北村三津子「私は存在する。」

70年代のウーマンリブ北村三津子さんは、走り続けた。自由と自立と連帯を求めて……。そして2010年4月、二度と帰らぬ人となった。まだ50代だった。

2004年、理由もなく“首切り”されたことに納得できなかった私は、裁判に訴えた。2010年3月、高裁は私の訴えを認め、私は勝訴した。足かけ7年の裁判だった。この裁判を、北村さんは、とことん支えた。文字通り、「からだをはって」。

北村さんは介護職員だった。日本の労働の中でも最も過酷な職のひとつだ。そんな彼女は、夜勤明けの睡眠不足の目をこすりながら長距離バスに乗った。バスは東京から大阪まで彼女を乗せて走った。大阪に到着し、彼女は「館長雇止め・バックラッシュ裁判」を傍聴するため淀屋橋に向かった。

淀屋橋の裁判所の傍聴券配布場所に並んだ。長い列をくんでの待ち時間、冗談を飛ばしてはいつも周囲を笑わせた。笑わせてほしかったのは、彼女のほうだったかもしれないのに…。傍聴券を手に法廷に入った。次に、傍聴後の「弁護士解説つき交流会」では、響き渡る声で疑問や怒りをまっすぐぶつけた。

裁判の傍聴だけではなかった。裁判所に異議申し立てをした。裁判長に「陳述書」を書き送った。支援する会のために威風堂々たる旗を縫い上げた(注)。カンパ箱をつくり裁判費用へのカンパを募った。支援者たちをカッと見渡しながら燃えるような言葉を発し、みなを鼓舞し続けた・・・。

そんな北村さんの生涯を遺しておきたいと考えた「みんな北村三津子さんが好きだった」の会が本を発行した。著書名は『私は存在する。』。

北村三津子の言葉を通じて、日本の女たちの苦悩と闘いの日々が目の前によみがえってくる、そんな1冊だ。あなたにもぜひ、ぜひ読んでいただきたい。

『私は存在する。』申込先:f_mitsuart@mac.com


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■北村三津子「陳述書」
http://fightback.fem.jp/koso_tinjyutusyo_kitamura.html
■追悼・ああ、北村三津子さん(『ファイトバック!』14号)http://fightback.fem.jp/fightbacknews_14.pdf
■「みんな北村三津子さんが好きだった」の会のけん引役・三木草子(元京都精華大学教員)
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-8074-0909-9.html
資料 日本ウーマン・リブ史

(注)北村三津子作「ファイトバックの旗」
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by bekokuma321 | 2011-11-03 20:23 | その他