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秋田魁新聞電子版の2016年9月20日付けニュースです。

民進党県連・松浦代表が辞任、政界引退を表明:7月の参院選に出馬し落選した民進党県連の松浦大悟代表(46)は20日、秋田県連代表を辞任し政界から引退することを表明した。後任は決まっておらず、当面は小原正晃幹事長が代表の職務を代行する」

県連とは民進党秋田県連で、代表は、松浦大悟さんです。松浦さんは参議院議員だった2012年当時、三井マリ子さんに衆議院議員に立候補するよう要請した人です。固辞していた三井さんですが、「盤石の体制で支援する」との2か月にわたる要請を受け、ついに落選覚悟で秋田移住・立候補しました。

12月の衆院選後、三井さんは、衆院選にかかわって、松浦大悟議員秘書と秋田県連幹部らの2つの「不法行為」、さらには秋田県連代表らの”不適切な言動”(秋田地裁)に向き合いました。

「不法行為」のほうは検察に送検されましたが、1つは不起訴、もう1つは起訴猶予でした。そして"不適切な言動”のほうは、昨年11月、松浦被告側が詫びたことにより和解となりました。詳しくは「和解が成立しました」に掲載されています。

c0166264_10381458.jpgさきの7月参院選では、東北6県で野党共闘が成立して、秋田(松浦大悟候補)を除く東北5県で、野党統一候補が勝利しました。それに関しては、拙文「民進党代表選と『参院選東北5県の野党勝利』」 をご覧ください。

以上、ご報告でした。

岡田 ふさこ(さみどりの会* 事務局)

参院選2016 みちのくの民意 
党として説明責任がある「秋田政党交付金裁判」
連載「衆院秋田3区の政党交付金」_さみどりの会
和解調書と裁判長の真意
女であったゆえに踏みつけられた名誉と尊厳
基金に移されていた政党交付金の国庫返還
三井マリ子VS松浦大悟裁判 傍聴記

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-09-21 14:39 | 秋田

富山市議会で、自民と民進の議員7人が領収書を偽造して、公費を横領着服していたという。

よくある手口らしいと知ったのは2012年衆院選の後。私の選対の幹部になっていた人が、ポスター張り作業を依頼していないにもかかわらず、依頼したことにして、偽の領収書を作ってはその分の政党交付金を自分のポケットに入れていた。わかっただけで25枚あった。悪質な犯罪だったが、書類送検されたものの起訴猶予だった。

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「政治とカネ」のスキャンダルは底なしだ。兵庫の野々村県議事件、猪瀬都知事事件、甘利大臣事件、小渕優子事件、日歯連事件、舛添都知事事件・・・。

その昔、後藤新平という政治家がいた。政治腐敗をなくさなくては、と日本で初めて運動したのは、彼だという。政治腐敗をなくすことを「政治の倫理化」と名づけて、こんなふうにいっている。

「政治の根本精神は“社会民衆の福祉のために奉仕することである”という観念が、満天下の信念とならなければ、真実なる政治は興らない。”政治は力にあらず、奉仕なり”との観念に基づいて行動せよ、ということが、政治の倫理化の根本精神である」(阪上順夫『現代選挙制度論』1990)

そして、「永く同一職業に携わる者は、因襲の捕虜となる」から、「天下無名の青年よ起て」「諸君の奮起によりてのみ、新日本の再生は期待せられるるのである」と言った(同上)。

後藤新平が政治浄化を若い無名男性に賭けたのは、女性参政権のなかった戦前だから、当然だろう。そのころ女性先覚者たちは、新婦人協会、無産婦人同盟、矯風会、婦人参政権獲得同盟などを組織化して、女性参政権を求めて、東西奔走していた。

市川房枝らとともに女性参政権運動をひっぱったのは、矯風会の久布白落実である。彼女は、大阪の遊郭設置反対運動に破れた後、「法治国家において参政権は、唯一の弾丸であり、武器である」と女性参政権獲得を高々と掲げるようになった(久布白落実『廃娼ひとすじ』1973)。
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女性解放をめざす久布白落実は、ある年は世界をかけめぐり、またある年は日本全国を講演して回った。彼女の講演に衝撃を受けたひとりが秋田の和崎ハルだった(グレゴリー・M・フルーグフェルター著『政治と台所』1986)。

和崎ハルは、1920年代から、秋田の政治腐敗に怒り、たびたび新聞雑誌に投稿した。1929年「秋田婦人連盟」を創設して、政治教育講演会のみならず、選挙の買収防止運動を展開。翌1930年「婦選獲得同盟秋田支部」を創設して代表。八面六臂の活躍だった。戦後(70年前)、初の衆議院議員に立候補・当選した

前述の『政治と台所』には、次のような和崎ハルの投稿が紹介されている。

「(女子公民権の付与は)選挙の浄化に取って最も力あるものと信じて疑わない」

「(選挙応援をして、1票3円の買収のならわしを聞いたり、対立候補側の警察署長から不当監禁されて自殺をはかった知人が出た)その時実に選挙界の腐敗いろいろな不浄なことを知った私は、一大決心をなし一国の政治は決して男子のみが専任すべきものではない断然女も参与しなくてはならない。政界の廓清には我々女性が起つべきだと深く胸を刺した」

