことだと思ったからこそ、人権侵害システムを変える闘いに挑み続けることができたのだと、私は思います。

映画の中で、人間性を取り戻し、バザーリア医師のスタッフに加わった看護師ニーヴェスは、子どもたちと別れて住むという辛い選択を取らせられました。しかしその後、元患者のマルゲリータと女性同士で支え合って生きていこうとする場面には救われました。たくさん泣いたけれど、笑えたりほっとしたりする場面もたくさんありました。

人として憐れむべきは、看護師ニーヴェスの覚悟を理解できない夫であり、苦痛も感じずに精神病院の看守役をしていた医師や看護師たちではないかと思います。

さらに言えば、あの時代の精神病院に収容されていた患者の多くが精神的にも経済的にも第2次世界大戦の影響を受けていたことを考えると、まず今、この平和を守り続けていくための努力は決して惜しんではならないと改めて思うのです。

映画が終わって、三井マリ子さんと当事者の家族会の大石真弥さんがトークをしました。日本の精神病院の生々しい現状が語られ、それを「知ってしまった」責任を感じました。困難の只中におられる精神疾患の当事者の方、ご家族の方々に心からエールを送ります。

浅井 紀子(社会福祉士、クオータ制度研究会)


c0166264_956957.jpg (*)イタリア語Mattoは狂気を持つ人、Mattoの町は精神病院。イタリアは精神病院を廃止した。革命とも称される精神病院解体。そこに至るまでをドラマにしたイタリア映画。NHKにあたる公共テレビRAIで放映され、21%の高視聴率をあげた。今、世界中で自主上映されている。

上記映画会は、11月7日、八王子勤労者福祉会館が「女たち、女親の視点から」見ようと企画した。主催者によると、「三井マリ子さんは、バザーリア法を日本に紹介した大熊一夫さんと2010年4月、英語版の本映画を見て、日本上映のきっかけをつくった。誰にも感動と勇気を与えるこの作品を、女性の視点から見て、当事者のかかえる問題と社会の課題を考える」(上映会チラシ)。



映画「むかしMattoの町があった」と女たち
バザーリア映画を上映する180人のMattoの会
映画「むかしMattoの町があった」
精神病棟を使わずにクライシスに対峙するには
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by bekokuma321 | 2015-11-19 15:20 | ヨーロッパ

このフランスのポスターは、我が家の階段の上部に飾られ、玄関に入って来た人を見すえている。パリで10年ほど前、入手した。

ポスターは、私に、同時多発テロの底に流れる、ある現実を教えているような気がしてならない。

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昂然( こうぜん) と顔を上げて、女たちは発言する―― 「私たちは、娼婦でも女中でもない」。ショッキングピンクで書かれたフランス語は言っている。

なんという言葉の力よ。Putes は娼婦。Soumisesは召使、転じて主婦という意味にも使われる。この「娼婦か主婦か」は、その昔、女性の立場を表すフランスの決まり文句だった。

ポスターからこちらを見すえている女性たちは、アラブ系、アフリカ系と思われる。かつてフランスが支配していた国々から、移民としてやってきたか、または移民の家庭に生まれ育ったフランス人だろう。彼女たちの多くは、清掃、ウエイトレスなど、フランス人が敬遠する低賃金で不安定な単純労働に従事している。フランス社会を支えているのは、こういう人たちだ。

ポスターは2001年に作られた。制作者は「女性ゲットーに反対し平等を求める女性の行進」という女性解放運動団体だ。女性ゲットーとは、女性が圧倒的に多い職場をさす。

この団体は、男性中心の文化や固定観念を否定し、個性あふれるひとりの人間としてフランスに生きる移民女性を世に出そう、と運動している。

彼女たちは、自由・平等・博愛の国フランスに生まれ育った。まぎれもないフランス人だ。しかし働く場は冷たい。白人とは異なる差別に泣かされる。そんな仕事を終えて、疲れた体を引きずりながら帰宅する彼女を待っているのは、移民1世の父親が投げつける「お前はこうあるべきだ」という罵声だ。

