バザーリアの闘い

c0166264_2025075.jpg11月16日、東大駒場のホールで、イタリアの講演会があった。

タイトル「鍵をかけない! 拘束しない! トリエステ型地域精神保健サービスを世界へ」。講師ロベルト・メッツィ―ナ医師(写真右)。トリエステ精神保健局長であり、WHOメンタルヘルス調査研修コラボセンター長でもある。

イタリアには精神病院がない。20年前そう聞いた私は「嘘でしょ」と思った。でも、大熊一夫のトリエステ視察団に同行して、この目で精神病院がない社会を見てきた私は、もうそんなアホなことは絶対言わない。

「精神病院のない社会」――この夢のような改革はイタリア北部の都市トリエステでスタートした。

1970年代、手足の拘束、薬漬け、電気ショック…が当たり前だったトリエステのサン・ジョヴァンニ精神病院。そこに1人の医師フランコ・バザーリアが赴任した。

バザーリアは、「精神病院こそ、人間を無力化、無価値化させるものだ」という信念を持っていた。彼は、仲間たちと病院の脱施設化に、命をかけた(写真下)。
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彼と仲間たちの闘いによって、精神病院に閉じ込められていた患者は、精神保健サービスセンターでサービスを受けるゲスト(客)へと変貌をとげた。さらに、バザーリアは、トリエステの変革をイタリア全土に広めるための法律「180号法」成立へ、政治家を動かした。

バザーリアは1980年死亡。その後、彼の志を引き継いだ人たちの手でトリエステ型サービスは続けられた。その1人が、初来日したロベルト・メッツィ―ナ医師だ。

トリエステ型サービスとは、精神の病の治療ではなく、食べること、寝ること、着ること、遊ぶこと、働くこと、恋することなど、人間が生活をしていく上でのありとあらゆる場面で、ゲスト(客)に必要な手助けをするといった意味を持つ。

たとえば、女性の「ゲスト お客」なら、地域にある女性団体のイベントに参加して、女性たちと一緒に交流し行動する(写真下)。

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講演内容は、本シンポジウムを主催した「バザーリア映画を自主上映する180人のMattoの会」HPにアップされる予定だ。お楽しみに。私は、写真撮影に忙しくメモもとれなかったが、ひとつだけ気にかかったことばがある。

「病院にあたるホスピタルと、歓待にあたるホスピタリティ。語源は同じです」と言ったロベルト・メッツィ―ナ医師のことばだ。

調べてみたら、病院ホスピタルの語源はラテン語のホスぺスhospesで、「見知らぬ人」または「お客」という意味だ。ホスぺスの発音からpがとれて、ホスト、ホテルという英語にもつながっていったという。

一方、英語のホスピタリティ(歓待、おもてなし)は、ラテン語でホスピティウムhospitium。そもそもの意味がおもしろい。ホスピティウムは、歓待という概念と、病院・宿という両方の意味を持っているのだ。

古くは、「ゲスト お客」は歓待を受けることが権利だったのだという。対する「迎える人」は歓待するのが義務だったのだという。ホーマーの時代は、すべてのお客は、1人の例外もなく、ゼウスの保護下にあり、歓待を受ける権利があるとされていたという。

考えてみれば、今日でも、「ゲスト お客」を迎える人は、さあ、ここに来たら、5時夕食、8時消灯、あれしちゃダメ、これもダメと言ったりしない。「お客」のニーズにできるだけあわせる。これが当たり前だ。

「お客」が最も望まない姿、究極の“反ホスピタリティ”が、今の精神病院だ。それを取り壊して、「お客」が望むような本来の姿に変える、それがトリエステ型なのだ。こんふうに素人の私は考えた。

トリエステでは、患者を患者と呼ばず、「ゲスト お客」と呼んでいたが、そこには歴史的な哲学的な背景があったのだ。

11月22日は大阪のクレオ大阪西でも、同じ講演会がある。二度と聞けない講演かもしれない。時間を見つけて、ぜひ参加をおすすめしたい。詳しくはこちらから
http://180matto.jp/event.php

ロベルト・メッツィ―ナの師フランコ・バザーリアと仲間たちの連帯あふれる闘いは、映画「むかし、Mattoの町があった」に詳しい。この名画を観てない方は、ぜひぜひ観てほしい。

案内「トリエステ型地域精神保健サービスを世界に」
180人のMattoの会
日本縦断トリエステ精神保健講演会
精神障がいとジェンダー
精神病院をなくした国イタリアから
■赤松英知(きょうされん常務理事)のルポ「精神病院をなくした町イタリア・トリエステ:”入院大国”日本と大違い」(しんぶん赤旗 2014.11.17。残念ながらNetでは見られない)
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by bekokuma321 | 2014-11-18 20:29 | ヨーロッパ