「我々女性が権利を要求するのは実に誤った基礎の上に樹てられて居る今日の政治を、根本的建直し一部特権階級の手にのみ委ねられて居る政治の改善を図りたいからである」

約100年たった今でも、説得力をもっている。

女性だから皆「政治とカネ」にきれいだとはいえないのは、男性にも後藤新平のような政治家がいるのと同じだ。とはいえ、女性は概して、男性同士でつくりあげてきた村社会の掟になじんでないだけ、その掟に染まりにくい。現議員や元議員の女友だちの体験話から、おおかた間違ってないと思われる。

富山市議会は、40人のうち女性議員は2人(共産と公明)、わずか5%しかいない。富山市民の怒りが女性議員増につながってほしい。

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【写真上:2012年三井選挙に使われた偽造領収書(出典「衆院秋田の政党交付金~25枚の領収書」)。 中:秋田市内にある和崎ハル石碑(亀田純子撮影)、下:女性参政権行使70周年の記念はがき。画像は女性参政権を求めて1932年秋田市で開かれた「東北婦選大会」】
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by bekokuma321 | 2016-09-16 16:56 | 秋田

「和崎女史が最高点」

戦後初の衆院選は、ちょうど70年前、1946年に行われた。秋田県は、和崎ハルがぶっちぎりのトップ当選だった。

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上は、友人が送ってくれた当時の新聞記事だ。まじまじと見て、あらためて、その歴史的快挙に感動した。41人の立候補者がいて、うち当選者は8人。すごい競争率だ。その先頭に「100247 和崎ハル(中立新)」とある。彼女の後に7人の当選者が並び、落選者がズラーッと続く。和崎ハル以外は全て男性だ。

「連記制」だったから、といわれている。阪上順夫『現代選挙制度論』(政治広報センター、1990)にはこうある。

「1946年4月10日総選挙では、85%の新人議員と39人の婦人議員を生み出したが、これには連記制が有利に働いた。特に初めて選挙権を行使した女性が、1票はとにかく、同性へと必然的に意識して投票したと考えられ(アベック投票と呼ばれた)、候補者や政党が乱立したことから、保守と革新に振り分けた分裂異党派投票も多かった」

70年前の日本の選挙は、大選挙区制。しかも投票者は、何人かの候補者名を書くことができた。そのため、投票用紙に男女の名前を書く人が多く、「アベック投票」と呼ばれた。これって、2015年3月、世界をあっといわせたフランスの「ペア候補」とそっくり。

1946年の日本の「アベック投票」は、こんなふうに決められていた:

「東京都や大阪など、定数11名以上の選挙区は、3名。
定数4名以上、10名以下の選挙区は、2名。
定数3名以下の選挙区は、1名のみ(現在の投票と同じ)。」

定数4名が最小で、3名以下の選挙区はひとつもなかったというから、すべての人が、投票用紙に、2名か3名を書くことができたのだ。

c0166264_16371927.jpgなにしろ日本女性にとって、歴史上初の晴れがましいできごとだった。それまで女に生まれたというだけで投票に行けなかった。女学校教師(女性)が、「用務員の男性は投票できるのに、教員の私は投票できない」と、その理不尽さを嘆いた文を読んだことがある(注1)。そんな女性たちに待ちに待った参政権が付与されたのだ。女性たちの多くは、2人のうち1人、3人のうち1人は女性の名前を書いたに違いない。男性だってそうしただろう。

これが、多くの女性候補当選につながった。

ところで、女性参政権行使70周年の今年、小池都知事の誕生により、女性の政治参加が少し前に進んだように見える。しかし、日本全体では、政治分野はまだ男の牙城だ。何度でも言うが、日本の国会における女性割合は9.5%で、世界193カ国中、ボツワナと並ぶ157位である(第1院、2016年8月現在)。

こんな日本に、国連も黙ってはいない。国連女性差別撤廃委員会は、日本政府に、「政策決定への女性の少なさを解消するため、クオータ制など暫定的特別措置を実行せよ」と繰り返し勧告してきた。ごく最近も、レポートを出した。2016年3月7日だ。その委員会報告、19条、31条に明記されている(注2)。

まずは女性や少数派に絶対的に不利な選挙制度「小選挙区制」は改めるべきだ。比例枠を減らそうなんて言語道断だ。国連が提唱する「クオータ制」は、比例代表制でこそ効果が出る。

はるか70年前、「アベック投票」で女性をどっと当選させたではないか。やれないことはない。

女性差別撤廃委員会 日本政府報告書審査の総括所見(英語)
「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
ハルらんらん♪
比例区、またまた削減
「身を切る改革」どころか「民意を切る改革」
小選挙区制は女性の声を捨て去る


【注1】折井 美耶子編『女ひとりわが道を行く―福田勝の生涯』だと思う。
【注2】日本政府はなぜか半年たってもまだ和訳を公表してない。わたしなりに原文から訳した→
19条は「クオータ制など暫定的特別措置など必要な制度によって、実質的に男女平等を速攻で進めること、なかでも、少数民族、先住民、障がい者などマイノリティ女性の権利を確保すること」と勧告する。31条は、3つの具体策を提示する。
(1) クオータ法などの暫定的特別法によって、選挙や任命によるポジッション(議員や委員など)に、完全なる男女平等参加を促進すること  
(2)第3回、4回国内行動計画にある、2020年までに、立法府、内閣府、首長を含む行政府、法曹界、外交、学界などすべての分野において女性を30%にする目標に向かって、実効性のある具体策で確保する
(3)アイヌ民族、部落、在日韓国人など、障害者や少数派の女性が代表となれるような暫定的特別措置を含む、特別の対策をとること 
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by bekokuma321 | 2016-09-14 22:14 | 秋田

