日本の女性解放運動とノルウェー

c0166264_13381888.jpg10月14日(金)、オスロの国立博物館の「警察医務室前のアルバーティン」前には、高校生が大勢いた。解説者の話を聞きながら絵を見つめていた。

「警察医務室前のアルバーティン」は、1880年代、ノルウェー政府を公娼制廃止に導いたとされる絵画である。

2016年のノルウェーは、法で、買春する側(男性がほとんど)とあっせんする側を禁じている。金でセックスを買う人を罰することでプロステチュートを減らそうというものだ。しかし、オスロのある地区では、夜になると売買春婦らしき姿をよく見かけると友人たちは言う。移民難民の増大も要因のひとつだともいわれている。さらに、ネットによるポルノ写真の拡散は深刻な社会問題だ。

ノルウェーの性の商品化は、日本など多くの国々と同じように、加熱するばかりだ。そんな21世紀のノルウェーの高校生たちは、19世紀の歴史的絵画をどんな思いで見たのだろう。

さて、今から88年も前に、この絵画を見て感動した日本女性がいた。海を渡ってノルウェーを訪問したクリスチャン久布白落実である。

前回も報告したが、さらに今日は、帰国後に久布白落実が著した『女は歩く』(1928年11月)をもとに紹介する。その本のノルウェーの章は、こう始まる。

「諾威は、スカンディネビアの北端だ、彼等の先祖はデーンス・ノルマンスと云われて多く海賊を業とし欧州の西部の恐れとなって居た」

諾威とはノルウェーのことだ。久布白落実は、訪問の目的をこう書く。できるだけ本文のまま引用する。

「北欧の訪問に特に一つの使命を感じて居た、それは、この地方に於ける、廃娼後の情況を視察することであった、此地に来て以来、真向にこれをかざして、案内を乞ふた。」

久布白の使命感にただちに答えたのは、「船中の友、G宣教師と其家族」だった(注1)。オスロのG宣教師夫人は「では先ず第一に、国立美術館に御案内しませう」。彼女の不審顔に笑いながら「私についていらっしゃい。いいものを見せて上げますから」。

クリスチャン・クローグによる大きな絵画で四方を囲まれた国立博物館の大部屋は、2016年10月現在もそのままのかたちに残されているのだそうだ。

ということは、久布白は、今と同じ青の壁紙の部屋に連れて行かれたのだろう。G宣教師夫人は、久布白を「警察医務室前のアルバーティン」の前に誘った。そしてG宣教師夫人は、こう断じた。

「サア、此処に御座りなさい、そしてあの画を御覧なさい。あの画がこの諾威の国から、公娼制度を取払わせたのです」

目の前の絵が、ノルウェーにも存在していた公娼制を政府に廃止させることになったというのだ(注2)。久布白の衝撃はいかばかりだったか。

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「アベルテイナ クリスチャンクロッグの画きしもの・これにて諾威の廃娼成る」

本物の絵画は211 x 326 cmの大作だ。久布白は、その白黒写真(上)を本『女は歩く』に載せている。そして、G宣教師夫人から聞いたと思われる絵画の意味を解説する。

「この画の中心人物は、警官に連れられて、今や検査場に入ろうとして居る田舎女アベルティナである、彼女は純な田園の家庭から、都会へ出た、何処でもある通り、都会の生活の浪にもまれて、終に誘惑に陥った、彼女は売春の行為に陥ったのだ、当時諾威にはまだ数十軒のそうした家があった、然し町での売淫はゆるされなかった、見咎められた彼女は、警官の手から、今や検査場に連れてこられたのである。」

私の調査では、中心にいる少女は田舎女でもなければ、純な田園家庭にいたのでもなく、オスロに住むお針子だった。それはともかく、絵についての記述のあと、画家クリスチャン・クローグについて短文が書かれ、それは、こう終わる。

「彼はただ画だけに安んぜず、更に小冊子を発行した、然し小冊子は、其過激な説の為めに没収されて、然し画は其目的を達し、諾威の人心を揺り動かして遂に、制度の撤廃を見るに至った、時に一八八七年、英国の廃娼完成の翌年であった。」

次に『女は歩く』には、売春からはいあがった女性たちの駆け込める施設が、ルポされている。

「各々学科の外に、裁縫、料理、家事、織物等、種々手芸を教えられる、彼らは其仕事を選ぶ事を許される、そして好き好きによって其処に長く止まり熟練する事を許される」

「宿舎は、悉く独居の式にしてある、三畳位の小部屋に寝台一個、これには皆鍵があり、内外からかけられる」

久布白は、公娼制をただ廃止するだけでなく、廃娼後の女性たちの将来まで視野に入れて運動をしていたことがよくわかる。モデル国として訪問したノルウェーは、国や地方の公的政策として、「女性のホーム」を運営していた。彼女の視点は、ノルウェーの福祉制度に及ぶ。

「ここの職員は教師助教師、外回りの作男まで十七前意を数えて居る、皆政府よりの俸給を受け、年過ぎしものは、恩給もつく、凡てが至れり尽くせりだ、一人の娘の費用は、月々六十円に上ると云う、然し国庫と、州とは、惜しみなくこれを支出して国家の禍を未然に防ぐことにつとめて居る。丁抹(デンマーク)はこれを学び、直ちに採用し更に多くのホームを持って居るそうだ」

帰国後、久布白落実は、矯風会を拠点にして、公娼制廃止運動と女性参政権運動にまい進する。

敗戦後、参政権が認められると、久布白落実は初の選挙に立候補した。久布白の講演に刺激された和崎ハルら女性代議士39人が誕生した、あの1946年衆院選である。久布白は落選したが、めげずに2回立候補する。結局、計3回立候補して全て落選した。

2012年のことだが、私も落選して選挙にまつわる裁判までせざるをえなかった。奈落の底に突き落とされるような体験だった。が、久布白ら敗戦直後の女性運動家たちからは、「あら、そんなのたいしたことないわ」と笑われそうだ。

なお『女は歩く』は絶版。矯風会が設立した慈愛寮の熊谷真弓施設長のご好意で慈愛寮所蔵書から読ませていただいたことに深く感謝する。

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【白黒写真は、久布白落実著『女は歩く』より接写したもの】
【注1】『女は歩く』には、G宣教師について興味深い描写がある。船旅はエルサレムで開かれる宣教師の会議参加のためで、久布白は神戸から乗った。Gは上海から乗船した中国代表のノルウェー人だった。白人としては小柄なうえ、いつも前かがみで、風姿至って引き立たない、などと描写している。ところが、恒例の船中会議の最後に、中華民国にいる宣教師の保護についての議論がやまなかったとき、Gはいつになく「議長」と呼んで立ち上がった。そして「中国伝道に捧げたこの体を、われわれ宣教団は、各々自分として分はつくす」と言い放ったという。久布白は「Gのうちに犯しがたい権威の光がひらめいた」と評している(p30)。
【注2】クリスチャン・クローグ作「警察医務室前のアルバーティン」が公娼制廃止の起爆剤となったことは、ノルウェーの芸術から思う日本の女性運動を参照。
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by bekokuma321 | 2016-10-18 14:33 | ノルウェー