しかし彼女たちは負けてはいない。銃ではなく言葉でファイトバックするーー大空に向かって、「私たちは娼婦でも女中でもない、フランス人だ」と。

パリに生きるイスラム系男性には、イスラム系女性とは異なった疎外感や屈辱感(男らしさの呪縛ゆえの)があるのだろう。私の小さな想像力など及ぶべくもない。

でも、彼らに必要なのは、ポスタ―に見る女たちのような言葉による闘いだ、と思う。


叫ぶ芸術「ポスターに見る世界の女たち」ー娼婦でも女中でもない!(フランス)(ずっと下のほうにあります)
21世紀のマリアンヌ
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by bekokuma321 | 2015-11-15 20:00 | ヨーロッパ

観たい、観たいと思っていた映画「むかしMattoの町があった」(*)をやっと観る機会を得た。

観終わった後、胸に湧き上がった思いは複雑だった。観られてよかったという思いの一方、事実を知った重み、そして主人公たちが抱える課題は、日本の現状とも重なり胸が締め付けられた。

この映画には複数の人生が描かれている。精神科医のフランコ・バザーリアと、妻であるフランカ・バザーリア、当事者のマルゲリータとボリス、そして看護師のニーヴェス。フランコの精神病院改革運動に、それぞれの人生が絡み合って映画は進んでいく。

私には看護師ニーヴェスの生き方がとても印象に残った。他の看護師と同じように従来の拘束・投薬・電気ショックなどの精神病治療を踏襲していた彼女が、院長となったフランコの進める改革による患者の変化を目の当たりにして徐々に目覚めていく。

目覚めた彼女が立ち上がって自分の感じことを堂々と述べる姿は本当に凛々しい。一度は夫の助言にしたがってフランコを裏切った彼女だが、再びフランコと働くことを決意、夫の元を離れ子どもを連れてやってくる。仕事にやりがいを感じて打ち込む彼女に、家庭に注ぐ時間は多くない。夫は法律を後ろ盾にして子どもを奪い取る。彼女が女性でなかったら、そんなことにはならなかっただろう。やるせなさとともに憤りを感じた。

マルゲリータも、そしてその母も、女性であるが故に引き受けなくてはいけない苛酷な人生があった。娘を「悪魔の子」として精神病院に入れる母親、病院内に監禁される若い娘。なぜ、そこまで辛い人生になってしまったのだろうと涙がこぼれてとまらなかった。

私たちは、なにかというと、すぐに分けたがる。女と男、健常者と障がい者、大人と子ども…。でも、もっとシンプルな同じ人間だということを忘れがちではないだろうか。

精神病院を出て労働者として働き出した元患者たちが「同一労働、同一賃金」を要求するシーンがあった。同じ働きをしたら同じ賃金を支払う。その仕事を誰がしたかは関係ないはずだ。男性と同じ仕事をしても女性であるだけで低賃金である場合が多いことを知っている私には、障がい者の叫びが痛いほどわかった。生きにくさをつくり出しているものの1つに、「区別」があるのではないかと強く感じた。

障がいは、社会環境・制度がつくり出しているものだと聞いたことがある。映画にもあったが、自分の感情や基準を超えた経験が不安や恐怖を生みだし、通常とは異なった言動に走ってしまった人たちが、施策や法律によって精神病院に隔離・拘束される。そこでさらなる不幸を生み出している。

この映画を観たことが終わりでないと思っている。障がいとはいったい何で、人がその人らしく生きるということは、どういうことかという根源的な課題を、改めて突き付けられた。

2015年11月10日

岩嶋 寿子 (女性と障がい者の生き方・働き方を支援するキャリア・アドバイザー)


c0166264_956957.jpg (*)イタリア語Mattoは狂気を持つ人、Mattoの町は精神病院を意味する。イタリアは精神病院を廃止した。革命とも称される精神病院解体。そこに至るまでの経緯をドラマにしたイタリア映画。NHKにあたる公共テレビRAIでイタリア全土に放映され、21%の高視聴率をあげた。今、世界中で自主上映されている。

上記映画会は、11月7日、八王子勤労者福祉会館によって「女たち、女親の視点から」見ようと企画された。主催者によると、「三井マリ子さんは、バザーリア法を日本に紹介した大熊一夫さんと2010年4月、英語版の本映画を見て、日本上映のきっかけをつくった。誰にも感動と勇気を与えるこの作品を、女性の視点から見て、当事者のかかえる問題と社会の課題を考える」(上映会チラシ)。