民進党代表選がもうじきだ。候補者が3人になったが、2人目に続き、3人目もまた、「野党共闘」の見直しを掲げている。「野党共闘」なしに、政権交代への道を歩めると考えているとしたら、とんでもない思いあがりだと私には思える。

「東北」を見よ。東北6県中、5県で「野党統一候補」が勝利した。「野党共闘」のたまものだった。

さて、この東北6県中、唯一野党統一候補が落選したのは、秋田県だった。当選を決めた他の5県同様、秋田も野党統一候補であったにも関わらず、である。

その千載一遇のチャンスを逃したのは、民進党の松浦大悟さんである。松浦さんは、2012年の衆院選で、三井マリ子さんを公認候補にと説得して、秋田にひっぱってきた民主党秋田(当時。今は民進党秋田)の代表だ。

彼は、三井さんの選挙対策組織の代表となって選挙をとり仕切った。選挙後、三井さんは、松浦代表らの言動や会計処理に不審を抱く。度重なる質問を書き送っても回答を得られなかったことから、三井さんは彼の秘書の刑事告発に至る。秘書は「書類送検」された。

その捜査過程で、松浦代表が懇意にする民主党秋田の幹部らが、ポスター貼り労賃を横領着服したことが判明した。こちらは、警察によって検察庁に書類送検された。この2件の刑事事件は、秋田で、たびたび大きく報道された。

同時に三井さんは、民事訴訟を起こした。被告は松浦大悟さんだ。結局、松浦被告は、三井さんに対して行った“不適切な言動”を詫びたことから、「和解」で終わった。

その和解書面で、裁判長は、「(三井原告が)不適切な対応を受けて人間としての尊厳を踏みにじられたと主張したことは理解できないものではない」と述べて、三井さんに寄り添った。「松浦被告側は、選挙収支報告書を見せなかった」「政党交付金が入金される口座について説明したとはいえない」などとも書かれていた。

民事裁判は3年続いた。三井さんを支援する秋田県民と、女性運動つながりの私たち県外支援者は、裁判の開廷日ごとに、秋田市の官庁街でチラシ配布を続けた。マスコミも記者会見に来てくれて、報道されない日はほぼなかった。

その被告席に座った松浦大悟さんを、何ごともなかったかのように早々と参院選の「公認」に決めたのが民進党である。公認されたことによって松浦さんには、国民の血税であるウン千万円もの政党交付金が投入され、党幹部が次々に応援にはいった。

では、民進党前参議院議員による「女性蔑視」と見なして闘ってきた私たちの、この闘いは、何の意味も持たなかったのか。

いや、既述したように、参院選の野党勝利は、“秋田を除く東北5県”だった。この結果は、私たちの微力な運動が、秋田県民のハートに何らかの影響を与えたことを示唆している。

三井さんと同時期に、東京で立候補した民主党公認候補がいる。太田順子さんという女性の新人候補だ。彼女のホームページには、「民進党に抗議します」とある。少し長いが、正確を期してそのまま引用する。

「太田順子の口座には5百1万100円がありましたが、通帳が戻ってきた際の残金は20万9千260円でした。太田順子後援会には900万100円ありましたが、戻ってきた際は、67万7千244円でした。私は戻ってきた通帳の残金から、選挙事務所の電話代、レンタル備品代、選挙カーの修理代、そして精査のための弁護士費用等を支払いました。」

「選挙後、次の選挙に使える私の手元に残ったものは、8万円のパソコンと安価なコピー機と、百円ショップの事務用品だけでした。もともと、私は別選挙区で出馬予定でしたが、党の方針により解散後に東京11区にまわされたため、選挙期間は実質1か月もない状態であり、1か月弱で1,400万円以上が消失する選挙はおかしいと思っております。」

これらを読むと、政党交付金について無知な新人女性をくどいて、公認候補にしたてあげて、その公認候補に出た政党交付金を自分たちに都合のいいように使ったり貯め込んだりしているのは、旧民主党・現民進党の全党的な体質なのか、と疑いたくもなる。

そうは思いたくないし、信頼できる民進党議員もいる。しかし、政党交付金という公金に群がるハイエナのごとくに見える男性議員らの振る舞いは、その疑いが表れた時点で、党として真正面から事実を調査して、猛省のうえ、対処すべきである。

誰が代表となったら、こうした党内の重大問題にメスを入れるようになるだろうか。そうした視点からも、民進党代表選挙を見守りたい。

岡田ふさ子(さみどりの会* 事務局)

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  ▲裁判報告会にて、近江直人弁護士(三井代理人)の解説を聞く記者や市民(秋田市内)


参院選2016 みちのくの民意 
党として説明責任がある「秋田政党交付金裁判」

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-09-07 10:07 | 秋田

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「女性参政権行使70周年」を記念する観劇・温泉ツアーを企画して、和崎ハルを描いたミュージカルを、秋田まで見に行った。

