2016年 07月 30日
ハルらんらん♪
「すばらしい! 全国の中高生に見せたい」
「女性参政権の歴史がわかった」
「和崎ハルのたくましさに感動した」
「わかりにくい秋田弁もあったけど楽しかった」
「当時のように日本中に支部をつくって女性議員を増やさなくては」
「字も読めない書けない人がいた時代の運動はどれだけ大変だったか」
「口減らしのため売られた農家の少女たち。まだ残る貧しい国の人身売買に通じる」
ミュージカル「ハルらんらン♪ 和崎ハルでございます」を観たひとたちは口ぐちに言った。
遠くは京都、名古屋、函館、東京……近くは秋田、横手から20人が、7月28日、あきた芸術村のわらび劇場にかけつけた。「女性参政権行使70周年」を記念しての観劇・温泉ツアーだ。
70年前、戦後直後の1946年4月、日本全国で女性79人が衆院選に立候補して、39人もが当選した。
秋田では、女性解放運動家であり美容師・和崎ハル(無所属)が、41人中トップで選ばれた。文献によると、和崎ハルは、1885年、秋田市生まれ。結婚して秋田を離れるも、夫の死後、5人の子どもと姑を連れて、秋田に戻った。
ハルは美容院を開いて、生きて行く。髪ゆいや美顔マッサージをしながら、性を売ることを余儀なくされている女性たちの相談に乗るようになる。その体験から公娼廃止運動へ。
当時、東京の廃娼運動(公娼廃止運動のこと)の幹部たち(注)は、世界の動きに呼応して女性参政権を求めて活動していた。
秋田の和崎も、同志たちと「廃娼運動」に加え、「婦選運動」(女性の参政権運動のこと)に身を投じる。婦選獲得同盟秋田支部支部長となり、1932年、「東北婦選大会」を秋田市で開催。700人が集まった。市川房枝や山高しげりも招かれた。
1937年、息子のいる大阪に移った後、戦況が激しくなり、1944年、秋田県横手に戻った。そして敗戦。ポツダム宣言で、日本女性は、参政権を付与される。
和崎ハルは、1946年、戦後初の総選挙に、横手から立候補。その冬はまれにみる豪雪だったため、雪の残るなかの選挙運動だったらしい。14年前に「東北婦選大会」を成功に導いた和崎ハルを当選させようと、市川房枝は、寝食をともにしながら選挙運動を支えたという。
和崎ハルを含む女性代議士の居並ぶ第90回帝国議会。そこに上程されたのが「新憲法案」(11月3日公布)だった。
【写真上:ミュージカル観劇後、あきた芸術村わらび座劇場前で「女性の連帯!」とこぶしをあげる。舞台姿の登場人物もいっしょ。加島康博提供。写真中:「女性参政権行使70周年記念ツアー」を迎えるホテルの看板。加島康博撮影。写真下:市川房枝直筆の「和崎ハル」を顕彰する碑。秋田市金照寺山。亀田純子撮影】
■和崎ハル:廃娼運動と婦選運動
■女性参政権運動と秋田
■参院選2016年と女性(2):女性参政権行使70周年
■参院選2016年と女性
■ノルウェー女性参政権100年から考える
■和崎ハル_1 武塙三山
■和崎ハル_2 武塙三山
■和崎ハル_3 武塙三山
■和崎ハル_4 武塙三山
■和崎ハル_5 武塙三山
■普通のおばちゃんの三井裁判傍聴記_佐々木厚子
■女性と選挙
■2014衆院選 比例制に変えるしかない
■参院選で女性躍進ならず
【注:1886年 世界キリスト教婦人矯風会の日本版として東京婦人矯風会発会(初代会頭矢島楫子)。1893年 日本婦人矯風会と改称(会頭矢島楫子)。1916年 公娼廃止を優先課題に。1917年 公娼廃止運動の挫折から婦人参政権運動を宣言。1920年 世界婦人参政権協会に出席(久布白落実)。1921年 全国常置員会にて日本婦人参政権協会設立。1930年 第1回全日本婦選大会。--出典「日本キリスト教婦人矯風会年表」】