バザーリア映画を上映する180人のMattoの会
映画「むかしMattoの町があった」
精神病棟を使わずにクライシスに対峙するには
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by bekokuma321 | 2015-11-14 10:17 | ヨーロッパ

c0166264_23132198.jpg「タンポンに税金をかけるな」

「私の子宮に税金をかけるな」

「私の血が流れる、そのたびに国がうるおう」

「重税なしに血を流したい」

報道によると、11月11月(水)、パリのド真ん中で、こんな抗議のプラカードが何枚も大空を舞った。プラカードだけでない。トップに赤いペンキがぬられたサンドバッグのようなドでかいタンポンを立てたり、血で染まったように塗られたパンティをズラリとものほしロープにほしたり・・・。

フランスでは、タンポンや他の生理用品に20%の消費税がかけられていた。先月、国会に、5.5%引き下げる改正案が出されたものの、それが否決されてしまった。それに怒った女たちによる、アイデアあふれる抗議。

女性たちの多くは薄給だ。タンポンは女性の必需品。これ以上、国から金をしぼりとれるのは御免。わかるなぁ!

【写真:Youtubeで放映されるデモンストレーション「血を流そう」より。動画の接写】

Taxe tampon : «Laissez-nous saigner sans nous surtaxer»
'I bleed, the state wins': Paris tampon tax protest
Laissez-moi saigner (Monday, Tuesday)
フランスの政党交付金は男女平等化資金に
政治は男のものではない
フランス、新しい男女平等法へ
仏、「歴史上の偉人に女性を増やせ」
フランス、性差別賃金会社に罰金刑
フランス「パリテ内閣」、「女性の権利省」誕生
21世紀のフランス革命
フランス議会は男女半々(パリテ)へ
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by bekokuma321 | 2015-11-13 23:17 | ヨーロッパ

イタリアは、精神病院をなくした。では、心の病を持っているひとはどうしているか。地域の多様な人たちによるサポートの力でケアするシステムをつくった。

先日、そのイタリアの実践と哲学を学ぶ機会があった。

「精神病院は、トータルな人間を“患者”というレッテルをはって、その役割に閉じ込めてしまう。精神病院があるから、ドアがあり、カギがあり、規則があり、管理がある」

「精神科医は、さまざまな職種の人やボランティアで行う共同作業チームのマネージャーであり、チームリーダー。スタッフに権限移譲をするが、リスクは背負う」

「基本は、その人の疾患を治すことではない、その人の人生を取り戻すことをサポートすること」

「サービス利用者は、一般市民であり、権利を持つ主体者である。職員はそれを尊重する」

これは、イタリアのトリエステ精神保健局長のロベルト・メッツィ―ナ医師の言葉である。通訳は松嶋健広島大学準教授。

ロベルト・メッツィ―ナは、イタリアのトリエステ精神保健局長。10月31日、11月1日の2日間、東大駒場キャンパスで、「地域派の精神科医を育てるセミナー『トリエステ精神保健局長と日本の精神科医との対話』」で基調講演をした。テーマは精神病棟を使わずにクライシスに対峙する道をどう見つけるか。

彼は2009年からWHO調査研修協働センター長として、世界中の「精神病院の脱施設化」と「精神病院に代わる地域密着型サービスの発展」を支援している。

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初日は「トリエステの“隔離・拘束”をしない地域精神保健システム」。2日目は「地域派の精神科医の育成方法」。どちらも、フランコ・バザーリアの思想と実践を引きついだトリエステ精神保健の経験に基づいての話だった。心ふるえる中身だった。

「精神病のクライシスは危機。管理しなくては、治さなくては」から、「クライシスは好機。循環型の、らせん運動のはじまり」。精神保健局の使命は、「偏見、差別、排除の撤廃に向けて、利用者の問題に対応する」。利用者が「~病」であるか否かは関係ない。その人のかかえている問題に対応し、社会から切り離されずに生きていけるよう支援をすること。

