c0166264_8481385.jpg 女性が参政権を行使して70年。

その1946年の選挙で日本初の女性衆議院議員になった1人は秋田の和崎ハル(1885~1952)。美容師だった。髪を結いに来る芸者さんたちの身の上話は悲惨だった。憤りを覚えた彼女は、公娼制廃止、一夫多妻廃止運動にのめりこんでいく。当然の帰結だが、参政権のなかった女性の選挙権を求めて運動に走る。

あきた文学資料館の北条常久博士の話や資料によると、秋田県において、公娼制や一夫多妻制に反対する活動の先陣をきったのは、早川カイ(1884~1969 写真)だった。秋田市の早川眼科医の妻で、夫婦とも熱心なクリスチャンだった。1922年、矯風会秋田支部を創設し初代支部長に就任した。

翌1923年、関東大震災が起こった。早川は、矯風会秋田支部や他の組織をフル動員して、布団づくりにとりかった。「ゆかたをほどいて布団皮を縫い」、それに寄付された藁をいれ、「1080枚」の布団を完成した(『火の柱』秋田婦人ホーム六十年の歩み)。

その布団を、早川は2人の同志とともに、蒸気機関車に乗って、秋田から上京して届けたというから、その爆発的エネルギーに圧倒される。早川が見た惨状のなかの惨状は「吉原のお玉ケ池に折り重なって死んでいる娼妓の姿」だった。娼妓の出身は、山形や秋田など東北が一番多い事を知って、胸つぶれる思いだったろう。

1928年8月、今度は、秋田が大火に見舞われた。遊郭地にあった家屋が180戸以上、焼失した。早川は、翌朝には現場に急行した。その惨状を目の当たりにし、遊郭で働かせられていた多くの女性・少女たちに救援の手をさしのべた。

早川のすごさは、業者とわたりあって娼妓の前借金免除の交渉に体をはったことだ。啖呵をきることもあったという。この勇敢さは、遊郭の復興反対活動につながっていく。1928年9月には、矯風会本部の久布白落実を招き、第1回公娼廃止大記念会を開催した。

久布白の自伝によると、彼女が、公娼制を廃止したノルウェーを視察したのは1928年。彼女は、オスロで見てきたばかりのクリスチャン・クローグ作「警察医務室前のアルバーティン」と、ノルウェーの廃娼運動や、女性たちの保護施設などを熱っぽく語ったに違いない。

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早川カイは、公娼制を廃止したいという情熱を、政治問題へと発展させる。それは、秋田県会議長名で、知事あてに「公娼制廃止を求める意見書」提出となって結実した。

廃娼が決議されると、遊郭に閉じ込められていた娼妓たちは自由を求めて逃げ出した。早川は自宅を開放して、保護した。中にはこんな話もある。早川の息子の配偶者の弁だ。

「ある娘はいつも見張りされていて、自由になりたくてもなれないので、或る時こっそりと投書をした。母からの返事は本の中に旅費とともにはさんで送ってきたそうである。それには読んだら破くこと、隣の駅まで逃げてくれば東京に逃がしてやること、目印に眼帯をして、人に話しかけられても決して口をきいてはならないこと、どうしても危なくなったら、秋田市の早川眼科に逃げ込むことなど、そんな注意が書き添えてあったという」(同著)

続々と逃げてくる女性たち、彼女たちを追ってくる楼主たち。自宅におくだけでは危険になってきたため、近くの楢山教会の牧師館(写真上)に身を隠させたりもした。

早川が、苦界に身を沈めた女性たちが駆け込める「婦人ホーム」創設に着手するのは時間の問題だった。彼女は土地を買って建物を建設するための募金活動をスタートさせる。1932年9月1日付け「秋田婦人ホーム建設趣意書」には、次のようにある。代表者は早川カイと和崎ハルだ。

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「(前略)不幸な婦人収容のほか、授産、人事相談、職業の紹介、託児も致したいと存じます。それに要する経費は五千円でございますので、皆さまのご同情におすがりするわけです。秋田婦人ホーム建設発起人 代表者 早川カイ、和崎ハル」(同著)

秋田の女性解放運動は、早川カイの公娼制廃止運動から火がついた。和崎ハルが衆院選に立候補する20年以上も前のことだった。
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# by bekokuma321 | 2016-09-26 09:04 | 秋田 | Trackback

c0166264_9265257.jpg東京都の八王子市議会、文京区議会、小金井市議会が、女性議員増のための法制度を求める意見書を可決した。こうした意見書が、全国フェミニスト議員連盟など女性団体から出たことはあっても、地方議会から次々に出ることはきわめて珍しいと思われる。

