「安政の大一揆」から「越中の女一揆」へ

富山県氷見市は、女性議員が誰もいない「女性ゼロ議会」だ。市議会の17議席すべてに男性が座る。

氷見市だけではない。日本列島には、「女性ゼロ議会」が約370もある。でも、氷見市はその昔、女たちが米よこせデモをしたと言われている地だ。「女性ゼロ議会」には似つかわしくない。

そこで、富山に向かった。駅前の喫茶店で、全国フェミニスト議員連盟の山下清子さんの紹介する、ジャーナリストの向井嘉之さん(写真右)に会った。向井さんは『米騒動とジャーナリズム:大正の米騒動から百年』(梧桐書院、2016)の著者のひとりだ。

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   ▲米騒動の著書を持つ山下清子さんと向井嘉之さん。富山市内で。

向井さんは、「そうですよ、氷見市の女性たちは、安政の大一揆といわれる暴動を起こしたんです。江戸時代の話で、それが明治、大正の一揆につながっているんです」

1858年(安政5年)、高岡、氷見、魚津など富山県のあちこちで、貧しい庶民たちは地主や役人の家を打ち壊す暴動を起こした。『米騒動とジャーナリズム:大正の米騒動から百年』には、こうある。

「氷見の小高い丘である朝日山に大勢の女たちが集まり、ほら貝を吹き立て『ひだるいじゃー』と叫びながら餓死寸前を訴えた」

「ひだるいじゃー」は、ひもじいよーという意味だという。氷見の女たちは、子どもたちを寝かせた後だろう、夜9時過ぎ、朝日山に登って、ほら貝をブオーツ、ブオーッと鳴らした。その音を聞いて、女たちはどんどん集まった。米が高騰して食べる米がない。これでは死ぬしかない。「ひだるいじゃー」と大勢で泣き叫んだというのだ。すさまじい光景ではないか。

c0166264_137349.jpgその後も富山の女たちの抗議行動は続き、明治維新後は米騒動のない年はなかったらしい。氷見に関しては、「貧民2000余人は、深夜、地主宅や氷見分署を襲った」(1890年)との記録もある。また富山日報は、「(今の黒部市で)200人の細民婦女が汽船への米の積み出しを阻止しようと、米俵にすがりつき離れなかった」と生々しい。江戸、明治と、連綿と受け継がれた富山の女たちの闘いは、「越中の女一揆」で知られる大正の米騒動に続いていく。

この「越中の女一揆」は、1918年(大正7年)、富山で起きた。またたくまに全国の都市や鉱山をまきこむ大暴動へと発展し、内閣崩壊とつながっていった。民の声による政府崩壊のさきがけとなったのが、富山の女たちの抗議の声だったのである。何とまあ。

それだけではない。『米騒動とジャーナリズム:大正の米騒動から百年』によると、米騒動は、10円以上を納税する特権階級(男性)にしか選挙権がないのはおかしい、民の声を代弁するためには選挙権を広げなくては、という社会運動を後押しすることになった。

こうして「越中の女一揆」から7年後の1925年、普通選挙が実現した。とは言っても男のみで、女たちはさらに20年待たなくてならなかったが・・・。

江戸、明治、大正を通じて体をはって命を守る闘いをした富山の女たち。この力は、かならずや、「女性ゼロ議会」撤廃へと続くだろう、そして富山県の議会改革につながるに違いない。こう思いつつ、今にも雪になりそうな富山を後にした。


●●追記●●『米騒動とジャーナリズム』は、第22回平和・協同ジャーナリスト基金賞の奨励賞を受賞した。受賞を記念する講演会「それは米と新聞から始まった」が2017年1月21日(土)1330から、富山市のサンフォルテで開催される。


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by bekokuma321 | 2016-12-13 13:38 | その他