宮城の女性が語る被災体験 1

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宮城県の大震災を宮城県の女性はどう感じたのか。5月28日、仙台を中心に女性の視点から企画事業や政策提言をする「イコールネット仙台」(代表宗方恵美子)から話を聞いた。

c0166264_293797.jpgノルウェー男女平等に詳しい樋口典子は、避難所となった仙台市内貝森小学校体育館で、ボランティアを続けた。多いときは80人が避難。偶然にも、樋口をはじめ長年栄養士として働いてきた女性が3人いた。3人は協力して、避難所の食事や環境向上に関わった。リーダー的男性は、「……をします。さあ、女の人は……」と性役割分担を決めて物を言いがちだった。それをやんわりと「みんなで……をやりましょうか」と言うように変えていった。重い荷物を運ぶ時も、「これ重いけど、(女性でも)2人で持てば大丈夫です」と。声のかけかたひとつで、男女にかかわりなく参加できることを自然に実践できた、と話す。

c0166264_1541186.jpgイコールネット幹事の大先輩・平澤きょうは、震災後、テレビを見ては「男女の比率が気になる。出てくる人出てくる人みな男性ばかり。女性は一人もいない。なんでいないのか」と怒った。「震災の問題は生活の問題。女性が加わらないと日常の生活の現状は伝わらない。震災後、さらに男女共同参画をと言いたくなった」と。

2008年、「災害時における女性のニーズ調査:なぜ防災・災害復興に女性の視点が必要か」という調査に携わり、災害対策に女性の参画提言をしたのは浅野富美枝。「空前絶後の震災で、行政職員やボランティアの女性たちは極度の過労。そうしたケアをする人をケアする取り組みが今後、必要となる」と強調した。

佐藤晴香は、「私の中のAC事件」をこう話した。「震災後のACテレビコマーシャルに怒った。『がんばろう』とサッカー選手など男性にばかり言われたくないのでACに電話した。電話を受けた女性が電話口で謝ったが、女性に謝罪してもらうことではないのでファックス送信した。すると『差別はしていません。たまたま見たのが男性だったのでは』というようなことを言うので、出演者の男女比を出させた。大竹しのぶとベッキーの出演はあったようだ。しかし男女比は、5対1だった」

河北新報の佐藤理絵は、3月11日の翌日にあたる12日の朝刊発刊までのドラマを語った。

7階で仕事をしていた。図書はすべて、パソコンなども床に落ちた。駐車場にみな一時避難。雪の降りしきる中、安否確認をした。その時、誰ひとり津波のことは知らなかった。職場に戻り、散乱したものを片付け、朝刊の編集にとりかかった。自家発電で書くことはできたものの、紙面をレイアウトして組み上げる機械がダウンしてしまった。新潟日報社と、緊急時新聞制作相互支援協定を締結していた。しかも2月にテスト作業をしたばかり。整理部員は何時間もかけて新潟に到着しレイアウトをし、すぐまた仙台まで戻ってきた。泉にある印刷センターで印刷し朝刊ができた

ところが市内は真っ暗。ひと気がない。号外を読んでもらいたくても人がいない。避難所なら人がいると、歩いて行ける避難所に届けた。避難所には電気がついておらず真っ暗。懐中電灯で読んでくれた。

(3月12日「河北新報」朝刊)

河北新報をとりまく状況は、トラック配達もできない、販売所も流されてしまった、配達者も被災してしまった…。自家発電だったためできるだけ節電しなくてはならなかった。ものすごく寒い中、毛布を頭からかぶって記事を書いた。

広告がないため仕事のなくなった広告班は物資調達班に。炊き出し班もでき毎日3食おにぎりを食べた。物資調達班とは取材用の車のためガソリンを探しまわる仕事で男性。炊き出し班は全員女性だった。たまに男性が「おれも握る」と言っても「ここは女性の役割ですから」と断られたと聞いた。

また、小さな子どものいる記者は子どもを社に連れてきたため、会社の中に子どもがゴヤゴヤいる状態となり、楽しい場面もあり、それが記事に生かされたと思う。災害の前線には男性記者が多く、女性の場合は若い女性記者だけだった。子連れ女性は「私たちはいったい何をしているんだろう」と思うこともあった。

多くの報道がなされたが、自分も被災している人が書いているのだ、他の報道とは違うものが書けるはず――こんな自負と使命感があった。

(続く。敬称略)
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by bekokuma321 | 2011-05-30 21:29 | 紛争・大災害