以下、2016年9月、文京区議会に提案・可決された文案。

===政治分野への男女共同参画推進のための法律制定を求める意見書(案)===

今年は女性参政権行使から70年の節目の年を迎えました。しかし、我が国の女性議員の割合は、衆議院で9.5%(2016年)、参議院では20.7%(2016年8月)です。

参議院の20.7%は世界平均の22.0%に近づきつつあるとはいえ、衆議院の9.5%は、列国議会同盟(IPU)の調査によれば、二院制の国での下院あるいは一院制をとる191か国中155位(2016年6月現在)と世界の最低水準です。

一方、地方議会においても、女性議員の割合は12.1%と一割強に過ぎず、女性議員が一人もいない「女性ゼロ議会」は、全自治体の20.1%にも上ります。

政治は私たちの暮らしに直結し、社会の意思決定を行い、これを実現する重要な役割を担っています。少子化、高齢社会の問題など、暮らしに関わる事柄が重要な政治課題となっている今日、社会のあらゆる場で女性の活躍推進を掲げている政権下において、政策を議論し決定する政治の場への女性の参画は不可欠です。

そのために、法制度に女性議員の増加を定めることは、国、自治体のいずれの議会においても女性議員増加の実現に向けての確かな方策となり得ます。

よって、文京区議会は、国に対し、女性議員の増加を促し、政治分野への男女共同参画を推進するための法律制定を女性参政権行使70年のこの年にこそ実現されることを強く求めます。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

2016年9月  日                   文京区議会議長名

内閣総理大臣 
内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画)   
内閣府特命担当大臣(地方創生・規制改革)
法務大臣 
衆議院議長
参議院議長

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▲日本の議会はほとんど一方の性によって占められている。衆議院は作成時より女性がさらに減り9.5%でしかない。2011年3月、全国フェミニスト議員連盟作成の「女性議員率円グラフ」
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# by bekokuma321 | 2016-09-22 09:33 | その他 | Trackback

秋田魁新聞電子版の2016年9月20日付けニュースです。

民進党県連・松浦代表が辞任、政界引退を表明:7月の参院選に出馬し落選した民進党県連の松浦大悟代表(46)は20日、秋田県連代表を辞任し政界から引退することを表明した。後任は決まっておらず、当面は小原正晃幹事長が代表の職務を代行する」

県連とは民進党秋田県連で、代表は、松浦大悟さんです。松浦さんは参議院議員だった2012年当時、三井マリ子さんに衆議院議員に立候補するよう要請した人です。固辞していた三井さんですが、「盤石の体制で支援する」との2か月にわたる要請を受け、ついに落選覚悟で秋田移住・立候補しました。

12月の衆院選後、三井さんは、衆院選にかかわって、松浦大悟議員秘書と秋田県連幹部らの2つの「不法行為」、さらには秋田県連代表らの”不適切な言動”(秋田地裁)に向き合いました。

「不法行為」のほうは検察に送検されましたが、1つは不起訴、もう1つは起訴猶予でした。そして"不適切な言動”のほうは、昨年11月、松浦被告側が詫びたことにより和解となりました。詳しくは「和解が成立しました」に掲載されています。

c0166264_10381458.jpgさきの7月参院選では、東北6県で野党共闘が成立して、秋田(松浦大悟候補)を除く東北5県で、野党統一候補が勝利しました。それに関しては、拙文「民進党代表選と『参院選東北5県の野党勝利』」 をご覧ください。

以上、ご報告でした。

岡田 ふさこ(さみどりの会* 事務局)

参院選2016 みちのくの民意 
党として説明責任がある「秋田政党交付金裁判」
連載「衆院秋田3区の政党交付金」_さみどりの会
和解調書と裁判長の真意
女であったゆえに踏みつけられた名誉と尊厳
基金に移されていた政党交付金の国庫返還
三井マリ子VS松浦大悟裁判 傍聴記

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(*)2012年暮れ、2カ月にわたる立候補要請を受けて、三井マリ子さんは秋田移住して衆院選に。落選後、松浦大悟議員らに不明朗な会計処理をされ心身ともに損害を受けたと提訴。さみどりの会は三井裁判を支援する会の愛称。さみどりの会ホームページは選挙・裁判をきっかけにできた、女性と選挙・政治を考えるサイト。裁判は2015年11月和解で終わった
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# by bekokuma321 | 2016-09-21 14:39 | 秋田 | Trackback

