ユリ・コチヤマとの出会い

c0166264_1084351.jpgアメリカの市民運動家ユリ・コチヤマの訃報を知った。93歳。

ユリと出会いは、ニューヨークのコロンビア大学に留学していた1980年代初め。私は友人に連れられてハーレムに住むユリの自宅を訪問した。

ドアで私を迎え入れたのは、ニコニコとほほ笑む優しそうな、とても小柄な女性だった。ところが、話し合いになると、エネルギーに満ち溢れる激しい闘士となった。目の前にいるのは、まぎれもなく私の母親と同い年頃の日本女性だ。その口から、アメリカ社会の人種差別批判や、アメリカ政府への辛辣な批判が間断なく飛び出した。

その後、何回かユリのお宅に呼ばれた。食事をしながら、たくさんのアフロ・アメリカンたちと知り合いになった。彼女からの情報で、市民権運動の集会にも参加した。

ユリの活動はとてもひとつ、ふたつではくくれない。私が会った当時、最も時間を注いでいたのは、第2次世界大戦中、日系人を強制収容所に追放したアメリカの政策の違法性と非正義を追及する運動だったように思う。

ユリの口から繰り返されたのがDeportationという言葉。その言葉が現す残酷な実態を私は初めて知った。

第二次世界大戦中、日系アメリカ人、とくに西海岸に住んでいた日本人のほとんどは、強制収容所にひっぱられて行った。ユリもその1人だった。60年代からの市民権運動の一環で、日系人・日本人移民が強制収容されたことへの謝罪と賠償運動が盛んになった。ユリは、私たちに「アメリカ政府の人種差別政策だ」と語っていた。

ユリたちのねばり強い運動が実ったのは、1988年。アメリカ政府は、強制収容された日系アメリカ人に謝罪した。1人20000ドルの損害賠償、この歴史を学校教育で学ぶための基金創設が具体的な施策だった。

アメリカを訪ねることがなくなって、ユリとの音信もとだえてしまったが、私のアメリカ観に新たな視点を加えてくれた革命運動家ユリ・コチヤマとの出会いは、心に強く刻まれている。

“Our ultimate objective in learning about anything is to try to create
and develop a more just society.” –Yuri Kochiyama

Yuri Kochiyama dies at 93; civil rights activist, friend of Malcolm X
Kochiyama, Yuri
Blue Scholars - Yuri Kochiyama
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by bekokuma321 | 2014-06-06 10:28 | USA