宮城県石巻市へ

5月29日、大雨。

早起きして、仙台から石巻に向かった。伊藤由子(宮城県加美町議)の友人・手代木彰雄の車に乗せてもらった。

三陸自動車道にはいると、「災害派遣隊」と書いた自衛隊の車が目立ってくる。「ここらは、みな(津波が)かぶってますね」と手代木はいう。あたりの常緑樹の多くは茶褐色に変色している。無数の献花が並ぶ広場は火葬を待つ土葬の群れだ。

石巻にはいる。死者3000人以上、行方不明者約3000人、避難者約7000人のまちだ。

 クリックで大きなサイズに変る。2カ月半経ても手つかずの町

行けども行けども、がれき、がれき、がれき。海のにおいに加え、腐臭・塵芥などが入り混じった悪臭が鼻をつく。民家は壊滅状態。海岸道路に並ぶ日本製紙工場、伊藤製鉄、日通、エステーなど、石巻臨海工業地帯の痕跡がかろうじてわかる。

 日和山から見た被災した石巻市

 日和山公園の麓に立つ近藤武文(左)、伊藤由子

日和山公園に登ると根こそぎ飲み込まれた、変わり果てた町が一望できる。展望スポットにたくさんの花が手向けられていた。5、60mのこの山に登った人は全員助かった。あの日からここが市民の「祈りの場」と化しているという。私が登った時も無残な町をじっと見つめている女性がいた。

大津波の後がまだ残る小学校に到着。2か月間に大まかな片付け・清掃がなされていた。でも、泥をかぶったランドセルや文房具が少し残されていた。教室の時計は4時5分前を指して止まっている。



そんな中、1,2年をかけてドキュメンタリー映画を作ろうという挑戦が始まった。29日午後、石巻にある専修大学で「宮城からの報告~こども・学校・地域」製作委員会準備会が発足した。青池憲司監督・一之瀬正史撮影のコンビが石巻に住みついて住民に寄り添いながら復興のプロセスを記録するという。代表は石巻市の阿部和夫、事務局長は仙台市の佐藤進。男性が多いものの、石巻の女性2人の参加はうれしい。子どもを中心に撮影するなら、もっと女性が多くていい。

驚いたのは、地震・津波の甚大な被害に見舞われた、この石巻で、原発について考える集いが開かれていると聞いたことだ。夕方、その集いが開催されている市内の労働会館に車で移動した。雨足がひどくなる。「地震で地盤沈下したため、これ以上振ると大変だ」と皆心配顔だ。

石巻には女川原発がある。昨年3号機の燃料棒から原子炉への放射性物質漏えいが公表されたばかり。参加したのは、近藤武文、伊藤由子など「原子力発電を考える石巻市民の会」のメンバー。「事故などありえない」とウソをついてきた国の防災対策について批判的報告があった(日下郁郎)。

参加者には、身近な知人を失い、襲い来る余震や水害におびえる中、ライフラインすら不十分な生活におかれている人もいる。そんな苦悩の中で、さらに原発事故について考えなければならないとは!



(敬称略)

■河北新報「復興の歩み映画化…」http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110527_01.htm
■原子力発電を考える石巻市民の会http://shiminnokai.info/
■止めようプルサーマル! 止めよう核燃料サイクル! 女川原発地元連絡会
http://o-renrakukai.info/
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by bekokuma321 | 2011-06-01 16:57 | 紛争・大災害