富山市議会で、自民と民進の議員7人が領収書を偽造して、公費を横領着服していたという。

よくある手口らしいと知ったのは2012年衆院選の後。私の選対の幹部になっていた人が、ポスター張り作業を依頼していないにもかかわらず、依頼したことにして、偽の領収書を作ってはその分の政党交付金を自分のポケットに入れていた。わかっただけで25枚あった。悪質な犯罪だと思えたが、書類送検されたものの起訴猶予だった。

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「政治とカネ」のスキャンダルは底なしだ。兵庫の野々村県議事件、猪瀬都知事事件、甘利大臣事件、小渕優子事件、日歯連事件、舛添都知事事件・・・。

その昔、後藤新平という政治家がいた。政治腐敗をなくさなくては、と日本で初めて運動したのは、彼だという。政治腐敗をなくすことを「政治の倫理化」と名づけて、こんなふうにいっている。

「政治の根本精神は“社会民衆の福祉のために奉仕することである”という観念が、満天下の信念とならなければ、真実なる政治は興らない。”政治は力にあらず、奉仕なり”との観念に基づいて行動せよ、ということが、政治の倫理化の根本精神である」(阪上順夫『現代選挙制度論』1990)

そして、「永く同一職業に携わる者は、因襲の捕虜となる」から、「天下無名の青年よ起て」「諸君の奮起によりてのみ、新日本の再生は期待せられるるのである」と言った(同上)。

後藤新平が政治浄化を若い無名男性に賭けたのは、女性参政権のなかった戦前だから、当然だろう。そのころ女性先覚者たちは、新婦人協会、無産婦人同盟、矯風会、婦人参政権獲得同盟などを組織化して、女性参政権を求めて、東西奔走していた。

市川房枝らとともに女性参政権運動をひっぱったのは、矯風会の久布白落実である。彼女は、大阪の遊郭設置反対運動に破れた後、「法治国家において参政権は、唯一の弾丸であり、武器である」と女性参政権獲得を高々と掲げるようになった(久布白落実『廃娼ひとすじ』1973)。
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女性解放をめざす久布白落実は、ある年は世界をかけめぐり、またある年は日本全国を講演して回った。彼女の講演に衝撃を受けたひとりが秋田の和崎ハルだった(グレゴリー・M・フルーグフェルター著『政治と台所』1986)。

和崎ハルは、1920年代から、秋田の政治腐敗に怒り、たびたび新聞雑誌に投稿した。1929年「秋田婦人連盟」を創設して、政治教育講演会のみならず、選挙の買収防止運動を展開。翌1930年「婦選獲得同盟秋田支部」を創設して代表。八面六臂の活躍だった。戦後(70年前)、初の衆議院議員に立候補・当選した

前述の『政治と台所』には、次のような和崎ハルの投稿が紹介されている。

「(女子公民権の付与は)選挙の浄化に取って最も力あるものと信じて疑わない」

「(選挙応援をして、1票3円の買収のならわしを聞いたり、対立候補側の警察署長から不当監禁されて自殺をはかった知人が出た)その時実に選挙界の腐敗いろいろな不浄なことを知った私は、一大決心をなし一国の政治は決して男子のみが専任すべきものではない断然女も参与しなくてはならない。政界の廓清には我々女性が起つべきだと深く胸を刺した」

「我々女性が権利を要求するのは実に誤った基礎の上に樹てられて居る今日の政治を、根本的建直し一部特権階級の手にのみ委ねられて居る政治の改善を図りたいからである」

約100年たった今でも、説得力をもっている。

女性だから皆「政治とカネ」にきれいだとはいえないのは、男性にも後藤新平のような政治家がいるのと同じだ。とはいえ、女性は概して、男性同士でつくりあげてきた村社会の掟になじんでないだけ、その掟に染まりにくい。現議員や元議員の女友だちの体験話から、おおかた間違ってないと思われる。

富山市議会は、40人のうち女性議員は2人(共産と公明)、わずか5%しかいない。富山市民の怒りが女性議員増につながってほしい。

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【写真上:2012年三井選挙に使われた偽造領収書(出典「衆院秋田の政党交付金~25枚の領収書」)。 中:秋田市内にある和崎ハル石碑(亀田純子撮影)、下:女性参政権行使70周年の記念はがき。画像は女性参政権を求めて1932年秋田市で開かれた「東北婦選大会」】
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# by bekokuma321 | 2016-09-16 16:56 | 秋田 | Trackback