ツアーは7月28日。その前に、この記念すべき集まりに、何かお土産をと思案した。京都の友人に、秋田市で戦前行われた「東北普選大会」ーー女性にも参政権をという歴史的運動の集会ーーの写真を見せた。すると、国際女性デーの絵はがき作成を手がけてきたその友人は、「絵はがきをつくろう」と言い出した。

写真には和崎ハル、市川房枝、山高しげりがいる。

和崎ハルは、秋田から出た初の女性代議士だ。市川房枝は日本の女性参政権運動の先駆者で、長年参議院議員をつとめた。山高しげりも、女性参政権運動の指導者で、地婦連代表だった。

写真のうしろに私の走り書きがあって、20年ほど前、本郷郁さんという見知らぬかたからいただいたものだった。本郷さんに、「写真を絵はがきにしたい」と伝えたかったことと、キャプションへのヒントをいただきたかったため、居所を探しに探した。やっと横手出身で現在は東京在勤の息子さんまで行きついた。ところがお母様はだいぶ前に亡くなっていて、「母がこういう関係の活動をしていたことは全く知らなかった」とおっしゃった。

c0166264_235004.jpg次に、新宿の大久保にある矯風会の高橋喜久江さん(写真右、注)を訪ねた。嬌風会は、戦前から公娼廃止運動の中心を担い、今は慰安婦問題などにもとりくんでいる。

市川房枝・山高しげりがかかわっていた日本婦人参政権協会は、日本婦人矯風会から生まれたことを知っていたので、何か高橋さんからお話を聞けるだろうと思った。高橋さんは、久布白落実については思い出話をしてくださったが、山高しげりや秋田支部についてはあまり記憶がないようだった。

でも、高橋さんから見せていただいた文献によると、廃娼運動や女性参政権運動は、日本全国に支部をつくって代表者を決めての壮大な女性解放運動だった。そのなかで、秋田はいち早く公娼制廃止を実行した県のひとつだった。

酷暑の中、すまいのある長野と東京を往復した車中で読んだ文献から、いかに秋田の女性たちが戦前・戦中、女性解放運動に熱心だったかをあらためて学んだ。「女性差別をなくしたい→法制度が必要→女性を議会に」という思いは、1992年創設の全国フェミニスト議員連盟の初志とそっくりだった。

c0166264_23523582.jpgさて、左は和崎ハルについて、私が講演している瞬間である。本などから、和崎ハルの武勇伝を聞きかじっていた私は、講演のなかに、彼女のエピソードを入れることが多かった。和崎は、衆院選の最中、字の読めない書けない当時の女たちに「ハルのハはおじぎをするときの手の恰好で、ルはその右手をチョンとはねればいい」と訴えた、という。それを、私は身振り手振りで紹介した。1999年京都での講演だった。

その後、10年以上の月日が過ぎ、“2012年の衆院選”で、私は秋田3区の候補者となった。秋田の人たちを前に、和崎ハルを引きあいに出して、女性が政治に出てこそ女性が暮らしやすい秋田にできると訴えた。私の選挙は惨敗だった。政党交付金がらみで、奈落の底につき落とされるような経験もした。しかし、あの選挙がなかったら、私が和崎ハルに再び向き合うことはなかっただろう。

最後にもうひとつ。記念の絵はがき(写真最上)を作成したのは、実は、1999年京都で和崎ハルについて話す決定的瞬間(写真左上)を撮影した人、京都のフェミニスト・アーティストふじみつこだ。当の本人は、1999年のことをよく覚えていないようである・・・。

ハルらんらん♪
ノルウェー女性参政権100年から考える

【注:私は、1980年代末、女性の駆け込みセンター「女性の家HELP」に関心を持っていた。そのため当時、何度か高橋喜久江さんに面談した。高橋さんとの再会は2010年。高橋さんは、拙著『ノルウェーを変えた髭のノラ:男女平等社会はこうしてできた』の出版記念会に顔を見せてくださった。とはいえ高橋さん自身について取材したのは今夏が初めて。高橋さんは若いころ、矯風会本部の求人に応募して合格。久布白落実のもとで働き始めてから現在に至るまで、矯風会を拠点に売買春廃絶運動に全生涯をささげてきた。その師、久布白は、廃娼運動に命をかけただけでなく、市川房枝と並んで女性参政権運動をけん引した。今、高橋さんは「嬌風会の会長は退いていて、慈愛寮の理事長です」と、私に名刺をくださった】
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by bekokuma321 | 2016-09-07 00:11 | 秋田

ハルらんらん♪

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「すばらしい! 全国の中高生に見せたい」
「女性参政権の歴史がわかった」
「和崎ハルのたくましさに感動した」
「わかりにくい秋田弁もあったけど楽しかった」
「当時のように日本中に支部をつくって女性議員を増やさなくては」
「字も読めない書けない人がいた時代の運動はどれだけ大変だったか」
「口減らしのため売られた農家の少女たち。まだ残る貧しい国の人身売買に通じる」

