「肥後の猛婦」が嘆く女性ゼロ議会

熊本にやってきた。熊本の地で、女性の人権拡充と男女平等に尽力している女性たちと懇談した。

熊本といえば、私が20代のころ心酔した、「女性の歴史」の著者高群逸枝を思い出す。井上清の「日本女性史」を読んだ10代のときと同様、深く感動した。

高群は、「肥後の猛婦」という呼び名で呼ばれる、熊本の歴史に残る女性解放運動家の一人だという。

夜、イン―タネットを見たら、歴史探訪「肥後の猛婦」というホームページがあった。そこには竹崎順子(教育者)に始まって、11人の女性が載っていた。あの19世紀に、当時の社会通念に抗して闘った女性たちだ。

【肥後もっこすとは熊本の男性の一本気で不器用な気質を表現する有名な言葉です。この「肥後もっこす」の気質は、女性にも共通すると言われていて「熱く、頑固でパワフルな女性像」がこの「肥後の猛婦」として思われてきた節があります。「肥後の猛婦」は、今につながる、時代の最先端を切り開いてきた「熊本のモダンな女性たち」の物語なのです。】http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=722

私が残念なのは、この「肥後の猛婦たち」の魂が、21世紀の熊本の政界に浸透していないことだ。熊本は、市町村議会の女性割合は、6.2%。「女性ゼロ議会」は、18議会ある(以下)。売買春に反対運動をした社会革命家・久布白落実ゆかりの地、「山鹿市」にも女性議員は一人もいない。女性が参政権を得て66年。「肥後の猛婦」たちが、この現状を見たら、どれだけ悔しいだろう。

美里町、玉東町、山鹿市、南小国町、小国町、産山村、高森町、南阿蘇村、西原村、嘉島町、山都町、氷川町、津奈木町、錦町、湯前町、水上村、山江町、天草市。

今晩あった女性たちは、「肥後の猛婦」という表現に違和感を覚える人が多かった。「あの言葉は嫌いだ」と言う女性もいた。なるほど、猛婦という言葉は、時代の束縛に抗してすぐれた業績をあげた歴史上の女性たちを、「怖い女」というイメージでひとくくりにしているような気がする。






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●竹崎順子 女子教育の先駆者(1825-1905)
 矢島家三女、女性教育者 熊本女学校(現フェイス女学院)を設立

●徳富久子 禁酒運動家(1829-1919)
 矢島家四女、徳富蘇峰・蘆花の母

●横井つせ子 小楠の妻(1831-1894)
 矢島家五女、横井小楠夫人 

●矢島楫子 社会事業家(1833-1925)
 矢島家六女、禁酒、廃娼の婦人矯風会を創立、国際的に活動

●海老名みや子 教育家(1862-1935)
 横井小楠の長女、同志社設立に奔走 ジェーンズに教育を受ける

●湯浅初子 禁酒・廃娼運動家(1861-1935)
徳富蘇峰、蘆花の姉、日本で最初の男女共学を受ける

●徳富愛子 徳富蘆花婦人(1874-1947)
蘆花と作家活動(共作)「蘆花全集」出版

●久布白落実 社会運動家 (1882-1972)
徳富蘇峰、蘆花の姪。廃娼・婦人参政権活動に尽力

●嘉悦孝子 教育家(1867-1949)
横井小楠の高弟・嘉悦氏房の長女。嘉悦学園を設立

●河口愛子 教育家(1873-1959)
小石川高等女学校を設立。女性の自立を説く

●高群逸枝 女性史研究家(1894-1964)
「母系制の研究」などを出版 女性史研の道を開く
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by bekokuma321 | 2011-09-04 00:35 | その他