フリークの女たち 「あの笑顔をもう一度」

女のスペース「フリーク」で出会った女たちのつながりの歴史は、30年を超える。

「フリーク」は私がやっていた喫茶店で、大阪の豊中駅前にあった。2007年に閉じるまで、約四半世紀、大勢の女たちが出入りした。

示村冬子さんはいつごろ私たちの仲間になったのか。比較的新しいと思っていたが、追悼会の準備のために写真をさがしていたら20年以上も前の写真に冬子さんの笑顔があった。

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今年の3月28日、友人のメールで示村冬子さんの訃報を知った。入院していることは知っていたが、予想もしていなかったことで、メールをくれた友人に電話をして冬子さんの最後の様子を聞いたあと、示村さんのお連れ合いと電話で話すことができた。私自身が納得するために電話をしていたような気がする。それでも信じられなかった。受け入れられなかった。そして、落ち着いてくるとむしょうに腹が立ってきた。

「若いあんたがなぜ先なのよ!順番がちがうでしょう!」

 
7月入って、わたしたちはようやく示村冬子さんの追悼会のことが考えられるようになった。冬子さんのDVDをつくるために集まって写真を選んでいるとどの写真も弾けるような笑顔ばかりだった。追悼会のタイトルの「あの笑顔をもう一度」は、すぐにきまった。

9月14日、豊中のすてっぷで追悼会を開いた。ごく内輪の人たちに知らせただけだったが、15人のおんなたちが来てくれた。

最初に示村冬子さんが「フリーク」の私たちの集りに参加したのはコーラスのグループだった。自分たちの歌のレベルには関係なく大阪ドーンセンターのオープニングイベントのステージにも立った。

その後、染のワークショップ、女性映画祭での活躍、リブ25周年のステージ作りの思い出。そして「館長雇止め・バックラッシュ裁判」(すてっぷ裁判)。裁判は、最初から最後まで支援しただけでなく、世話人までしてくれた。

思い出話はつきなかったが、一番多かった共通していた思い出は酔っぱらってかかってきた長電話。こんなに早く赴ってしまうのだったらもっときちんと話を聞いてあげればよかった、という思いも共通していた。

冬子さん、わたしたちの話は聞こえましたか。

和田 明子(豊中市民、フリークの女たちの会)

【写真:DVD「あの笑顔をもう一度」(作成ふじみつこ)の表紙より。右が示村冬子さん】

すてっぷ裁判を支えた示村さんにお別れして
北村三津子「私は存在する。
豊中「フリーク」25年の歴史に幕
館長雇止め・バックラッシュ裁判
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by bekokuma321 | 2014-09-20 07:40 | その他