ミュージカル「ハルらんらン♪ 和崎ハルでございます」を観たひとたちは口ぐちに言った。

遠くは京都、名古屋、函館、東京……近くは秋田、横手から20人が、7月28日、あきた芸術村のわらび劇場にかけつけた。「女性参政権行使70周年」を記念しての観劇・温泉ツアーだ。

c0166264_11304856.jpg70年前、戦後直後の1946年4月、日本全国で女性79人が衆院選に立候補して、39人もが当選した。

秋田では、女性解放運動家であり美容師・和崎ハル(無所属)が、41人中トップで選ばれた。文献によると、和崎ハルは、1885年、秋田市生まれ。結婚して秋田を離れるも、夫の死後、5人の子どもと姑を連れて、秋田に戻った。

ハルは美容院を開いて、生きて行く。髪ゆいや美顔マッサージをしながら、性を売ることを余儀なくされている女性たちの相談に乗るようになる。その体験から公娼廃止運動へ。

当時、東京の廃娼運動(公娼廃止運動のこと)の幹部たち(注)は、世界の動きに呼応して女性参政権を求めて活動していた。

秋田の和崎も、同志たちと「廃娼運動」に加え、「婦選運動」(女性の参政権運動のこと)に身を投じる。婦選獲得同盟秋田支部支部長となり、1932年、「東北婦選大会」を秋田市で開催。700人が集まった。市川房枝や山高しげりも招かれた。

1937年、息子のいる大阪に移った後、戦況が激しくなり、1944年、秋田県横手に戻った。そして敗戦。ポツダム宣言で、日本女性は、参政権を付与される。

和崎ハルは、1946年、戦後初の総選挙に、横手から立候補。その冬はまれにみる豪雪だったため、雪の残るなかの選挙運動だったらしい。14年前に「東北婦選大会」を成功に導いた和崎ハルを当選させようと、市川房枝は、寝食をともにしながら選挙運動を支えたという。

和崎ハルを含む女性代議士の居並ぶ第90回帝国議会。そこに上程されたのが「新憲法案」(11月3日公布)だった。

【写真上:ミュージカル観劇後、あきた芸術村わらび座劇場前で「女性の連帯!」とこぶしをあげる。舞台姿の登場人物もいっしょ。加島康博提供。写真中:「女性参政権行使70周年記念ツアー」を迎えるホテルの看板。加島康博撮影。写真下:市川房枝直筆の「和崎ハル」を顕彰する碑。秋田市金照寺山。亀田純子撮影】

c0166264_1142111.jpg和崎ハル:廃娼運動と婦選運動
女性参政権運動と秋田
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
参院選2016年と女性
ノルウェー女性参政権100年から考える
和崎ハル_1 武塙三山
和崎ハル_2 武塙三山
和崎ハル_3 武塙三山
和崎ハル_4 武塙三山
和崎ハル_5 武塙三山
普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
女性と選挙
2014衆院選 比例制に変えるしかない
参院選で女性躍進ならず

【注:1886年 世界キリスト教婦人矯風会の日本版として東京婦人矯風会発会(初代会頭矢島楫子)。1893年 日本婦人矯風会と改称(会頭矢島楫子)。1916年 公娼廃止を優先課題に。1917年 公娼廃止運動の挫折から婦人参政権運動を宣言。1920年 世界婦人参政権協会に出席(久布白落実)。1921年 全国常置員会にて日本婦人参政権協会設立。1930年 第1回全日本婦選大会。--出典「日本キリスト教婦人矯風会年表」】
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by bekokuma321 | 2016-07-30 07:28 | 秋田

c0166264_2045123.jpg今年は、日本女性に参政権が与えられてから70年になります。

その女性参政権獲得をめざして、戦前、市川房枝さんたちとともに「婦人解放運動」をしていた女性が、秋田の和崎ハルさんです(今は「女性」を使いますが、当時は「婦人」でしたので、婦人を使います)。

図書館で『政治と台所』(グレゴリー・M・フルーグフェルダー著)と、『ふるさとの先人たち』(豊田哲治著)を読みました。

和崎ハルさんは「婦人の参政によって、必ず平和日本となる事は信じて疑いはない」と言っていたそうです。だからこそ、女性の政治意識を高めることが大事だと考えて、県内の組織作りに着手しました。次の総選挙にも予想されるだろう「初の女性参政権行使」に向けて、毎日、秋田県内の女性団体を精力的に歩いて回り、多い時は一日4回も演説したそうです。

また、婦人解放運動の傍ら、地方新聞の女性相談欄を担当し、女性のかかえているありとあらゆる相談に懇切丁寧に回答して、女性の側に立って明快なアドバイスをしたことから、とても好評を博したと、『ふるさとの先人たち』に、書かれています。

時代を少し前に戻しますが、和崎ハルさんは、結婚後、二男三女の子供に恵まれたものの、1921年(大正10年)に夫を亡くします。子ども5人と年老いた姑の家族6人を、女手ひとつで養っていかなければならなくなったハルさんは、縁者を頼って故郷秋田に戻ってきます。36歳でした。そして、秋田初の美容師となります。

それだけでも大変なのに、和崎さんは、1922年、「日本基督教婦人嬌風会」の秋田支部を友人たちと設立し、廃娼運動と身売りをした女性たちの支援運動に加わります。

c0166264_21174477.jpgその後、1930年、「婦選獲得同盟」の秋田支部長となります。婦選獲得同盟は、市川房枝さんらが設立した、女性参政権を求める婦人解放運動団体です。2年後の1932年、秋田市で、「東北婦選大会」を開催します。

