ベアテ・シロタ・ゴードンさんと私

c0166264_1832269.jpg敬愛するベアテ・シロタ・ゴードンさんが亡くなった。心からお悔やみ申し上げる。

昨年、元最高裁判事泉徳治さんの講演を聞きに行った。彼は、憲法に言及した。私は、主催した「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」機関誌に、その講演の感想を寄稿し、ベアテ・シロタ・ゴードンさんについて触れた。

いま、ベアテ・シロタ・ゴードンさんに出会った20年ほど前を思い出しながら、彼女の信念だった女性の権利獲得のため、これから私に何ができるだろうか、と考えている。「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」機関誌から、ベアテさんについての拙文を抜粋・引用する。


■(泉徳治さんの講演は)期待にたがわず充実した内容だった。時にはホワイトボードに図を描きながら、時には親しみやすい個人名をあげて、わかりやすく説いた。

まず明治民法に「婚外子は、婚内子の半分しか相続分がない」と書かれていると言った。つまり、相続差別の撤廃を求める運動は、114年間にわたる積年の差別に対して異議をとなえてきたことになる、というのだ。

第二次大戦後、新しい憲法ができた。その14条には、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」によって差別してはならないとある。24条には、婚姻における両性の平等を保障すると書かれている。この平等条項を書いた人は、当時22歳のベアテ・シロタ・ゴードンであると泉さんは言った。GHQ憲法草案制定会議のただ一人の女性だ。

ベアテさんは、1993年以来、全国各地で講演をしている。著著や映画も数多く、泉さんも言うように、憲法に関心のある人なら知らない人はいない。それがあってか、泉さんはあまり詳しく話さなかったので、少しつけ加えたい。

実は、憲法草案を書いたのは自分であることを彼女が初めて公に話したのは、1993年5月4日のこと。

その数カ月前、アメリカの大学にいた友人の横田啓子さんからのファックスで、ベアテさんと私の交流が始まった。

ベアテさんの来日を知った私は周囲に話を持ちかけ、講演会を企画した。主催はベアテ・シロタ来日記念講演実行委員会、連絡先は私の事務所にした。当時、ベアテさんのことを知る人はほとんどおらず、協力者を募るのは大変だった。

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講演会は大成功。小さな会場は満員だった。彼女は、流暢な日本語で、「24条は一般的な規定ですが、私は、もっと具体的な社会福祉的条文を書いたのです」と、驚くべき事実を話してくれた。彼女が書いた草案の一つは、こうだった。

「国家は、妊婦および育児にかかわる母親を、既婚、未婚を問わず保護し、必要な公的補助を与える義務を負う。非嫡出子は法的な差別を受けず、身体的、知的、社会的環境において、嫡出子と同じ権利と機会を与えられる」

ベアテ草案は、GHQから、「具体的なことは民法で。憲法は一般的なものに」と削除されてしまう。ベアテさんは、「民法を書くのは日本の男性ですから、もうダメ」と、泣きくずれたという。

一般的な平等条項は残ったものの、それすら日本側は削除してきた。

最終的に開かれた日米会議で、米側代表は、通訳をしていたベアテさんを起草者であると紹介した。そして「女性の権利に命をかけている、この女性を悲しませるつもりですか」と懇願した。日本側は譲歩し、14条と24条は復活した。

(以上、「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」機関誌192号より抜粋。同会についてはhttp://www.grn.janis.or.jp/~shogokun/

写真は、日本で初めて講演をするベアテ・シロタ・ゴードン(左)。司会は三井マリ子(右)。1993年5月4日、東京・飯田橋にて。
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by bekokuma321 | 2013-01-11 18:51 | その他