映画「むかしMattoの町があった」を女性の視点で見て

11月7日、私は、友人に誘われて、映画「むかしMattoの町があった」(*)を見ました。本当に良質の人間ドラマで、リアリティがあり、随所で号泣させられました。

おそらく誰にもmatto(狂気・狂人的)な部分はあるのです。時代や境遇によって“常識”は変化します。その常識から外れすぎたことが、精神病院への収容につながり、そこでは、人として当然の権利が奪われてしまうことも出てきます。

その不条理さを自分のこととしてとらえることができるか、そうでないかは、人によって分かれるところだと思います。できることなら精神病院という人権侵害システムを見て見ぬふりをしたいと思う、これもまた人間の正直な気持ちかもしれません。

しかし映画冒頭に伏線として描かれているように、己のmattoな部分を知っているフランコ・バザーリアとフランカ・バザーリアは、見て見ぬふりをしなかった。社会構造と闘った。精神病院に収容されている患者たちの人権のためでもあるけれど、自分たちのためだったかもしれません。

“誰か”を救うことは自分自身を救うことだと思ったからこそ、人権侵害システムを変える闘いに挑み続けることができたのだと、私は思います。

映画の中で、人間性を取り戻し、バザーリア医師のスタッフに加わった看護師ニーヴェスは、子どもたちと別れて住むという辛い選択を取らせられました。しかしその後、元患者のマルゲリータと女性同士で支え合って生きていこうとする場面には救われました。たくさん泣いたけれど、笑えたりほっとしたりする場面もたくさんありました。

人として憐れむべきは、看護師ニーヴェスの覚悟を理解できない夫であり、苦痛も感じずに精神病院の看守役をしていた医師や看護師たちではないかと思います。

さらに言えば、あの時代の精神病院に収容されていた患者の多くが精神的にも経済的にも第2次世界大戦の影響を受けていたことを考えると、まず今、この平和を守り続けていくための努力は決して惜しんではならないと改めて思うのです。

映画が終わって、三井マリ子さんと当事者の家族会の大石真弥さんがトークをしました。日本の精神病院の生々しい現状が語られ、それを「知ってしまった」責任を感じました。困難の只中におられる精神疾患の当事者の方、ご家族の方々に心からエールを送ります。

浅井 紀子(社会福祉士、クオータ制度研究会)


c0166264_956957.jpg (*)イタリア語Mattoは狂気を持つ人、Mattoの町は精神病院。イタリアは精神病院を廃止した。革命とも称される精神病院解体。そこに至るまでをドラマにしたイタリア映画。NHKにあたる公共テレビRAIで放映され、21%の高視聴率をあげた。今、世界中で自主上映されている。

上記映画会は、11月7日、八王子勤労者福祉会館が「女たち、女親の視点から」見ようと企画した。主催者によると、「三井マリ子さんは、バザーリア法を日本に紹介した大熊一夫さんと2010年4月、英語版の本映画を見て、日本上映のきっかけをつくった。誰にも感動と勇気を与えるこの作品を、女性の視点から見て、当事者のかかえる問題と社会の課題を考える」(上映会チラシ)。



映画「むかしMattoの町があった」と女たち
バザーリア映画を上映する180人のMattoの会
映画「むかしMattoの町があった」
精神病棟を使わずにクライシスに対峙するには
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by bekokuma321 | 2015-11-19 15:20 | ヨーロッパ