ピッツア・カウンセリング(注)あり、配管工をまきこむことあり、裁縫が得意な職員による繕い手助けあり、教区の神父の出番あり、市長や警察との対話あり・・・。地域に存在する多様なリソースを最大限使って、信頼できる関係性を築いていくことの重要性が伝えられた。

後半は、日本の精神科医やコメディカルスタッフからの発言を受けて、メッツィ―ナとの対話形式で進められた。

浜松の新居昭紀医師の発言は、すごい実践に基づいていた。おそらくトリエステに流れる精神もこうではないかと思った。

「保護室で、人ではない物を見てしまった。精神科医をやめたいと思った」。「閉じた箱ものに入れたら、そこに必ず管理が出てくる。精神病院は不要だ」「ゴミ巣窟に煙草くゆらす主婦は、発病5年。ゴミ掃除にひんぱんに行った。盗っ人と何度も言われたが、それでも続けた。彼女は治った」

新居医師の「盗っ人被害発言」に、メッツィ―ナは「実際、精神科医は盗っ人です。人間の主体性を盗んできた。利子をつけて返さなければいけない」とコメントしていた。新居医師の人となりや精神保健に関する考え方に関しては、大熊一夫との対談「精神病院依存主義からの脱却」に詳しい。

日本各地から参加した精神科医とコメディカルスタッフから女性医師2人の発言を紹介する。

福岡から参加した渡辺真理医師からは、精神病院勤務医だった頃の閉鎖病棟でのショック、患者さんからひっぱたかれた経験・・・。その後、精神病院を辞め、ちはやACTクリニックを開設。そこで訪問支援活動するようになって、調理を通じて心の支援を続けながら利用者の心に近づいてきた体験が語られた。

また札幌から参加した長谷川直美医師は、刑務所での精神科診療と、街で営む「ほっとステーション 大通公園メンタルクリニック」の2つの異なる実体験からの衝撃的な話だった。殺人や暴行をした「危険人物」というラベルを貼られた人が、関わり方が変わることで、別の人間性が現れて、別の人生を歩むこともできる。それを証明するかのような話だった。

イタリアとそん色ない取り組みが日本でも行われている。素人の私は、ついうれしくなった。しかしながら、全体としては、まだまだ少数。参加した医師の中にも、精神病院は必要だと考えている人がいたことには驚かされた。

日本は、「身体拘束が90%増えたという、この実態をどう変えるかが問われている」(有我譲慶)。

一方、イタリアの精神病院廃絶の立役者バザーリアを日本に紹介して、日本の精神病院をなくそうとがんばる大熊一夫から、誰の発言かとは言わずに、こんなイタリア批判が読み上げられた。

「欧米の脱施設化は、精神科医療に対する国の財政的困窮の結果といった側面と、イタリアに見られるような政治運動の一環として行われたという両面性を持っています。イタリアにおける脱施設化は30年かけて完了しましたが、現在、総合病院で15床程度の病室では十分な急性期対応ができず、入院を拒否されたり、デポ剤による過鎮静にして在宅で看させられるために、家族の負担は増大しています。」

メッツィ―ナは笑いながら、「イタリアには、『嘘は足が短い』‐‐‐英語ではLies have short legs‐‐‐ということわざがあります。虚言はすぐにばれるということです」とかわした。

イタリアの精神保健を憎々しげに言った人物は、「日本精神科病院協会」の代表。安倍首相のお友だちだ。

この2日間のレポートは、みわよしこさんのレポートを参照してください。みわさん、グラッツェ・タント! みわよしこライブレポート

(注)ピア・カウンシリングのミスではない。ピッツアリアに皆で食べに行って、熱々のピッツアを食べながらわいわいやることをさしているようだった。縛ったり、薬を与えたりという方法ではなく、日常生活と切り離さないすごしかたのひとつとして挙げたもの。ピッツア・セラピーとも言える。

映画「むかしMattoの町があった」
180 人のMatto の会(地域派の精神科医を育てるセミナー『トリエステ精神保健局長と日本の精神科医との対話』の主催者)
メッツィーナ医師 / 病棟転換型居住系施設を批判 Roberto Mezzina
精神病院をやめたイタリアから・続き@横浜
マニコミオ(精神病院)をやめたイタリアから日本へのメッセージ
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by bekokuma321 | 2015-11-02 20:25 | ヨーロッパ