戦後、女性参政権が与えられ、1946年(昭和21年)、衆議院議員選に和崎ハルさんは立候補して、最高点で当選します。2位を約3万票も引き離す圧倒的な勝利だったそうです。こうして和崎さんは、日本初の女性代議士のひとりとなったのです。

国会議員になった和崎ハルさんは、戦後の物資不足のなか、とりわけ農村女性の窮乏に関心を寄せていたそうです。占領軍当局に対して、「頬かぶりや腰巻き用の生地を農村女性に配給してほしい」と要求した事から、「腰巻議員」とあだ名をつけられたそうです(『政治と台所』)。

ハルさんの三女(菅原和子さん)の証言によると、「母は、底抜けに明るく、物ごとにこだわらない人で、父は、私が6歳の時死亡したが、家庭内はいつも陽気で楽しく、母子家庭の暗さはなかった。母は生活費をそっくり祖母に渡していた。だから私たちは祖母からお小遣いをもらっていた」(『ふるさとの先人たち』)

また、ハルさんは、「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌が好きで、なんでもその日のうちにやってしまう主義だったそうです(『ふるさとの先人たち』)。

ハルさんは、市川房枝さんに加え、もう一人の婦人解放運動家の平塚らいてうを尊敬していたそうです(『ふるさとの先人たち』)。平塚らいてうは、「元始、女性は太陽であった」の言葉とともに、永く人々の記憶に残る事となったのは、みなさまもご存じのとおりです。

亀田 純子(秋田市、さみどりの会*)

【写真上:「婦人解放運動発祥の地」と書かれた石碑。廃娼運動団体である、日本基督教婦人嬌風会秋田支部(早川かい初代支部長)が中心になって、1933年、「秋田婦人ホーム」が創設された。身売りした女性たちの駆け込み寺となった。和崎ハルも支援メンバー。石碑はその「秋田婦人ホーム」を顕彰するため、当時の住所である秋田市楢山地区に建てられた。亀田純子撮影。写真下:市川房枝、山高しげりを迎えて開催された「東北婦選大会」。三井所蔵】

女性参政権運動と秋田
参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
ノルウェー女性参政権100年から考える
公益財団法人市川房枝記念会女性と政治センター
ミュージカル「ハルらんらん♪和崎ハルでございます」

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に出た。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイトさみどりの会ホームページには裁判情報が掲載されている。なお、同裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-07-18 21:36 | 秋田

女性参政権運動と秋田

市川房枝、山高しげり、和崎ハルが写っている「東北婦選大会」の写真を、先日、紹介した(参院選2016年と女性(2):女性参政権70年)。再掲する。

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▲東北婦選大会、1932年4月23日、秋田市の秋田県記念会館にて。婦選獲得同盟秋田支部(支部長和崎ハル)主催。市川房枝(前列中央)、山高しげり(前列左から3人目)、和崎ハル(2列目右から5人目。市川の右後)。秋田県横手市在住の本郷郁さんより1996年ごろ贈呈された写真

写真を見た秋田市の友人から、こんなメールがきた。

「この建物は、秋田県記念会館です。『政治と台所』という本に載っていました。その本によると、1932年(昭和7年)4月23日に東北婦選大会が、その秋田県記念会館で開かれたそうです。これは、初めて具体案が出された1931年12月の段階では、東北、北海道、北陸といった北日本の同志を集めるものとして計画されていたが、結局は、東北婦選大会として実行されたそうです。代表者7名のほか、参加者100名以上すべて秋田県下の女性であったと記されています。秋田県記念会館は、今の県民会館のところにあったそうです」

そこで、ネットで秋田県記念会館を検索したら、上の写真のコピーが載っていた。そこには「記念館での東北婦人参政権大会(昭和6年)。前から2列目、右から5人目が和崎ハル、最前列右から5人目市川房枝、2人置いて山高しげり」と。昭和6年は1931年だが、他の文献からも1932年が正しいようだ。

1932年、秋田市の秋田県記念会館で、「婦人参政権獲得期成同盟会」(1924年結成)の市川房枝と山高しげりを東京から招いて、女性参政権を求める集会が行われた。

秋田の和崎ハルは、当時50代。夫の死後、美容師として働きながら5人の子どもを育てあげ、廃娼運動や婦選運動にまい進していた。婦選獲得同盟秋田支部長にも就任している。そのバイタリティー!

