宮城の女性が語る被災体験 2

「子どものケアをと言ったらどっと来たが、お母さんケアと言ったら誰もこなかった。子どもを災害で亡くしたりすごく傷ついている母親はたくさんいるのに、これっておかしい!」と言うのは、「のびすく」スタッフの伊藤。のびすくとは、ハイハイ・ヨチヨチの子育てを応援する施設」(のびすくホームページ)。 のびすくは、今後、グリーフ・ケアをする計画だ。

c0166264_21053.jpgエスペランチストの斉藤ツメは、たいした被害にあわなかった。それで沿岸部に住む親せきの安否確認のため、車を走らせた。街の信号はみな止まっていた。ずぶぬれになったままがれきの上に何時間も置かれ、翌日、ヘリコプターに救助され九死に一生を得た親戚の女性について語った。がれきの付近で夕方、彼女と一緒に「助けてぇー」と叫んでいた声はヘリコプターが来た時にはもう聞こえなかったという。その後、親戚は国立病院に搬送されたが、「とくに怪我もないので帰って下さい」と言われた。でも、帰る家などどこにもなかった。「せんたくネット」が提唱した洗たくボランティアにはいって動いている家族がいる。

c0166264_212274.jpgノルウェーを学ぶ会の木村さちこは、大地震の時歯医者の診療台にいた。すぐ家に帰った。アルツハイマー型認知症で入院中の夫の病院の食事が悲惨だった。ある日など11時と4時の2食だと言われた。1週間したら、みるみる痩せてきたのがわかった。しかし、この状態は約1か月続いた。見舞いに行ったら、だいぶいなくなっていた。市役所に何とかしてほしいと要望したが「そこまで手が回らない」との返事だった。未曾有の危機には違いないが、北海油田の事故後、危機管理システムを構築したノルウェーで、こうした事故が起きたらどうなのか、ノルウェーの話を聞いてみたいと言った。

「避難所になった時すぐ町づくり推進課に電話して、ろうそくの用意を依頼した。ろうそくの火をたやさないように、交代でろうそくの番をした」のは市民センター職員。次々に避難してくる人たちの受け入れ、受付のためまったく休めなかった。

震度7を観測した栗原市の職員は、「あ、死ぬんだと思った」と言う。いまだに市役所はゴチャゴチャで日々片付けに追われている。明朝も7時から引っ越しの支援がある。


以上、宮城の女性たちが語る北東北大震災のいったんである。

テレビでは、支援する側は男性が圧倒的に多く、支援される側は圧倒的に高齢女性が多いように見えた。しかし職場で、避難所で、地域で、被災現場で……女性たちは必死に働きつづけていた。

(敬称略)

宮城の女性が語る被害体験 1
http://frihet.exblog.jp/16401603/
[PR]
by bekokuma321 | 2011-05-31 01:51 | 紛争・大災害