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2015年11月7日(土) 10時~  東京都八王子労政会館ホール

プログラム:   
10:00~  「むかしMattoの町があった」(字幕:日本語)1部
12:00~  休憩
13:00~  「むかしMattoの町があった」2部
15:00~  三井マリ子さんトーク
16:30    閉会 

資料代1000円  運営費500円

主催:一般財団法人 八王子勤労者福祉会館、バザーリア映画を自主上映する180人のMattoの会
協力:RAIフィクション、フランカ&フランコ・バザアーリア記念財団、トリエステ精神保健局
後援:イタリア大使館

申込み:
TEL・FAX・メールで一般財団法人 八王子勤労者福祉会館まで
TEL・FAX 042-628-4909 メールBCF02752@nifty.com

問合せ:
一般財団法人 八王子勤労者福祉会館
TEL・FAX・ 042-628-4909 メールBCF02752@nifty.com

主催者より:
イタリアは精神病院を廃止しました。その精神保健改革に至る初期の
20年を描いたイタリア映画です。イタリア語のMattoは狂気を持つ人、
Mattoの町は精神病院を意味します。

このTV映画は、制作者クラウディア・モーリという女性なしには誕生
しえませんでした。クラウディア・モーリは元女優で、1999年TV制作
会社「チャオ・ラガッジ!」を創設しました。映画は、イタリアの公共放
送ライと「チャオ・ラガッジ!」の共同制作です。クラウディア・モーリの
執念が、精神保健という複雑な問題をTV映画にしてお茶の間に届け
たのです。

誰にも感動と勇気を与えるこの作品を、特に女性の視点から見て、
当事者のかかえる問題と社会の課題を三井マリ子さんと考えます。

三井マリ子さん:
女性政策研究家。バザーリア法を日本に紹介した大熊一夫さんと
2010年4月、英語版の本映画を見て、日本上映のきっかけをつくりました。
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by bekokuma321 | 2015-10-17 18:26 | ヨーロッパ

「ノー・パサラン! ノー・パサラン!」

安保法案に反対する若者たちが口にした、「やつらを通すな!」という意味のスペイン語だ。

「ノー・パサラン」は、スペイン、フランス、イギリス、ニカラグア、コロンビア、コソボ、エストニア、ロシア、香港…世界を駆け巡って、圧政に反対する抵抗運動のスローガンとして使われ続けて、今に至っている。日本で使われ出したのは、安倍政権が台頭したころらしい。

この言葉を私に教えてくれたのは、パリの女性団体「ペネロぺ」だ。2003年夏、「ペネロぺ」で日本の女性運動についてスピーチしたお礼に頂戴したポスターに書いてあった(下)。

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「セクハラは、もうたくさん!」「嫌がらせも、もうたくさん!」「搾取も、もうたくさん!」「私たちは、自分たちの意志で、手に入れたいものを手に入れる」というフランス語が並ぶ。

私は、右下に描かれたイラストに目を奪われた。メスマークつき握りこぶしをつき出して「ノー・パサラン!」と叫んでいる。

「ノー・パサラン!」は、ポスターをつくった団体名でもあった。ファシズム、性差別、人種差別、資本主義などあらゆる差別と搾取に抵抗して、社会革命をめざす。1984年、極右の台頭をきっかけにトゥールーズ(注)で誕生した。本部はパリのボルテール通りにある。

このスペイン語を初めて政治的運動に使ったのは、スペインの女性政治家ドローレス・イバルリだ。

詳しくは、「叫ぶ芸術ーポスターに見る世界の女たち:やつらを通すな!」をどうぞ。


(注)トゥールーズはフランス南西部の都市でスペインに近い。フランコ独裁政権のころ、スペインからの亡命者が押し寄せた。スペイン共和国派の首都(capital of Spanish republican exile)と呼ぶ人もいる。トゥールーズのスペイン人たちは、第2次大戦中のレジスタンス運動に多大な影響を与えたという。今も、スペイン語があちこちに飛び交う、フランス国内有数のスペイン系フランス人社会。
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by bekokuma321 | 2015-10-12 17:48 | ヨーロッパ