和崎ハルは、この「東北婦選大会」を成功させるため、どれだけ準備に奔走したことだろう。「文化の殿堂」と言われていた風格あふれる秋田県記念会館を会場に選んだことからも、並々ならぬやる気が伝わってくる。

男性には、7年前である1925年に、すでに普通選挙権が与えられていた。「なぜ男にだけ?」と、秋田の女性たちも、和崎といいっしょに怒ったに違いない。

「東北婦選大会」に集った市川房枝や山高しげり、そして和崎ハルらの運動が実って、日本女性が参政権を手にしたのは、大会から13年後、ポツダム宣言によってである。c0166264_0414847.jpg和崎ハルが、その初の選挙で、衆議院議員に立候補し当選するなどと、本人はもちろん、誰が予想しただろう。

さて、「和崎ハル」を舞台化したミュージカルが好評だそうだ。題して「ハルらんらん♪ 和崎ハルでございます」。あきた芸術村のわらび座が、女性参政権行使70年となる2016年を記念してとりくんだ。

友人たちをさそって秋田まで見に行こう、とプランを練っている。

ノルウェー女性参政権100年から考える
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by bekokuma321 | 2016-07-17 01:13 | 秋田

c0166264_10381458.jpg「参院選 東北 自民圧勝に異議」。友人が送ってくれた 河北新報オンラインニュースの見出しだ。

東北6県中、青森、岩手、宮城、福島、山形の5県で、野党統一候補に勝利マークがついている。ただひとつ、秋田だけは自民が勝利した。

日本全国の「自公勢力圧勝」にあってことさら目立つ傾向だった。同じ東北のなかで、秋田の候補だけが野党共闘でないのなら、わかるが、秋田の候補も他の5県と同じ野党統一候補である。にも関わらず、落選した。

なぜこんな結果になったのか。メディアが触れていない重要なことを指摘したい。東北6県の唯一の例外となった秋田の野党統一候補は、民進党の松浦大悟さんである。松浦大悟さんは、「三井候補秋田追放事件の真相を究明する裁判」の被告だった。原告は三井マリ子さん。

この裁判は、松浦議員から2カ月にわたる立候補勧誘を受けて秋田に移住して2012年衆院選に出た三井さんが、彼の秘書らに不明朗な会計処理をされて心身ともに損害を受けた、と提訴したものだ。

裁判は、松浦さん側が“不適切な言動”をしたことを認めて、三井さんにお詫びの意を示したため、昨年、和解で終わった

選挙から裁判まで、3年間、秋田に通って実際に見つめてきた私は、秋田の敗北の原因は、この裁判を無視しては語れないと思っている。

具体的には、提訴してから和解で終わるまで、「三井裁判」をほぼ全紙が、キチンと報道してきた。節目の時には、写真や図表入りの大きな記事が踊り、NHKを始め民放テレビニュースも放映した。

手前味噌になるが、「三井候補秋田追放事件の真相を究明する裁判を支援する会」は、秋田市の官庁街、秋田駅前などで、関係チラシを配布してきた。さらに支援する会ホームページでは、裁判の情報や三井さんを支援する人たちの声をアップしてきた。こうした積み重ねが、じわりじわりと秋田県民に伝わっていったのではないか、と私は考える。

松浦さんの秘書は、三井選挙における怪しい行為で、検察に書類送検された。さらに松浦さんと親しい民主党秋田の幹部は、書類送検されて、ポスター張り労賃を横領着服したことを認めた。起訴猶予とはなったが、こうした「不正」に目をつむっては、民主主義は決して実現できない。

このような不真面目な選挙を仕切った選対の最高責任者は松浦さんであった。松浦さんや彼の秘書たちは、男性候補者には決してできなかったであろう“不適切な言動”を三井さんに繰り返した。その意味で一連の“不適切な言動”には「女性蔑視」があったと私は確信する。

参院選で、民進党は、この候補者のために、政党交付金をふんだんに使って、大物と言われる党幹部をとっかえひっかえ秋田入りさせた。しかし、落選した。前にも書いたが、民進党は、目の前につきつけられた「不正」や「女性蔑視」という深刻な事態に対して、真正面から、きちんと対処すべきだった、と私は思う。それは公党としての最低限の責務である。

何事もなかったかのようにふるまった民進党の行為は、原告を侮辱したにとどまらず、秋田県民を侮辱したのではないだろうか。それが、「秋田を除く東北は野党共闘圧勝」という結果につながった。

岡田ふさ子さみどりの会事務局)

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  ▲裁判報告会にて、近江直人弁護士(三井代理人)の解説を聞く記者や市民(秋田市内)

[松浦氏再び落選]共闘に保守層敬遠も 無党派への浸透不十分(秋田魁 2016年7月13日 )
<参院選>東北は野党共闘圧倒(河北新報 2016年07月11日)
<参院選秋田>石井氏 24市町村を制す(河北新報 2016年07月12日)
戦いを振り返って/下 野党 共闘やっと「足し算」 試行錯誤、風起きず /秋田(毎日 2016年07月12日)
c0166264_15134969.jpg(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に出た。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイトさみどりの会ホームページには裁判情報が掲載されている。なお、同裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-07-14 23:35 | 秋田

c0166264_1755257.jpg連載「衆院秋田3区の政党交付金」を読んで

この連載は前半の18話は秋田篇で、2012年冬の衆院選を闘って落選した三井マリ子さんの苦い体験談。後半の6話はノルウェー篇で、ノルウェーの選挙事情を彼女自身が取材して書いたルポだ。

秋田篇は読んでいて腹が立つことばかり。松浦大悟参議院議員(当時)は、民主党からの離党者が続出する中、固辞する三井さんを拝み倒して立候補させた。ところが、本気で選挙運動を支える気など殆どなく、お目当ては秋田3区に立候補させることで党から支給される政党交付金だったらしいことが、この連載を読むとよく分かる。

