オスロ市議会議員カムシ

c0166264_1751895.jpgアフテンポステン紙によると、カムシ(24)は、8月20日、ユトヤ島―乱射の現場―を訪れた。

カムシは現職のオスロ市議会議員で、オスロ大学学生。9月の地方選挙には、オスロ市労働党リストの11番に登載されて、2期目に挑戦する。カムシはKhamshajiny Gunaratnamの愛称だ。

ウトヤ島の夏合宿は3度目だった。労働党青年部中央幹部に就任してからは初めてだった。

8月20日、島に到着後、まず親友が銃弾に倒れた場所に花をたむけた。あの日、カムシは銃殺されるかおぼれ死ぬかどちらかだと思った。友人たちが目の前で死んでいった。生きているのは奇跡だと思う。

20日、惨劇から生き延びて島に戻ってきた仲間たちは、口々に«Så godt å se deg...»(会えてよかった)と言った。--報道はいう。

下は、カムシのホームページから私が要約した彼女の育った環境と選んできた道だ。

彼女の経歴は、少数者を見殺しにしない多文化社会へ変わりつつあるノルウェーをよく表している。しかし、多文化社会は自然には生まれない。彼女のような意思のある人の手でつくられていくのだということもわかる…。

「父母ともにスリランカ人。両親は1987年に結婚し、翌年カムシが生まれた。父親は以前からドイツやノルウェーに行き来していたが、1991年、一家はノルウェーに移住。最初ハマーフェストに住み、のちオスロに引っ越した。小学校時代は、家から学校が遠く、つらかった。劣等感にさいなまれたのと、長い通学路でいじめもあったからだ。でも、丸一日、タミール学校のある土曜日は楽しかった。生徒、先生、タミール語、ダンス、歌など、楽しくてまるでスリランカにいるようだった。

オスロの西方にある進学校ハンデルス・ジムナジアムに入学した。知識豊かな経済的に恵まれた良家の子が多かった。しかし、生徒の多くは、多人種文化をメディアを通してしか知らなかった。身近に知らないということは恐怖心につながるのは当然だろう。驚くようなことを数多く経験した。これまでとは全く異なる環境だった。この3年間の環境が政治に関心を持つ土台となった。

タミール・コミュニティの青年部活動にはいって、タミール社会の重要人物と会うようになった。オスロ市初のタミール人議員となったラジャ(Yogarajah Balasingham)が、私を労働党に誘った。2006年オスロ市労働党リスト44番目に載った。ラジャもリストに載ったが、彼は自分よりも私をと、大運動をした結果、私への個人票が追加され当選した。うれしかった。

19歳で、オスロ市議会で最も若い議員となった。『ソーシャルインクルージョンと環境保護が主要政策。何か起こってからではなく予防的対策をとるべき、保育園と学校でもっとソーシャルインクルージョンを重視したい』と、当選後語った。県の男女平等とソーシャルインクルージョン委員会の委員に就任した。」

テロの容疑者ブレイヴィックの忌み嫌ったものーーそれは、カムシが追い求めている価値だ。彼は、彼女が高校で出会ったクラスメートと同じオスロ市内西側に住む良家の出身だった。

http://www.aftenposten.no/nyheter/iriks/article4204157.ece
http://kamzy.no/
http://www.youtube.com/watch?v=_vnI4sQ_RO4http://www.utrop.no/13646
http://www.valg.oslo.kommune.no/getfile.php/Valg%20%28VALG%29/Internett%20%28VALG%29/Dokumenter/Listeforslag%20Valg%202011/Valglister%20for%20kommunestyrevalget%202011.pdf
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by bekokuma321 | 2011-08-21 17:52 | ノルウェー