「和崎女史が最高点」

戦後初の衆院選は、ちょうど70年前、1946年に行われた。秋田県は、和崎ハルがぶっちぎりのトップ当選だった。

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上は、友人が送ってくれた当時の新聞記事だ。まじまじと見て、あらためて、その歴史的快挙に感動した。41人の立候補者がいて、うち当選者は8人。すごい競争率だ。その先頭に「100247 和崎ハル(中立新)」とある。彼女の後に7人の当選者が並び、落選者がズラーッと続く。和崎ハル以外は全て男性だ。

「連記制」だったから、といわれている。阪上順夫『現代選挙制度論』(政治広報センター、1990)にはこうある。

「1946年4月10日総選挙では、85%の新人議員と39人の婦人議員を生み出したが、これには連記制が有利に働いた。特に初めて選挙権を行使した女性が、1票はとにかく、同性へと必然的に意識して投票したと考えられ(アベック投票と呼ばれた)、候補者や政党が乱立したことから、保守と革新に振り分けた分裂異党派投票も多かった」

70年前の日本の選挙は、大選挙区制。しかも投票者は、何人かの候補者名を書くことができた。そのため、投票用紙に男女の名前を書く人が多く、「アベック投票」と呼ばれた。これって、2015年3月、世界をあっといわせたフランスの「ペア候補」とそっくり。

1946年の日本の「アベック投票」は、こんなふうに決められていた:

「東京都や大阪など、定数11名以上の選挙区は、3名。
定数4名以上、10名以下の選挙区は、2名。
定数3名以下の選挙区は、1名のみ(現在の投票と同じ)。」

定数4名が最小で、3名以下の選挙区はひとつもなかったというから、すべての人が、投票用紙に、2名か3名を書くことができたのだ。

c0166264_16371927.jpgなにしろ日本女性にとって、歴史上初の晴れがましいできごとだった。それまで女に生まれたというだけで投票に行けなかった。女学校教師(女性)が、「用務員の男性は投票できるのに、教員の私は投票できない」と、その理不尽さを嘆いた文を読んだことがある(注1)。そんな女性たちに待ちに待った参政権が付与されたのだ。女性たちの多くは、2人のうち1人、3人のうち1人は女性の名前を書いたに違いない。男性だってそうしただろう。

これが、多くの女性候補当選につながった。

ところで、女性参政権行使70周年の今年、小池都知事の誕生により、女性の政治参加が少し前に進んだように見える。しかし、日本全体では、政治分野はまだ男の牙城だ。何度でも言うが、日本の国会における女性割合は9.5%で、世界193カ国中、ボツワナと並ぶ157位である(第1院、2016年8月現在)。

こんな日本に、国連も黙ってはいない。国連女性差別撤廃委員会は、日本政府に、「政策決定への女性の少なさを解消するため、クオータ制など暫定的特別措置を実行せよ」と繰り返し勧告してきた。ごく最近も、レポートを出した。2016年3月7日だ。その委員会報告、19条、31条に明記されている(注2)。

まずは女性や少数派に絶対的に不利な選挙制度「小選挙区制」は改めるべきだ。比例枠を減らそうなんて言語道断だ。国連が提唱する「クオータ制」は、比例代表制でこそ効果が出る。

はるか70年前、「アベック投票」で女性をどっと当選させたではないか。やれないことはない。

女性差別撤廃委員会 日本政府報告書審査の総括所見(英語)
「祝!女性参政権行使70周年」記念はがき
ハルらんらん♪
比例区、またまた削減
「身を切る改革」どころか「民意を切る改革」
小選挙区制は女性の声を捨て去る


【注1】折井 美耶子編『女ひとりわが道を行く―福田勝の生涯』だと思う。
【注2】日本政府はなぜか半年たってもまだ和訳を公表してない。わたしなりに原文から訳した→
19条は「クオータ制など暫定的特別措置など必要な制度によって、実質的に男女平等を速攻で進めること、なかでも、少数民族、先住民、障がい者などマイノリティ女性の権利を確保すること」と勧告する。31条は、3つの具体策を提示する。
(1) クオータ法などの暫定的特別法によって、選挙や任命によるポジッション(議員や委員など)に、完全なる男女平等参加を促進すること  
(2)第3回、4回国内行動計画にある、2020年までに、立法府、内閣府、首長を含む行政府、法曹界、外交、学界などすべての分野において女性を30%にする目標に向かって、実効性のある具体策で確保する
(3)アイヌ民族、部落、在日韓国人など、障害者や少数派の女性が代表となれるような暫定的特別措置を含む、特別の対策をとること 
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# by bekokuma321 | 2016-09-14 22:14 | 秋田 | Trackback