松浦議員とその秘書たちは、三井さんの政治活動のための政党交付金をできるだけ三井さんには使わずに残すことばかり考えていたように思われる。

まず、松浦議員らが三井さんの選挙事務所として用意したのは、支持者が来訪するのも不便な辺鄙な場所。事務所開きも行わず、ポスターや選挙広報に必要不可欠な情報(出身地や経歴等)を載せないばかりか、ポスターの印刷枚数も半分以下に抑えた上、ポスター貼りの手間賃まで横領する輩がいた。

民主党から振り込まれる政党交付金は、専用の送金先口座を三井さんには黙って三井さん名義で設立して、そこに送金されるようにした。その専用口座にはいった政党交付金は、三井さんに説明していた別の口座に移した。これらの出し入れは松浦議員の秘書たちが牛耳り、備品を買うにも三井さんの選挙区の業者を使わず松浦事務所が懇意にしているらしき秋田市の業者を使い、真に三井さんが必要なものではなく後に松浦事務所で使えるようなものに大金が消費される、等々。

これらのことに三井さんが気づくのはだいぶ後になってからだ。選挙後「二度と連絡するな」、「ここは12月いっぱい」と言われて自宅兼事務所を追い出され、秋田を去った三井さんは、選挙収支報告書さえも見せてもらえないので、自分で選管や銀行に出向いて調べたりして不正を突き止める。

c0166264_13371240.jpgそして三井さんは、彼女の承諾を得ずに三井名義の口座を開いた松浦議員秘書を私文書偽造同行使・詐欺罪で告発する。さらに、「盤石の態勢で支えます」と三井さんを秋田移住・立候補させた松浦議員や秘書たちから精神的身体的苦痛を受けたとして損害賠償を求めて民事裁判を起こす

告発のほうは、検察庁に送検された。しかし松浦議員側と長らく取引のある銀行側が被害届を出さなかったために不起訴処分となった。「長い物には巻かれろ」式の銀行側の対応が、第13話に詳述されている。

民事裁判のほうは、和解で終わった。三井さんの出した証拠物件から三井勝訴と思っていたが、三井さんの受けた精神的苦痛等に対する損害賠償は認められなかった。

しかし、三井名義の口座のひとつを隠していたこと、「政党交付金は選挙に使えない」と三井さんに嘘をついたこと、選挙収支報告書を見せなかったこと、選挙後の三井さんへの「つるしあげ」、三井さんが会議を要請しても開かなかったことなどは、“不適切行為である”と、認められた(和解調書。右上をクリックすると読める)。

せめてもの成果は政党交付金の残金を松浦議員側の好き勝手にさせずに済んだことと、さらに松浦側金庫に眠っていた供託金(10%以上とったため没収されなかった)を取り戻したことだ。前者は国庫返還をし、後者は秋田の女性のために使うように基金に回されたと聞く。

c0166264_182959.jpg秋田篇の苦々しさに比べて、後半のノルウェー篇の何と爽やかなこと!

前者の、当事者として選挙の泥沼に巻き込まれた経験と、後者の、筆者が理想としている国を訪問・取材したルポ。

流れるテーマは同じ選挙だが、その内容のあまりの違いに驚く。

ノルウェーでは、何しろ選挙に個人のお金がまったくかからない。だから高校生でも、移民でも、酪農家でも、100年前までは虐げられてきた極北の少数民族の女性でも、立候補できて、議員や大臣になれる。すごい選挙制度! 

おとぎ話のようだが、実在する国の話だ。徹底した男女平等は、議会ばかりか、大臣の数でも、会社の役員数でも貫かれている。

日本の小選挙区制では得票数が議席数に比例せず、「死に票」の割合が多いが、ノルウェーなど欧州諸国は比例代表制を採っているため、票数が議席に正比例する(第24話)。民意の反映する選挙なのだ。政党交付金の分配のしかたも、日本と違う。

日本で問題になっている「政治とカネ」のスキャンダルは彼の地では起こらないのだろうか。比例代表制だから選挙は政党中心に行われるため、日本の小選挙区制のように候補者個人がお金を使う必要がまったくない。だから、政党交付金という公的資金が個人の懐にはいることはないらしい。

一方、選挙にお金がかかるから、松浦議員らは、次の選挙に備えるために他人の政党交付金(三井さんの政党交付金)を貯め込もうとしたのだろう。許しがたい姑息な手段をとったとはいえ、松浦議員個人は、日本の選挙の犠牲者なのかもしれない。

c0166264_18544984.jpg参院選が公示され、また選挙が始まった。比例区、小選挙区に、各政党はどのような経緯で候補者を決めたのか、政党交付金はどのように使われるのか、三井さんの連載を読んで、政党の内幕を垣間見た今では気になるところだ。

相田和弘監督の映画「選挙」を観て怒りが静まらなかったノルウェー人たち(第25話)を思い出しながら、街頭で声を張り上げる候補者たちの演説や仕草に接している。

2016年6月28日

高橋 三栄子(さみどりの会*)

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【写真上から 1枚目:2012年豪雪の秋田で選挙運動をする三井マリ子候補。2枚目:和解調書の表紙。3枚目:市長に就任した酪農家兼市議会議員のシングルマザー。4枚目:相田監督DVD「選挙」。5枚目:「16歳以上の選挙権」運動をするハマール高校の生徒たち】

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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by bekokuma321 | 2016-07-13 18:30 | 秋田